34.友達なの

 翌日の朝食も、ロゼッタ一人だった。


 ロゼッタは好機こうきに確信を持った。授業の間、ずっとそわそわしていた。学校が終わったら、自分でも感心するほどの素早さで、市街に駆け出した。


 エンリコの小型船ゴンドラに乗せてもらえれば早いのだが、いつも使っていたし、バティスタがなにかしら言い含めている可能性がある。


 エンリコが気にしなくても、学校帰りの寄り道で、夕暮れも近い。後で責められたら、迷惑がかかるだろう。


「こう見えて戦術家よね、あたし」


 ロゼッタは頭の回転を自賛じさんした。


 ヴェルナスタの市街は、水路と橋の入り組んだ芸術っぽい迷宮で、それ自体が子供の絶好の遊び場だ。水路のへり、壁の穴、建物の隙間すきまや抜け道を通って、最短距離でいつもの広場にたどり着く。


 少し暗くなってきた時間のせいか、人の姿はなかった。


 仕方がない、ここから一番近いのはイレネオとフランカの家だ。ロゼッタは小さな路地に入ろうとした。


 視界の端で、黒い影が動いた。咄嗟とっさに、この前のねずみを思い出して、ロゼッタの腰が引けた。


 ねずみではなかった。もっと大きい。


 子供だ。汚れていても、淡い金髪のくせ毛がわかった。女の子だ。


「フランカ……っ?」


 五歳のフランカが一人で、小さな路地の道端に倒れていた。ロゼッタが慌てて駆け寄った。


「フランカ……! フランカ、どうしたのっ? しっかりして!」


「あ……ロゼッタ……ちゃん……?」


 しゃがみ込んで抱き上げると、フランカが、苦しそうに顔を向けた。


 ロゼッタは息をのんだ。


 小さなフランカの顔にも、ひどく汚れた衣服から出た手足にも、まっ黒なあざがあった。


「だ……誰にやられたの? こんな……ひどい……っ!」


「助けて……お願い、お兄ちゃんが……」


 フランカの声を、乱暴な男の大声がかき消した。


「おい、離れろ! その子供に触るな!」


 ロゼッタの身体が、反射的にすくんだ。大人の男から、これほど強い怒声をぶつけられたのは初めてだ。怖い、と思うひまもなかった。


 それでも、フランカの痛々しいあざが目に焼きついて、ロゼッタの腕を動かした。


 路地の先から何人かの人影が走ってくる。フランカを抱きしめて、近づいてくる男たちをにらみつけた。


「あんたたち……っ! こんな小さな子に、なんてひどいこと……」


「違う! 我々は……」


 先頭の一人の言葉を、後ろの男たちがさえぎった。


「駄目だ、もう遅い」


「連れて行くしかない……逃がすなよ。おい、他に誰かいないか、周囲をよく確認しろ」


 男たちが二手に分かれて、ロゼッタとフランカを囲みながら、広場や路地を捜索そうさくした。


 男たちは軍服を着て、医療局の腕章わんしょうをつけていた。分厚い手袋をして、顔も目以外を灰色の覆面ふくめんで隠していた。


 ロゼッタは呆然と男たちを見て、言葉を反芻はんすうした。


 フランカを抱きしめた時、フランカがうめいて、汚れた衣服の下でなにかがつぶれた感触がした。じわりと、みのような新しい汚れが、衣服ににじみ出してきた。


 間近で見ると、フランカのあざには外傷がなかった。肌の下に血がよどんでいるように、ただ黒ずんでいた。



********************



 男たちに連れられたフランカの家で、ロゼッタはバティスタと対面した。全身を包む灰色の衣服と覆面ふくめんで、目しか見えなかったが、間違えようがなかった。


 バティスタの目が、少しだけ見開かれたようだった。


「やむを得んな……例外は認められない。おまえも、ここに隔離かくりする」


「お父さま……これは……」


「危険な疫病えきびょうだ。感染の原因を、突き止めなければならない」


 ロゼッタは、足がふるえた。


 バティスタは明言しなかったが、この症状しょうじょうは子供でも知っている。黒死病こくしびょうと呼ばれ、大陸で大流行した時は村の一つ二つ、街の一つ二つが全滅したとも言われている。


「あたし……死ぬの……?」


「週末休日から数えて今日で五日、おまえは発症はっしょうしていない。接触も限定的だ。助かる可能性はある」


「……フランカは……」


「少し前に、両親も上の子供も死んだ。この一帯で、すでに多くの死者が出ている」


 事実だけを言い、結論を出してから、バティスタはため息のようにつけ加えた。


「最善を尽くそう」


 バティスタは机の上の機械に向き直った。


 見渡せば、他にも屋敷にあった機械やら、薬品やらが運び込まれていた。バティスタと同じような格好をしているのは、屋敷に出入りしていた大人や、医療局の人間だろう。あちこちの壁や床、散らばったごみみたいなものから、かけらを集めてなにかの作業をしている。


 隣や近所の家で病人をたり、薬みたいなものを塗ったりいたりしているのは、街のお医者さんかも知れない。覆面ふくめんと手袋は同じだが、服装がまちまちだった。


 水や食べ物、よくわからない箱を忙しく運んでいるのは、フランカを追いかけてきたような軍の人だ。厳しい目で人の数や、路地の物陰なんかを交代で確認している。


 その誰もが、こまめにバティスタに連絡に来て、バティスタがいつものように傲岸不遜ごうがんふそんに指示を出した。反発する者は一人もいない。


 目的を共有して、大勢の人間と政府機関が動いている。役割が分担され、それぞれがそれぞれの立場で、できることをやっている。必要な物とお金が、必要な場所で、必要な時に動いている。


 ロゼッタには、それがわかった。


 だから、これは意地だった。


「お父さま、お願い。フランカと一緒にいさせて……友達なの」


 バティスタが作業の手を、少し止めた。


 それだけで、なにも言わなかった。


 ロゼッタはきちんと手と足をそろえて、頭を下げてから、フランカが運び込まれた部屋に走った。

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