35.約束していたの

 小さな家の、小さな部屋だ。寝台だけは大きくて、薄汚れたみの残る布に埋もれて、フランカが一人きりで眠っていた。


 ひたいに触れると、高熱があった。汗ばんだ肌はどこも赤黒い斑紋はんもんが浮かんで、時々、せきをした。


 ロゼッタは寝台の横に座って、フランカの手を握った。


 ずっと、そうしていた。


 夜に、一度だけ医療局の人が現れた。注射をすると、フランカが重そうに目を開けた。


「フランカ……っ! あたしが、わかる……?」


「ロゼッ……タ……」


 ロゼッタはフランカの手を、握りしめた。


「ごめん……ごめんね……! あたし、なにもできない……なんにも……して、あげられない……っ!」


 フランカが、わずかに首を、横に振った。


 ロゼッタは泣いた。


「ごめんね……! せめて……一緒に、いるから……! ずっと……一緒に……」


「……みんな……と……」


「え……?」


氷菓ジェラート……ありが……」


 ロゼッタの手を握り返して、フランカはまた眠った。ロゼッタも泣きながら、いつの間にか眠っていた。


 夜中に目が覚めた時、フランカは、もう冷たくなっていた。


 ロゼッタの目に、涙は残っていなかった。


 暗い部屋の中、ロゼッタのかたわらに、モルガナが座っていた。初めて見る、とても悲しそうな顔に、覆面ふくめんはつけていなかった。


「大丈夫よ。私は手品……いいえ、魔法アルテが使えるの。他の人よりちょっとだけ、病気とか、身体の中の変化には強いのよ」


 魔法アルテ、という言葉が、ロゼッタにはわからなかった。ロゼッタの髪をなでながら、モルガナが力なく笑った。


「でもね……他の人の、原因のわからない病気をちゃんと治すのは、魔法アルテでも難しいの。私も一所懸命、お父さんの手伝いをしたんだけど……ごめんなさい。力が足りなかったわ」


 モルガナの言葉がわからなくても、ロゼッタには関係なかった。


 モルガナを押しのけて、離す。フランカの遺体の、頭を抱いた。


「モルガナの、言う通りだった……お父さまは正しかったわ」


 ロゼッタの吐息に、淡い金髪のくせ毛が一房、枯れ草のようにゆれた。


「子供ができることなんて、結局、同情だけ……肝心な時には、なにも……」


「違うわ、ロゼッタちゃん」


「一所懸命にも、なれやしない……手伝うことも……なにも……」


 涙が残っていなかったから、ロゼッタは泣けなかった。泣けないまま、肩をふるわせた。


 フランカが助からないことは、ロゼッタにもわかっていた。


 それでも自分が大人だったら、しっかりと勉強をしていたら、やれることがあって、やれるだけのことをやった後だったら、こんなにひどい気持ちにはならないだろう、と思った。後悔とも違う、身を切るような痛みだった。


 モルガナが、立ち上がる気配があった。なにかを開くような音がして、少しの間を置いて、部屋が、ぽう、と明るくなった。


 ロゼッタは驚いて、首をめぐらせた。


 モルガナは初めて会った時の、品の良い薄黄色のドレスヴェスティートを着て、同じ色の日傘ひがさをさしていた。その日傘ひがさが、まるで昼間にめた陽光を放出するように、淡く光っていた。


魔法アルテを見せてあげるわ。フランカちゃんにも、約束していたの」


 日傘ひがさの光から、ぽ、ぽ、と、小さな光の泡があふれ出た。


 光の泡はゆっくり飛んで、フランカの遺体に触れて、包み込むように広がった。光はどんどん強くなって、フランカの遺体を、寝台の上に浮かび上がらせた。


 やがて暖かいだまりに溶けるように、フランカの輪郭りんかくが薄れていった。


「見えるかしら……フランカちゃん、笑ってるわ」


 モルガナの声が、どこか遠くから聞こえるようだった。


 ロゼッタは、フランカの顔を見た。そう見えて欲しいと、思っていたからかも知れない。ロゼッタにも、フランカの顔が笑っているように見えた。


「私もお父さんも、大勢の人を……フランカちゃんを、助けてあげられなかった。それでも今、フランカちゃんが笑っているのは……ロゼッタちゃんが、フランカちゃんを救ってあげたからよ。本当にごめんさい……それから、ありがとう」


 モルガナの言葉がみ入るように、光が明滅した。明滅の中に、フランカが薄れて消えた。


 その光も消えて、部屋が、静かな夜に戻った。寝台は空っぽになっていた。


 ロゼッタはなにもわからなかった。


 思うことも、考えることも、もう無理だった。


 最後に見たフランカの顔と、モルガナの言葉を抱きしめるようにして、ロゼッタは寝台に倒れて気を失った。

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