第3話 強者が出世する世界

 少年刑務所では、運動が出来る人間は皆から一目置かれる。


 私の配属された工場での作業は、耐震材を作る作業。


 耐震材と言うと聞こえは良いが、座金と呼ばれる鉄の板にプラスチックをはめ込んで、皿バネという中心に穴の開いた円盤状の板をその中に詰め込んでいくという、単純作業である。


 配属されたばかりの私は、押し込みというプラスチックをハンマーで座金にひたすらはめ込んでいくという、単純作業に従事している。


 作業中は会話はもちろん、脇見わきみ(手元以外を見る事)も許されない。


 もし、その様な事をしようものなら、すぐさま懲罰房に送られてしまうのである。


 娑婆しゃばでのやり甲斐のある仕事には遠く及ばない、地獄の単純作業。


 しかし、この気が狂ってしまいそうな単純作業から抜け出し、工場を歩き回りながら作業をしている受刑者達がいる。


 彼らは立役たちやくと呼ばれ、帽子(受刑者は皆帽子を被って作業している)には赤い線が入っており、安全靴を履いている(座作業者は官物【支給品の事】の靴か自分で購入した運動靴で作業する)。


 赤い線の入った帽子を被り、黒い安全靴を履く事は、この工場の受刑者達の一種のステータスなのである。


 生産作業の立役は、座作業者へ材料を運んだり、完成品を業者へ納品する為に運搬したりと、工場を歩きまわり、立役同士で会話(もちろん作業に関する事である)をしたりと、ある程度の自由を与えられているのだ。


 一日中手元を見て、座りっぱなしの単純作業をする我々座作業者とは訳が違う。


 そして、そのさらに上をいく自由を与えられているのが、おやじ(刑務官)の補助及び、受刑者の生活や工場の運営に関する仕事をする、計算係と衛生係だ。


 彼らの自由度は、その他の立役とは一線を画す。


 受刑者の購入した漫画や雑誌等を舎房に入れる為に手続きをする彼らは、その役得で、作業中に漫画や雑誌を読んだり、更には、作業に関係の無い雑談をしていたりするのである。


 昔この工場で計算(工場のトップ)をしていた男は、放送大学の通信授業を受講しており、DVDプレーヤーを貸与されていたらしいのであるが、工場の受刑者が購入したズリ本(エロ本の事をこの刑務所ではズリ本と呼んでいる)の付録のDVDを不正に舎房に持ち込み(本来付録のDVDは廃棄処分になる)、貸与されたDVDプレーヤーで見るという伝説を残している。


 そんな夢の役職である立役になる為の一番の近道、それが運動で目立つ事なのである。


 成人刑務所と違い、20代前半の若者が大半を占める少年刑務所では、面白い人間と、運動が出来る人間がヒーローになれるのだ。


 立役は皆足が速い。


 足が速い人間が皆から尊敬されるなんて、まるで小学生の様であるけれども、この少年刑務所のヒエラルキーの頂点に立つには、足の速さはマストなのである。


 そんな少年刑務所の運動の時間は、まるで高校の運動系の部活動の様に、極限まで体をいじめ抜く。


 準備運動を終えてグラウンドを1周ジョグしたら、地獄のインターバルが始まる。


 インターバルとは、1周200m程のグラウンドをひたすら30秒で走り続けるというまさに地獄のトレーニングなのである。


 3つのグループに分かれるので、30秒走れば1分の休憩がある。


 最初の数回は、まだスタミナもあるのでついていけるのだが、5回目・6回目となってくると、30秒以内で1周するのがキツくなってくる。


 30秒以内に1周出来なければ、腕立て伏せ50回のペナルティー(1分の休憩中にやらなければならない)があるので、さらに体力を奪われて、いよいよ30秒以内に1周するのが無理になる。


 それでも私は、42歳にして、この工場での運動トップグループになんとかくらいついていたので、立役から一目置かれる様になった。


 『おい、天月あまつき。ペース落とすな、踏ん張れ、最後まで追い込め』


 生産作業の立役である中村さんが、私に声を掛けてくる。


 『はいっ!!』


 私は裏腿うらももと肺の痛みを堪えながら、何とか最後の力を振り絞って30秒ギリギリでゴールする。


 息を荒げて天を仰ぐ私に、運動制限(医務から運動を止められている受刑者の事)がお茶の入ったコップを差し出す。


 『ありがとうございます』


 運動中のお茶は、娑婆で飲むどんな飲み物よりも美味い、魔法のドリンクだ。


 これがあるから、今日も私は頑張れる。


 まさか、私の人生に、若本達に混じって全力で運動する日が訪れるなんて、一年前には想像だにしなかった。


 私は今、たまらなく青春している。


 満身創痍まんしんそういで見上げた空は、雲一つ無い快晴であった。


 

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