第20話 真面目大臣

『おい、ツッキー。たくっ、お前って奴は、ちょっと目を離した隙に、またそんな硬い顔して、もう400mリレー始まるんだからさぁ、リラックスしろよ、リラックス』


 坂田さんが、私の肩をバンバンと力強く叩く。


 『ウイスキーって言ってみ』


 ほら、【ウイスキー】。と坂田さんが、ゆっくりと大きく口を動かしながら言う。


 『何でウイスキーって言うんですか?』


 『ウイスキーって言うとさ、ほらっ、こんな風に自然と口角が上がってさ、笑顔になるんだよ。遠い昔に婆ちゃんが教えてくれたんだ』


 ウイスキーと言って、坂田さんが唇の両端を人差し指で押し上げた。


 『なるほど、では……。ウイスキー……。』


 数瞬の沈黙の後、


 『ダメだ。全然笑顔になってないよ、なんでだ?むしろ、さっきよりも顔が硬くなっちゃってるじゃん』


 『申し訳ございません』


 『謝らなくていいよ、ツッキーは本当に真面目大臣まじめだいじんだな』


 『真面目大臣とは?』


 『深掘らなくていいよ。特に意味なんてないんだからさ、ツッキーは真面目過ぎるよ。まぁ、真面目が過ぎて逆に面白くて、俺は、そんなツッキーが好きなんだけどさ、松江まつえの事だって、ちんころ(密告の様な行為、受刑者の中では卑怯ひきょうな行為とされ忌み嫌われている)しちゃえばよかったのにさ』


 松江とは、私が最初に入れられた雑居房の2番手で、私に懲役ちょうえき(受刑者への教育という大義名分の下に行われる陰湿極まりないイジメの事)を行なっていた人物である。

 今は、懲罰を終えて、別の工場に配役はいえき(刑務所で懲罰を受けた受刑者は、元居た工場とは別の工場に移されるのが一般的)されている筈である。


 『ちんころは、受刑者として、やってはいけない行為ですから』


 『それはさぁ、時と場合によるだろ?松江は明らかにやり過ぎだった。ぶん殴ってやったってよかったくらいさ』


 坂田さんは、シャドーボクシングでもする様に目一杯の力で空を殴った。


 『私が松江さんの不正をうたわなかったのは、ちんころをするのが嫌だっていう理由だけじゃないんです』


 『何、どう言う事?』


 『苦しい目に合いたかったんですよ。 松江さんの絵に描いた様な教科書通りの理不尽を受ける事で、私は、少しでも罪を償った気分を味わいたかったのだと思います』


 『でも、それは……。』


 『ええ、今なら、その様な考え方は間違いなのだと理解しています。更生とは、そんなに簡単な事じゃない。犯した罪は苦しみなんかじゃ拭い去れない。そんな当たり前の事に気がつくのに、随分と時間が掛かってしまいました』

 

 頭を掻きながら、悲しみをたたえた微笑を浮かべる私を見て、やれやれというジェスチャーをした後で、


 『まったく、本当にツッキーは真面目大臣だなぁ、そんなに肩肘張らなくていいんだよ。今を全力で生きる。そんで、1秒後も、10秒後も、100秒後も全力で生きる。そんな今を死ぬまで生き続けたらさぁ、きっと命が終わるその時には、出来てるんじゃねぇの?更生ってやつがさ』


 太陽の様な眩しい笑顔を讃えた坂田さんが、親指をグッと立てる。


 『ほら、そうこう言ってる間に400mリレーが始まっちまうよ。ツッキー、もう一度、ウイスキーって言ってみ』


 『いや、でも……。』


 『いいから、いいから、頭を空っぽにしてさ、ウイスキー。ほら、ウイスキーってさ』


 『……。ウイスキー』


 『ほらな、やっぱり笑顔になったじゃん』


 正しいのか、間違えているのか、私がこの道の先で更生を果たせるのかなんて、そんな事は私には分からない。


 ただ、私に分かる事。


 それは、坂田さんという素晴らしい青年に出会えたという事。


 そして、今この瞬間を全力で生きていたいという事だ。


 さぁ、楽しみながら、今出せる私の命の全てを、400mリレーにぶつけよう。

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