第25話 夢のあとの現実
トントントントントン。
トントントントントン。
【押し込み】と呼ばれる作業に従事する受刑者達がハンマーでプラスチックを嵌め込む音が、静寂に包まれた工場内に響き渡っている。
先程までのリレー対決の熱狂が、まるで夢幻であったかの様に、一工場の受刑者達は、無味乾燥とした刑務作業に黙々と取り組んでいる。
この作業の末に出来上がるのは耐震材の材料なのであるから、私達は人の命を守る仕事に従事していると言っても過言ではないだろう。
この刑務作業に誇りを持って取り組む受刑者がいたとして、それは何らおかしな事ではない筈であるのに、私も含め、ほぼ全ての受刑者達が、この単純作業に苦痛を感じている。
しかし、今こうして究極的とも言える単純作業に従事する日々の中に身を置いてみると、娑婆にいた頃の仕事は、やり甲斐で満ち溢れていたのだと、意味のある仕事、自らの尊厳を保てる仕事を懐かしまずにはいられない。
結局の所、無い物ねだりなのだ。
満たされている時には気付かない。
無くした時になってようやく気付く。
たが、概して一度無くした物は返って来ないと相場が決まっているものである。
きっと、この刑務所の単純作業の中にだって、何かしら光り輝くものがあるのだろう。
しかし、今の私には、それを見出す事が出来ない。
先程まで、リレー対決で熱狂していた今日は、尚の事、この単純作業の時間が地獄の苦しみに感じて仕方がない。
トントントントントン。
トントントントントン。
小気味よくハンマーを叩いていると、
『おい、天月。さっきの走りは良かったな』
珍しく、おやじが私に話し掛けてきた。
私がそれには
『帽子を取って、俺の目を見て話していいぞ』
おやじが私に
立役以外の座作業者が許可なく脇見やペラを回したりしたら、
おやじに話しかけられたのだから、即返事をしてもいいのかもしれないが、私は念の為に安全策を採って無視を決め込んでいたのである。
『ありがとうございます。でも、立花さんには、まだまだ遠く及びません』
『何だ、お前。立花に追いつこうとしてるのか?いい年してるっていうのに、ガツガツしてるねぇ、いいじゃん、俺そういう奴好きだよ。とにかく今日は良くやった、その調子で頑張れよ』
『はい、ありがとうございます』
おやじが去っていく足音を聞きながら、私はまた押し込みの作業に戻った。
トントントントントン。
トントントントントン。
『おい、天月。今日は良い走りだったな』
今度は一班の班長である中村さんが話しかけてきた。
『ありがとうございます』
今回は作業の手は止めずに目を手元にやったままで
『帽子を取って、こっちを見ていいぞ』
中村さんから許可をもらって、私は中村さんの顔を見る。
立役とは立役の許可があれば作業中に話す事が可能なのである。
あまりにもふざけた内容の話を大声でしたりすれば、即処遇行きであろうが、普通の日常会話程度ならば、作業内容について話しているのと見分けがつかないので問題はない。
『体育祭に向けて、俺ももっと仕上げていかなくちゃならないが、お前はまだまだ伸び代があるからな、一班の人間として、一緒に体育祭で勝利に貢献出来る様に、明日から、また追い込んでいくぞ』
『はい』
『今日は良くやった。作業の邪魔をして悪かったな』
そう言うと、中村さんは私の元を去って行った。
今日は、よく話し掛けられる日である。
リレー対決で全力を尽くした私を、おやじや中村さんは少しは認めてくれているのであろうか?
わからない。
でも、刑務所の中にいるのだから、人の目なんか関係ない。
誰かに評価して貰える事は嬉しいけれども、やっぱり、まずは自分の為に、全力で生きていくのだ。
地獄の様な単純作業に全力を傾ける自分が、少しだけ誇らしく思えてきた。
刑務作業も悪くない。
もう、無い物ねだりはやめにしようと、私は人知れず、自分の心に誓ったのであった。
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