第10話 私が社会的に死んだ日

 早いもので、私が刑務所に収監されてから、もう2ヶ月が経とうとしている。


 刑務所では覚えなければならない独自のルールが沢山あり、慣れない環境で生活する日々は、まるで娑婆しゃばとは時間軸が異なっているかの様に、あっという間に流れていった。


 ようやく刑務所での生活にも慣れてきて、少しづつではあるけれど、この工場にも私の居場所が出来始めた。


 逮捕されてからもう8ヶ月が過ぎようとしている。


 私の人生が180度変わってしまったあの日。


 もう人生は終わってしまったのだと絶望したあの日。


 あの日、私は、社会的に死んだのである。


────


 朝の7時30分。


 めったに鳴る事の無いインターホンの音が私の家に響き渡る。


 こんな時間に、一体誰であろうか?


 読みかけの新聞をソファーのサイドテーブルに置いて立ち上がると、私は玄関へ向かった。


 玄関ドアを開けると、そこには2人組のスーツ姿の男達が立っていた。


 『天月あまつきつかさだな?』


 2人のうちの1人が、けわしい表情で私にたずねる。


 『はい、そうですが、何の用でしょうか?』


 よくよく考えてみれば、この男達はどうやってオートロックをくぐり抜けてきたのであろうか?


 そんな事を考えていたら、険しい表情の男が何やら手帳の様なものを取り出したかと思うと、それを私に見せてきた。


 『警察だ。天月、もう分かってるだろ?』


 警察手帳を開いた男が、鋭い眼光を私に向ける。


 『いえっ、何も分かりませんが』


 いきなり早朝に人の家に押しかけて来て、【もう分かってるだろ?】とは、国家権力というものはあまりに横暴が過ぎるのではなかろうか?


 『そうか、とにかく、任意で警察署まで事情聴取に来てもらう。早く準備しろ』


 険しい表情の男が、高圧的な態度で私にまくし立てる。


 『任意なら、断る事も出来るんですよね?』


 『いいから早く準備をしろ』


 私の言葉など、はなから聞く気がないのだろう、険しい表情の男は、苛立ちを隠そうともしない。


 『あの、今日、これから仕事があるんですけど』


 『お前が協力的ならすぐに終わる。だからさっさと準備をしろ』


 最低限の荷物を持って家を出ると、私は男達の乗って来た車の後部座席に乗り込んだ。(パトカーではなく、ワゴン車であった)


 車に乗るや否や、険しい表情の男が、私が犯したとされる罪を読み上げて、これはお前の犯行で間違いないか?と尋ねてくる。


 『私はそんな事はしていません』


 と答える私に、


 『そうか、分かった。詳しい事は署で聞かせてもらう』


 と返してきたきり、険しい表情の男は黙ってしまった。


 警察署に着くと、逮捕状が用意されていた。


 任意の事情聴取と言いながら、既に逮捕状が発行されていたのである。


 そして、その日から、私は留置場りゅうちじょう勾留こうりゅうされる事となった。


 取り調べと官本かんぼん(留置場でレンタルしてくれる書籍)を読む事しかする事のない退屈な生活。


 今までの生活でろうに入れられた事など無いから、その精神的な苦痛ときたら筆舌に尽くし難いものであった。


 さらにはシャブ(覚せい剤の事)が抜けきらない被留置者が、一晩中喚き散らすからとても眠れたものじゃない。


 こんな世界があったのかと、今まで私の生きてきた世界とはまるで違う劣悪な環境に、私は身も心もすり減らしてしまった。


 もうおしまいだ。


 私の人生は終わったのだ。


 犯罪者となる事は、よく社会的な死であると言われる。


 社会的な死と言っても、生物学的には生存しているのだから、いくらでもやり直せるじゃないかと、当事者になる前の私は考えていたものであるが、いざ実際に社会的死というものを経験してみると、それは、確かに紛れもない死そのものであった。


 もう私は人間ではないのだ。


 社会的に死ぬという事は、人間ではなくなるという事なのだ。


 私には執行猶予がつくのか、それとも実刑判決を受けて刑務所へ収監される事となるのかは分からない。


 でも、私は、心に決めた。


 牢から解き放たれる日が来たならば、私はその日の内に、この命を絶ってしまおうと。


 人間の心ではとても抱えきれない程の巨大な絶望が、私という人間を容赦なく押し潰した。

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