第24話 私もヒーローになりたい

 私の目の前には、青空が広がっている。


 なんて綺麗な青空だろう。


 こんなにも美しい空は、もう久しく目にしていない。


 『天月、良くやった』


 アンカーとして400mリレーを走り切った立花さんが、私に声を掛ける。


 『ありがとうございます。恥ずかしながら、張り切り過ぎて、もう、立つ事もままなりませんが』


 400mを走り終えた私は、年初めの箱根駅伝を走り切ったとでもいう様に、グラウンドに仰向けで倒れ込んだ。


 最後に、第四工場の走者を抜き去って、立花さんにバトンを繋いだ私は、体力を全て使い果たし、裏腿からおしりにかけては初期の運動以来感じる事のなくなった激痛を感じていた。


 酸素を求めて口を目一杯開けて呼吸を整える私の心情は、しかし、その惨憺さんたんたる体の状態とは裏腹に、かつて感じた事の無い充足感で満たされている。


 『天月さん、さっきの400mのタイム、58秒です。とんでもないですね』


 運動制限(持病などで運動への参加を制限されている受刑者の事)の田中さんが、私のリレーのタイムを教えてくれた。


 58秒。


 立花さんの46秒に比べれば、取るに足らないタイムだけれども、今までのベストタイムが1分1秒である私にとっては、1分の壁を超えた事は、とてつもない快挙なのである。


 『お前のフォームには、まだ無駄に力を使い過ぎている所があるし、ストライドも調整の余地がある、まだまだタイムは上げられる。体育祭で訓練工場に勝てるかどうかは、お前の成長にかかっているのかもしれないな』


 グラウンドに仰向けで寝転がる私を見下ろす立花さんは、


 『また、運動の時に、色々と試してみよう。とにかく今日は良くやった』

 と私に告げると、クールダウンの為に、トラックに向かいジョグ(軽いランニングの事)を始めた。


 もっと、もっと、早く走りたい。


 刑務所の英雄と肩を並べられる様になりたい。


 私だって、ヒーローになりたい。


 遥か遠い昔、ヒーローに憧れていた頃の私は、まさか42歳になって、刑務所の中で再びヒーローを目指す日が来るなんて、想像もしていなかったであろう。


 ヒーローになりたいと口に出すのが恥ずかしくなったのは、いつであろう?


 ヒーローになりたいと心の底から願う事を陳腐ちんぷだと思う様になったのは、いつであろう?


 私は何と愚かだった事か。


 人は、いつだって、どこだって、ヒーローを目指せる。


 誰だって、ヒーローに憧れて、ヒーローになりたいという願いに手を伸ばして良いのだ。


 私は、まだまだ強くなれる。


 ジョグをする立花さんの背中を見つめながら、私はもっと強くなる事を、遠い昔に憧れたヒーローになる事を、自分の心に誓った。


 もう、私は、自分の心に嘘はつかない。

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