第54話 慰問講演
ある日の強制指導日。
今日は慰問イベントがある日だ。
慰問イベントとは更生に役立つ講演やエンタメの催し物など外部からゲストを招いて行われる行事である。
慰問イベントとはいえ、受刑者達は娑婆のフェスの様に飛び跳ねたり騒いだりする事は出来ない。
流石に笑う事くらいは許可されるが、その笑いすらも度を越したら懲罰房行き。
もちろん私語も即懲罰なので、そんな状態で2時間講堂の椅子に座っているとう事は大多数の受刑者にとっては苦痛でしかない。
なので、受刑者達が喜ぶイベントと言えばもっぱら、体育際や水泳大会、工場内でのカラオケ大会など、自分達が主役となるイベントである。
その上、今回はエンタメ系の出し物ではなく、被害者遺族の啓発系の講演なので、なおさら受刑者達の気は重い。
だが、しかし、受刑者に欠席という選択肢はない。
出席or懲罰。
だから行かねばならぬ。
出房の時間が来た。
囚人服に身を包んだ600人程の坊主頭の男達が講堂に集結する。
娑婆にいた頃は受刑者なんていう生き物に出会った事は無かった。
しかし今、私の目の前には600人もの犯罪者がいる。
しかも、これはK少年刑務所だけの話である。
私の人生においてほぼファンタジーと同義であった刑務所という現実とは切り離された世界。
だが自分がその世界の住人になってみると、それは間違いなく現実なのである。
人生は小説よりも奇なり。
はたして本日の慰問イベントはどうなるものか。
私個人としては、とても楽しみである。
開園まで10分前、静まり返る600人の坊主頭。
異様。
娑婆でのイベントであれば開園前の興奮を同伴者と共有しあったりする事のあるだろうが、ここは刑務所。
隣の受刑者に目配せする事も出来ない。
姿勢を正し手は膝の上、真っすぐ前を向いて目を閉じて待機。
キツイのは受刑者だけではない。
こんな雰囲気の中出てくる出演者だってたまったものではないはずだ。
それでも、少しでも受刑者達の為になればと刑務所へ足を運んで下さる出演者の方には本当に頭が上がらない。
広い講堂で沢山の坊主頭に囲まれながら目を瞑って待機する時間が私は好きだ。
犯罪を犯して逮捕されてから、K少年刑務所の第一工場に配役されるまで、これからの人生の事なんて考えようとも思わなかった。
私は社会的に死んだ日に一度死んだのだ。
何かの比喩ではなく、本当に私は死んだ様に生きていた。
何も感じず、何も期待せず、世界も自分すらも、何もかもがどうでもいい。
そんな日々の中で、第一工場の少年達に出会った。
確かに彼らは間違えたかもしれない。
でも程度の差はあれ、誰だって間違えるのではないだろうか。
人生に答えなどないのだから。
誰も正解など知らないのだから。
今の時代のこの国の刑事訴訟法で悪とされている行為だって、時代が変わり支配者が変われば悪ではなくなるかもしれない。
間違いなんてあいまいなもので、社会から弾かれて孤立する。
社会なんてデタラメに馴染めなければ生きていけない。
間違えないで生きていける人間はよほどのサイコパスか間違いを隠すのが上手な詐欺師か。
世界の仕組みなんて意識する事もなかった。
私固有のイデオロギーなんてものは有してはいない。
それでも、変えたいと思った。
誰かがこの世界を定義するのはおかしいと思った。
民主主義だろうが多数決だろうが、世界なんて定義できるはずがない。
人間80億人いれば80億通りの世界があるのだから、世界を定義する事なんて出来るはずがないではないか。
間違いなんてどこにもないのだ。
正解なんてどこにもないのだ。
ただ存在があるだけで、間違いでも正解でもない。
ただ、それだけなのに。
自分達で自分達の手足を縛り付けて自由を失い法治国家という名の下に犯罪者という者を作り出して刑罰を執行する。
私達は一体なにをやらされているのだろうか。
くだらない事を考えていたら時間はあっと言う間に過ぎた様で、いよいよ慰問イベントが始まる様だ。
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