16.ちゃんと甘やかしますよ

 夜、レナートは夢を見た。


 ああ、まただ。


 夢を見ながら、どこかで、そう認識していた。


 ヴェルナスタ共和国は、遠く海外にも、交易こうえき中継拠点ちゅうけいきょてんとなる港町だけを飛び石のように領有している。


 世界大戦による帝国主義の崩壊ほうかいと、各国の植民地の独立で多少の混乱はあったが、ヴェルナスタ共和国は地域に融和的ゆうわてきだったこともあり、ほとんどの海外拠点かいがいきょてんをそのまま領有し続けていた。


 五年前の夏、レナートは妹のプリシッラ、母親のオフィーリアと一緒に、ガレアッツオの海外拠点かいがいきょてんの視察に帯同たいどうした。


 オフィーリアは三十二歳、レナートと同じ銀髪ぎんぱつを腰までまっすぐ伸ばした、笑顔の綺麗きれいな女性だった。


 八歳のプリシッラは、ガレアッツオの褐色かっしょくが少し混じった黄金色こがねいろの髪を肩で切りそろえた、大きなひとみが愛らしい少女だった。


 ガレアッツオは半分仕事だが、旅行のようなものだ。蒸気式旅客船じょうきしきりょきゃくせん、二隻の船団で、異国のような港町を周遊しゅうゆうした。


 初めて目にするものばかりで、レナートもプリシッラも、とても興奮したのを覚えている。


「お母さま、聞いて! 前の港町で買った芒果マンゴ、最後の一個を、お兄さまが一人で食べちゃったの!」


「こら、言い方がずるいぞ! 二人でわけた分を、おまえが先に食べ終わってただけじゃないか」


「まあ。それじゃあ、私も一つもらっていたはずだから、それをあげましょうね」


「母さん、プリシッラを甘やかさないで。どんどんちゃっかり者になって行くんだから」


「レナートも、ちゃんと甘やかしますよ。抱っこして、口づけしてあげます。何回で芒果マンゴの一個分にしてくれるかしら?」


「あたしも手伝う! お兄さま、こっちこっち!」


「……知らないよ、もう」


 仲の良い家族だった、と思う。


 帰りの航路こうろで、嵐に遭遇そうぐうした。


 熟練じゅくれんの船員たちが必死になって船を支えたが、いよいよ、ガレアッツオたちの乗船していた船がたなくなった。


 もう一隻に乗り移るしかないが、かたむく船内と荒れ狂う海で、それも至難のわざだった。


 この辺りの記憶は断片的だ。


 倒壊とうかいした壁に、頭を打たれた。オフィーリアとプリシッラは、なにかの下敷きになったようだ。


 ガレアッツオが、レナートだけを抱いて運んだ。悲鳴と破壊音が連鎖れんさする船内を、赤く染まる視界で見ながら、レナートは意識をくした。


 ヴェルネスタの病院でレナートが、一人きりで目覚めた時、ガレアッツオはもう主宰ドージェの仕事に戻っていた。


 海難事故かいなんじこ後処理あとしょり、オフィーリアとプリシッラを含めてくなった船員たちの国葬こくそう、家族への補償ほしょう、船の耐用年数の見直しと船体の脆弱性ぜいじゃくせいの調査、改善、多くの実務を指示した。


 そして翌年の初夏、主宰ドージェとしてヴェルナスタ共和国の国事こくじである<海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>に参列した。


 <海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>は主宰ドージェが国民を代表して、海のめぐみに感謝をささげる祝祭しゅくさいだ。


 二本の大運河カナル・グランデが合流する主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレの南岸から主宰公式船ブチェンタウロ進発しんぱつして、華やかに飾られた大小様々の船団と共に、海洋に出る。


 そして主宰ドージェが『海よ。われなんじと結婚せり。永遠になんじが、われとあるように』と宣誓せんせいし、海に指輪を投じる。


 ヴェルナスタ共和国が、国民すべてが、海のめぐみと共にるようにといのるのだ。


「私の……主宰ドージェ役割やくわりであり、責任だ」


 ガレアッツオは昨日と同じ言葉を、問いつめるレナートに言った。


 海も嵐も、自然の現象だ。太古から人間が神とおそれ、うやまい、なだめ、あらぶればなすすべもなく翻弄ほんろうされてきた、自然そのものだ。


 うらんでも仕方がなく、なげくならあくまで主観的な不運と、理不尽しかない。そんなことはわかっていた。

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