第23話 アクシデント

 それは、突然の出来事であった。


 第一工場の第三走者、坂田さんが、最後のカーブにさしかかった所で、派手に転んでしまったのだ。


 転んだ拍子にバトンを離してしまい、更にはバトンの行方を見失ってしまった坂田さんが立ち上がり、バトンを拾ってコースに復帰した時には、第四工場の第三走者に抜き去られてしまっていた。


 だけれど、中根さんと浅野さんが作った大きなリードがあったので、まだ挽回出来ないという程には差は広がっていない。


 この程度の差ならば、私の後に控えるK少年刑務所の英雄立花さんが、あっという間に抜き返してしまうだろう。


 だが、私は……。


 坂田さんがバトンゾーンに入ると同時に、

 『Go!』

 という掛け声をかける。


 その声に合わせて私は助走を取り、坂田さんからのバトンを受け取る為に、手を後ろに伸ばす。


 坂田さんから私の手にバトンが渡った時、


 『ツッキー、悪いな。後は頼んだ』


 という、申し訳なさそうな声音の坂田さんの言葉が私の耳に入った。


 謝る事なんてないですよ、後は私に任せて下さい。と心の中で坂田さんに声を掛けてから、私は前を走る第四工場の走者を目で捉えた。


 この差をこれ以上広げられない様にキープする事が出来たなら、きっと立花さんが第四工場のアンカーを抜き去ってくれるだろう。


 だけれど、私は、自分の力で第四工場の走者を抜き去りたい。


 いつも良くしてくれる気の良い先輩が、申し訳なさそうに、あとは任せたと私にバトンを託したのだ。


 一工場には坂田さんを責める者などいない事は分かっている。


 全力を出した結果ミスを犯した人間を非難する様な者は、ここには誰一人としていない。


 ミスをして、間違えて、人を傷つけて、この牢獄に辿り着いた私達。


 出来る事なら、もう二度と間違える事などしたくはないと願った所で、かるまを背負って生きている以上、どうしたってミスはついて回るのである。


 だからこそ、尊敬する先輩のミスは、私が消し去ってしまいたいのだ。


 間違ったっていい、失敗したっていい。


 かつて間違いを犯してしまった時には助け合える仲間がいなかったとしても、今の私達には仲間がいる。


 仲間と助け合いながら生きる人生ならば、何度間違えたって立ち上がれる。


 どんなに打ちのめされたって、不死鳥の様に復活出来る。


 坂田さんは、私の大切な仲間なのだ。


 私が前を向いていく為の力をくれた気の良い青年なのだ。


 だから、今度は私が、彼のミスを挽回する。


 たかだか、運動時間のお遊びのリレーに過ぎないと言われればそれまでであるけれど、でも私は、これからの人生で出会う出来事は、もう何一つ蔑ろにしたくはないのだ。


 私の前を走る彼を抜き去る。


 今出せる、私の最高の力で。


 それで足りないのなら、最高を超えた力で、何としてでも彼を抜き去る。


 強い思いの力で、物理的な限界を乗り越える。


 限界なんて、思いさえあれば超えられるのだと、今の私は知っているから。


 拘置所から刑務所に送られて、刑務所の工場に配役されたばかりの頃は、グラウンドを全力で一周走るだけでも、裏腿うらももからお尻にかけて、経験した事の無い様な激痛が走り、とてもじゃないけれど、先輩達の様に何周もグラウンドを走るなんて無理だと思っていた。


 それがどうだ?


 今では私は、400mリレーの工場代表メンバーとして、四工場とのリレー対決にのぞんでいる。


 諦めなければ夢は叶う等と、無責任な言葉を吐くつもりはないけれど、でも、諦めなければ夢は終わらないという事を、今の私は知っている。


 終わらない夢のその先に、きっと、幸福であるとか、生きる意味であるとか、平和な世界が待っているのだろうと思う。


 だから、今、この戦いを蔑ろにする事なんて出来ない。


 何一つ諦めない。


 終わらない夢を生きる為に。


 夢中が私を何度だって奮い立たせてくれる。


 年齢差なんて関係ない。


 運動能力の差だって関係ない。


 強い思いは、現実を貫く力を持っている。


 第四工場のリレー走者との差が、じわりじわりと縮んでいく。


 足が思う様に動かない。


 息が苦しい。


 肺が悲鳴を上げている。


 だからどうした?


 私は絶対に勝つ‼︎


 勝つと決めたのだから。


 諦めないと決めたのだから。


 グラウンドの3分の2を通過した所で、私と第四工場走者の差は詰まり、殆どない。


 絶対に追い抜いてやる。


 ここで負ける訳にはいかないのだ。


 こんなにも熱い思いを抱ける私になれたのは、ここにいる仲間達のおかげなのだから、今度は私が仲間に恩を返す番だ。


 肺の上がる悲鳴を無視して、私は何度も限界を超える。


 私と第四工場走者は最後のカーブに差し掛かり、いよいよバトンはアンカーへ渡ろうとしている。


 

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