第32話 水泳

 季節は巡り、K少年刑務所にも、色々な意味で"あつい"夏がやって来た。


 気候変動問題が叫ばれて久しいが、記録的猛暑は年々その記録を更新し、その地獄の様な灼熱が、K少年刑務所の囚人達に襲い掛かる。


 娑婆しゃばの人には当然の様に適用されている憲法も、もちろん受刑者達には適用される訳はなく、我々が日々居住する居室には冷房等という設備機器は備わっていない。


 燃える様な暑さを凌ぐ為に、我等受刑者に与えられた手段は、団扇うちわと首に巻く濡れタオル、そして日に数回の洗体(水道で濡らしたタオルで体をふく行為)という、DXが叫ばれて久しいこの令和のご時世とは思えない程の原始的な方法に限られるのである。


 因果応報、罪を犯した者が悪いのだと言われてしまえばそれまでの事であるけれど、娑婆しゃばでさえ熱中症患者が後を絶たないこの時代に、この住環境はあんまりにも酷ではなかろうか。


 因みに、夏になってから、この第一工場では既に2人が不正洗髪(暑さに耐えられずに水道で髪を濡らしただけ)で懲罰を受けている。


 想像を絶する灼熱地獄に苦しむ囚人達、しかし、夏は苦しいだけの季節ではない。


 K少年刑務所では、夏になると運動の時間に水泳が出来るのだ。

 そして、夏の終わりには全工場対抗の水泳大会があり、現在この第一工場は水泳大会2連覇中なのである。


 K少年刑務所の計算係(工場のトップ)である深瀬さんが、もと水泳の国体選手であり、彼の泳ぎが第一工場の水泳大会2連覇に大きく貢献したという話だ。


 私は、この工場に来て初めての夏なので、深瀬さんの泳ぎを実際に見た事は無いが、聞いた話では、100mの自由形で49秒95という驚異的なタイムを叩き出したという。


 なにはともあれ、この夏の一大イベントである水泳大会に向けて、受刑者達は皆、心を躍らせている。(少年刑務所では運動が受刑者達の最高の楽しみなのである)


 「なぁ、ツッキーは泳げるの?」

 部屋の2番手の坂田さんが、団扇を仰ぎながら尋ねてくる。


 「ええ、まぁ、特別泳ぐのが得意という訳ではないですが、人並み程度には泳ぐ事が出来ると思います」

 小学生の時にスイミングスクールに通っていた事があるとは言わずに、そう答える私に、


 「へぇ~、そっかぁ。自由形は深瀬さんで決まりだと思うから、ツッキーは50m×4の平泳ぎリレーメンバーを目指してみたらいいんじゃない?俺はカナヅチだから、去年に引き続き、25mのビート板レースの選手を目指すよ」

 

 「えっ、ビート板の競技もあるんですか?」


 「あるよ。俺、去年の水泳大会で選手に選ばれて、決勝レースで2位だったんだ」

 暑そうに団扇を仰ぐ坂田さんが、フフンと鼻を鳴らす。


 「へぇ~、それは面白そうですね」

 まさか同じ舎房に、昨年度水泳大会のビート板レース準優勝の選手が暮らしているとは、驚きである。


 「ちなみに、浅野さんは、去年の50m×4平泳ぎリレーと、50m×4メドレーリレーの平泳ぎの選手で、まぁ、今年もメンバー確定だろうな。ねっ、浅野さん?」

 人懐こい笑顔で尋ねる坂田さんに、


 「うん?あぁ、まぁ……、そうだな」

 と素っ気なく答える浅野さんは、何やら分厚い本に読み耽っている。


 「関根ちゃんは泳げないし、バタ足も下手くそだから、ツッキーと裕二もメンバー入りして、この部屋で水泳大会3連覇に貢献するぞ」

 何やらやる気スイッチが入っている坂田さんに、


 「えぇ~、僕もですかぁ?」

 部屋の4番手の石田いしだ 裕二ゆうじが不満気に答える。


 「当たり前だろうが、特にお前は体育祭では活躍出来ないんだからさぁ、死ぬ気でメンバー入り目指せよ」


 「死んだら水泳大会には出れないし、娑婆にだって出られないじゃないですかぁ」

 ハァーッと大きな溜息をつく裕二。


 今日も私の舎房は平和である。


 K少年刑務所の夏は、とっても熱くなりそうだ。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る