第17話 坂田透

第1工場と第4工場の200m×5リレー対決。


第1工場の第2走者、K少年刑務所第1工場1班班長である中村さんの快走のおかげで、第1走者である仲根さんがつけた第4工場との差は更に広がり、このリレー対決での第1工場の勝利は確定したと言っても過言ではない。


第1工場のバトンは、第3走者の衛生係である横溝さんに渡り、第4工場との差は相変わらず広がるばかりである。


200m×5リレーも、いよいよ中盤に差し掛かり、ちらほらと私の出走する予定の400m×5リレーにむけて、ウォーミングアップの為に体を動かし始める受刑者も散見される。


『おい、ツッキー、何青い顔してんだよ。もしかして、緊張でもしてんの』

雑居房で一緒に寝食を共にしている、私の部屋の2番手である坂田さんが、私の背中をポンと軽く叩いた後で、ニヤけた顔で話し掛けて来た。


『はい、リレーなんて学生振りですし、それに、やっぱり、出るからには勝ちたいので』


こんなにも胸がドキドキするのはいつ以来であろうか。


こんなにも不安な気持ちになるのはいつ振りであろう。


こんなにも勝ちたいと渇望するのは……


『ツッキーは相変わらず真面目な男だなぁ、大丈夫、大丈夫、今日の相手は4工事なんだしこっちには、俺も含めて凄い奴等が揃っちゃってるんだからさぁ、もしもツッキーが緊張してバトンパスをミスっちゃっても、体がカチコチに固まっちゃって転んだとしても、俺達が圧勝出来るよ。だからさ、楽しもうぜ』

坂田さんが、グッと親指を立てて笑う。


彼は不正行為が大好きだけれど、決して仲間は傷つけないし、誰よりも仲間を大切にする気の良い青年である。


刑務所に入ってから、いや、留置所に収容されたあの日から、ずっと感じている事であるけれど、檻の中の人々の方が娑婆しゃば蔓延はびこ魑魅魍魎ちみもうりょう達よりも、よっぽど優しさで溢れている。


檻の中という閉じられた空間と、閉じられたコミュニティーで生き残る為の人間の生存本能がそうさせるのであろうか、と思った事もあるけれど、私は、やっぱり違う様な気がしているのである。


理由は人それぞれ違うけれども、ここにいる人々は皆世界に押し潰された人間達だ。


不遇が原因か、生活環境がそうさせたのか、或いは本能や欲望のままに動いた結果か、いずれにせよ、ここに収監されている人々は、皆この世界に、そして国家権力というあらがい様のない圧倒的な暴力に押し潰された結果としてここにいるのである。


痛みや苦しみを知ったから。


地獄を知ったからこその彼らの優しさなのであろうと、私は思わずにはいられない。


罪を犯した事は、もちろん決して許される事ではないけれど、犯した罪を心の底から悔いて本物の優しさを獲得出来たのならば、彼らはまた、誰かを幸せにし得る人生を歩む可能性を孕んでいるのではないだろうか。


或いは、私も……


『そうですね、やっぱり、せっかく走るからには楽しまなくちゃダメですよね』


『そうそう、せっかくの運動の時間なんだからさぁ、もちろん俺も楽しむし、ツッキーも楽しんで、見てる奴らも楽しませる、そしてもちろん圧倒的勝利を手にする。それがリレーメンバーに選ばれた奴等の責任ってやつだろう』

グッと親指を立てる坂田さんの笑顔は、少年の様に澄んでいて、思わずこちらの顔も綻んでしまう。


200m×5リレーのバトンは、いつの間にか第4走者であるもう一人の衛生係にして私の部屋の責任者である所の浅野さんへと渡っている。


不安と期待の入り混じる400m×5リレーが、もうすぐ始まろうとしている。

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