第51話 スケープゴートの帰還

小田さんが帰ってくる。


数ヶ月前に工場で就業中に奇声を発しながら走り出して懲罰房行きとなった小田さんは懲罰を終えた後、この第1工場ではなく第3工場に送られたのだが、どうやら3工場でも就業中にアガってしまった(懲罰行きになる事)らしく、再度の懲罰を終えて、またこの1工場へ配属される事となったのである。


なぜ、1工場でダメで3工場でダメでまた1工場に送られて来るのかというと、このK少年刑務所では、ピンクの受刑者(性犯罪者)用の更生プログラムが1工場か3工場でしか行われておらず、ピンク受刑者である小田さんの配属先の選択肢は1工場か3工場しかないからである。


ピンク受刑者にも職業訓練を受ける為に職業訓練を実施している工場へ移動するという選択肢も存在するのだが、小田さんの場合は本人の意思の面でも残り刑期の短さの面でもその選択肢は選べない。


なので、再度この1工場へ、かつての1工場のスケープゴートが帰還を果たしたのである。


工場前方にある衛生台で衛生係に今後の工場での生活に関して指導を受ける小田さんは、相変わらず自信なさげにうつむいている。


説明が終わると、小田さんが刑務作業に加わる。


刑務作業の面では問題の無い小田さんは一心不乱に作業に打ち込む。


人間関係さえなければ、しかし、娑婆でも刑務所でも、人間という生き物である以上は、結局全ては人間関係なのである。


成功も失敗も、幸福も絶望も、その元を辿れば全ては人間関係へと行き着く。


小田さんは、果たして刑務所の外で生きていけるのだろうか。


刑務所であれば、国民のお金で最低限の衣食住は確保出来る。


人間関係に疲れたのならば、懲罰房へ逃げ込めばいい。


刑務所なら、度を越えたイジメを受けたり、自ら自殺という選択をしない限り、お金が無くなり生きていけなくなるという事はない。


だが、娑婆では自分で自分の命を確保しなければならない。


その為には人間関係、円滑なコミュニケーション能力は必須なのである。


娑婆では自分の意思を主張出来ない弱者は再現なく搾取される。


肉体も心もボロボロになり、生きる意志を失い、最悪の場合には自ら命を絶つという選択肢を選んでしまう。


小田さんは、刑務所に入る前はどんな暮らしをしていたのだろうか。


刑務所ですらスケープゴートにされてしまうのだから、魑魅魍魎の蔓延はびこる娑婆で惨憺たる状況であったのは想像に難くない。


なぜ生かすのだろう?


どうして弱者を絶滅させないのだろう?


弱肉強食、食物連鎖。


人間の世界は当たり前を無くした。


自然界のルールは確かに残酷かもしれない。


でも、どうだろう?


森羅万象に適応されるはずであるルールを無理矢理捻じ曲げた結果、人間の世界のルールは自然界のルールよりも残酷になってやしないか?


弱肉強食、食物連鎖。それらのおかげで、この世界に適応出来ない生物は絶滅する事が出来る。


今でさえ適応出来ないのに、この先もっともっと加速度的に進化する世界に無理矢理弱者を連れていく事が、その世界に立たせる事が、本当にやさしさなのだろうか?


色々な事を考える。


久しぶりに私の目の前に現れたスケープゴートは私に問いかけてくる。


人間の世界は本当にこの形でよいのか?と。


何が正解かはわからない。


少なくとも、今の私はなんとか絶滅しない程度にはこの時代についていけているし、他者に評価を仰げば弱者にはカテゴライズされないのかもしれない。


でも、いつついていけなくなるか分からない。


それほどに、時代のスピードは速すぎるのだ。


だから、少なくとも私は、自分が時代についていけなくなり、社会の制度や他者の差し伸べる手に助けられなければ生き残れないというのなら、絶滅した方がいいと考えている。


小田さんはどうなのだろう。


外力によって無理矢理命を引き延ばされているだけだとしても、それでも生きていたいと思うのだろうか?


息を吸ってはいてしているだけの生命いのちだとしても、それでも世界ここに在りたいと願うのだろうか?


それとも、生物としての生存本能に従っているだけで、何も考えてはいないのだろうか。


何が幸せかなんて、誰にも定義できない。


幸せになる事が必要なのかも分からない。


極論を言ってしまえば、我々有性生殖をする生物は余計な事はせずに有性生殖だけしてればいいのだ。


文明なんて作らなくていいし、生活を豊かにしなくてもいい、資本を拡大しなくてもいい。


ならば、なぜ理性や思考というものが備わっているのだろう。


そして、それを使う者と使わない者がいるのだろう。


個人に個体に意味はあるのか?


意味がないのなら、なぜヒエラルキーは生じる?


なぜ、自尊心を保つために人を踏み潰す?


なぜスケープゴートが必要なのだ?


わからない。


小田さんに聞いた所で意味はないだろうし、答えなんてどこにもないだろう。


あぁ、なんで私はこんなにも面倒くさい生き物に生まれてしまったのだろうか。


愚にもつかない事を考えていたら、刑務作業が終わっていた。


『番号』


『1・2・3・3』


『番号もとい、番号』


『1・2・3・3』


『番号もとい、番号』


『1・2・3・3』


『おい、小田ぁ~。3の次は4だろうがよぉ~!!お前いい年して数も数えられないのか?』

おやじの剣幕に、小鹿の様に足を震わせながら、小田さんが、

『ふぁい、すいまへん』

と答える。


『ばぁ~んごぉ~う』


『1・2・3・3』


『もういい、小田、外れろ』

小田さんが列から外れる。


『番号』


『1・2・3……58』


『イッチニッ、イッチニッ』


スケープゴートが一匹加わった第1工場の夏はまだまだ始まったばかりである。

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