第55話 遺族の聲

今日の慰問講演の登壇者は10年前に殺害された女性の母親。


刑務所スタッフの紹介を受けて登場した女性の顔には未だに消えない深い悲しみが刻まれている。


「私の娘はとてもやさしい娘でした。自分の事よりも人の事、困っている人がいたら放っておけない。いつも笑顔でやさしいから沢山の友達に囲まれていた、そんな娘の命は自分勝手な加害者の手であっという間に奪われてしまいました。」


坊主頭の男達は静かに遺族の声に耳を傾けている。


「どうして私の娘があんな目に合わなければならなかったのか、いつでも人にやさしいあの娘が、どうして苦しい思いをしなければならなかったのか。この世界に神様がいるのなら、何を考えているのか、どういうつもりなのか。収まらない怒りが溢れ出してどうにかなりそうな日々を過ごしていました。」


瞳を閉じて聲を震わせながら、遺族の女性が話を続ける。


「加害者は一方的に娘に恋心を寄せる男性でした。裁判では反省の色が見られず、自分はこんなにも愛しているのに、全然気持ちを理解してくれない、だから強姦したのだと、そして犯行がバレるのが怖いから殺したのだと、これから社会的に死ぬ自分も被害者なのだと言いました。私にはそんな思考回路の人間がこの世界に存在している事がしんじられませんでした。」


先程よりも聲を震わせながら、それでも力一杯、女性は話続ける。


「判決は無期懲役でした。でも娘が返ってくる訳ではないし、私の怒りが収まる事もありません。刑務所の中とはいえ、犯した罪を微塵も反省する気のない男がこの世界にのうのうと生きている。この世界の不条理が受け入れられませんでした。せめて男には自分が奪った命の重さ、罪と向き合って、命が終わるまで逃げずに苦しみ続けて欲しいと思いました。」


女性は一旦天を仰ぎ大きく息を吸うと、また喋り始めた。


「娘がこの世界からいなくなった日から、私の生きる意味がなくなりました。私の世界の全ては娘だったのだと娘がいなくなって初めて知りました。この世界に会いたい人がいなくなれば寂しさすらも感じないと初めて知りました。加害者に感じる怒りさえも、私を生かしていた娘への愛の代替品として自分を生かす為に無理矢理補填された私の心が無理矢理に作り上げた感情なのではないかと嫌悪感を感じてしまいました。正直加害者なんてどうでもよかった。ただ娘が帰ってくればそれでよかった。娘が帰って来ないのならば加害者にどれだけ重い刑罰が与えられようとどうでもよかった」


私の席からは女性が握りしめる手に力を込めるのが見えた。


「だけれど、ある時、どうでもよくないよって娘の聲が聞こえてきた様な気がしたんです。どうでもよくないんだよって。私の娘はもういないけれど、娘の様なやさしい娘はまだこの世界に沢山いる。その娘達にその家族に同じ思いをさせてはいけない。その為になにが出来るのか。私はまだこの世界に在る。それは加害者もまた同じ。私の心を占めていた娘がいなくなった事で空いた穴を被害者への怒りで埋めた所で新たな被害を防ぐ事には繋がらない。だとしたら、私は逃げちゃいけないんだって。戦わなくちゃいけないんだって。そう思ったんです。娘なら自分の受けた苦しみを嘆くより、新たな苦しみを生み出さない為に行動するはずだから、だから、私は戦う事に決めたんです」


女性の手に更に力が込められる。


「私は加害者に面会に行きました。自分の怒りをぶつけるのではなく、新たな被害者を生み出さない為の話し合いの為に。」


坊主頭の男達は相変わらずの姿勢で女性の言葉に耳を傾けている。


「被害者は孤独の中で生きていると思っていたと言いました。社会に蔑ろにされていると思っていたと言いました。自分は不幸なのだと思っていたと言いました。でも、それは全部自分のせいだったのだと今は思うと言いました。私の娘を殺した事を心の底から後悔していると言いました。こんな事を言って気分を害されたら申し訳ありませんと断ったあとで、もし自分の命と交換に娘を生き返らせる事が出来るなら迷わず自分の命を捧げると言いました。でもそんな事は出来ないから、娘の命の重さ、自分の犯した罪の重さから逃げずに命が終わるまで全力で生きると言いました。本音かどうかは分かりません。1日でも早く社会復帰する為の方便かもしれません。でも私に出来るのは彼と話し合う事、そしてその話の中から新たな被害者を生み出さない為のヒントを手に入れる事。そして、それを広く人に伝える事。だから今日、私はここに来ました。私の戦いの為に来ました。受刑者の皆さんの更生に役立つ為という綺麗事ではなく、個人的な私の戦いの為、もう娘の様な被害者は生み出したくないという私のエゴの為にここに来ました。」


瞼を開いた女性と目が合った。


「今日、私が最後に皆さんに言いたい事はひとつだけ。精一杯命の限り生きて下さい。」


私の拙い話を最後までご清聴いただき、ありがとうございました。と言うと女性は講堂を後にした。


講堂には真剣な眼差しを浮かべた600人の坊主頭が姿勢正しく座っている。


精一杯命の限り生きるよ。


どこかで独り言ちる様に呟かれた言葉は、刑務官にも聞こえたのだろうが、誰も懲罰房行きにはならなかった。

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