第21話 灼熱の心を持った男

 K少年刑務所、第一工場対第四工場の400m×5リレーの第一走者は、200mリレーに引き続いて中根さん。


 先程の200mリレーで全く手を抜く素振りも見せずに快走していた中根さんは、その疲れ等は微塵も感じさせずに、スタートラインで、ただ前だけを見据えている。


 元経済産業省の官僚でありながらスポーツも万能でモデルの様な美しい外見。


 なぜ彼が罪を犯したのか、私は知らない。


 私の知っている中根さんは、私が工場に配役されてからの2週間、親身に作業指導をしてくれた、そして松江さんの事件を知って心の底から怒ってくれた、知的で心優しい好青年。


 そして、虎視眈々こしたんたんと立役の座を狙う、静かで熱い心を持った、受刑の先輩である所の中根さんだ。


 なぜ彼は、全力で受刑生活に取り組むのであろうか?


 どうして中根さんは、必死になって立役を目指しているのであろうか?


 国立大学出身の元官僚というスーパーエリートからして、刑務所の、それも生産工場(刑務所には、物を生産する生産工場と、受刑者の生活を支える炊事、洗濯、図書等の経理工場があり、経理工場に配役された者はエリートとされる。因みに性犯罪者は更生プログラムの兼ね合いで、どれほど優秀な経歴を持っていようとも、生産工場に配役される)の立役など、取るに足らない役職ではないのであろうか?


 たしかに、立役になれば作業中に自由に歩き回れるし、ペラ(喋る事)も回せるし、食事もA食からB食(座作業者と立作業者では支給されるばくシャリやパンの大きさが違う)に変わる。


 更には、受刑者達からの尊敬の念も集められて、刑務所での生活が楽になる。


 しかし、中根さんは、そんな事の為に立役の座を狙っている様には見えない。


 静かながらも、マグマの様に燃えたぎる灼熱の心で、命の全部を懸けて立役の座を狙っている。


 その心は彼にしか分からない。


 でも、彼を見ていると、私の心も自然と熱くなる。


 きっと、そういう人間が、受刑者達の心を魅了して、結果的に立役になっていくのだろう。


 おやじ(刑務官の事)も、作業の成績や人間性よりも、受刑者達の評判を立役を選ぶ際の指標として採用している。


 立役になるには、まず受刑者達に尊敬されなければならない。


 そして、少年刑務所に於いて受刑者の尊敬を得るのになくてはならないもの、それは、嘘偽りの無い本物の熱い想いだ。


 確かに、面白い人間や運動能力の高い者達は、こと少年刑務所に於いては、受刑者達から高く評価される。


 だがしかし、立役になるには、それだけでは足りないのだ。


 立役になる為に必要な要素を全て兼ね備えた、中根さんはきっと立役になるであろう。


 彼の心は分からないが、立役になりたいという想いは私も同じだ。


 その想いに、言語化出来る様な理由等は無い。


 もしかしたら、中根さんも同じなのかもしれない。


 犯罪者のレッテルを貼られ、社会不適合者にカテゴライズされて、人間に適用される筈である憲法や法律から切り離されたこの檻の中で、もはや他者の目を気にする理由等は微塵もない。


 競争社会の狂騒に踊らされて、随分と久しく聞く事の無かった自分の心の声に耳を傾けた時に聴こえて来た言葉。


 それは……。


 『今を生きたい。ただ全力で、今を生きたい。命の全部を、今というこの瞬間に置いていきたい』


 という、痛々しいまでに切実で悲痛な声音の心からの叫びであった。


 娑婆しゃばにいた時には、あんまりにもノイズがうるさ過ぎて聞こえなかった心の声。


 皮肉にも、社会から隔絶されて、人間である権利を奪われたこの静寂の世界に堕とされて、ようやく私の耳に届いた心の叫び。


 中根さんも、きっと、心の声に動かされているのであろう。


 一度ひとたび聞こえてしまったならば、もはや心の声に抗うすべ等ない。


 もしも、そんな方法が存在したとして、私はもう、決して自分の心の声を聞き流したりはしない。


 ここにいる受刑者達は皆、その様な想いに従い、今という瞬間に熱狂している。


 熱い想いの渦巻くグラウンドで、

 

 今、K少年刑務所、第一工場対第四工場の400m×5リレーが火蓋を切る。


 

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