第5話 少年刑務所の英雄

 立花たちばなさんに関する噂は本当であった。


 今日、この工場へやって来た立花さんは、さっそく運動で噂通りの実力を見せたのである。


 生産作業の立役たちやくも、衛生係も計算係も、その他の座作業ざさぎょうに従事する受刑者達からすれば皆化け物の様な運動能力の持ち主であるのだが、立花さんの運動能力は彼らのそれとは一線を画すものであった。


 400mのタイムが46秒。


 高校のインターハイ決勝レベルのタイムである。


 元格闘家だという立花さん。


 全身を鋼の筋肉で覆われたあの重そうな体で、どうしてあれ程の走りが出来るのであろうか?


 そして、何より、スタミナが異常であった。


 刑務所の運動時間は限られている。


 工場就業のある日の朝(工場によって運動の時間は異なる)に、移動の時間を合わせて40分程の運動時間があるのみだ。


 工場就業の無い日は、舎房で午前と午後に15分ずつの運動(主に筋力トレーニング)が認められているが、中々体力をキープするのは難しい。


 しかし、立花さんのスタミナは無尽蔵であった。


 400mを走り終えた後のインターバルにも余裕の表情でついていく(座作業に従事する受刑者は400mを全力で走っただけで、息を荒げて倒れ込んでしまう)。


 これが、この刑務所のヒーロー。


 刑務所中に立花さんの名前が知れ渡るのも納得だ。


 立花さんは、ただ単に運動能力が高いだけという訳ではない。


 190cmはあろうかという高身長に、鋼の肉体、そして端正な顔立ちに、全身から放たれる禍々まがまがしい異様なオーラ。


 彼には人をきつける本物の力があった。


 私は、42年の人生の中で、いわゆる成功者と言われる人種にお目にかかる機会に何度か恵まれたが、彼らの誰一人として、立花さん程の魅力を兼ね備えた人間はいなかった。


 刑務所という閉ざされた世界がそうさせているのであろうか?


 少なくとも、私の目から見た立花さんは、間違いなく本物のヒーローであった。


 立役達の輪の中で楽しそうにお喋りする立花さんを、座作業者達が尊敬の眼差しで見つめる。


 皆、立花さんの本物の力に魅せられているのだ。


 刑務所の中では過去の栄光や娑婆しゃばでの肩書なんて何の意味もなさない。


 そんなものは、娑婆で旧時代式の下らない価値観を植え付けられたつまらない人間達の自己満足に過ぎないのだと、刑務所に収監されて、初めて気が付いた。


 刑務所の中で評価されるもの、それは、純粋な力のみである。


 それは頭の良さであり、話の上手さであり、人間関係の上手さであり、運動能力の高さである。


 ここでは本物しか通用しない。


 口先だけの偽物はあっという間に淘汰される、美しいまでに冷酷な完全実力社会。


 娑婆でどれ程威張り散らしていた人間も、力が無いのであれば、刑務所ヒエラルキーの最下層で、細々と目立たぬ様に生きていくしかないのである。


 だから私は、この工場に本物が来てくれた事が、心の底から嬉しいのである。


 目指すべき理想が、今、私の目の前に立っているのである。


 ありがたい。


 私は、いつの日か、立花さんを超えて、この刑務所のヒーローになってみせる。


 年齢なんて関係ない。


 男に生まれて来たのなら、天辺を目指すのは当たり前の事だから。


 私は、新しく立花さんの加わった運動トップチームへ加わって、地獄のインターバルにくらいつく。


 ヒーローへの道は、今、ここから始まるのである。



 

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