33.分量をわきまえろ

 ロゼッタとモルガナが家に帰ると、屋敷の玄関広間に、ロゼッタの父親バティスタ=ロッシリーニがいた。


 ロゼッタたちを出迎えたのではない。バティスタは侍従を連れて、ロゼッタと同じ赤い髪につば広の帽子をかぶり、黒灰色こくかいしょくの外出着を着て、これから出かけるところだった。


「御面倒をおかけしました、ラ・トルレ夫人シニョーラ・ラ・トルレ


 娘を連れたモルガナに向けて、バティスタが一礼した。三十二歳とまだ若いが、身体には重々しい厚みがあり、慇懃いんぎん仕草しぐさが良く似合っていた。


 ロゼッタが顔をしかめる。父親の、丁寧ていねいなようで傲岸不遜ごうがんふそんな、こういう態度が嫌いだった。


 バティスタも、同じような顔でロゼッタを一瞥いちべつした。


「ここ最近の行状ぎょうじょうは、少し目にあまるな。同情もあわれみも結構だが、分量をわきまえろ」


「……っ! ひどいわ! どうしてそんな……」


「ロッシリーニ家は医学の一門だ。財産もある。望む、望まないに関わらず、おまえが持っているもの、背負っている責任は、あのような平民の子供とは違う」


「違わないわ! 同じ人間よ!」


「自覚が足りないだけだ。学問を修めて、国立高等学校の第二分校に進め。これからは女も、学問で男と肩を並べる時代になる……この家の人間として、ふさわしい立場に立て」


 バティスタの一言一句が、岩のようだった。


 ロゼッタは歯噛はがみして、横を通りすぎるバティスタに、せめてもの憎まれ口を叩きつけた。


「なにが財産よ、笑わせないで! どうせまた、お偉いさんの御機嫌ごきげんを取りに行くんでしょう? そうやっておこぼれめ込んで、使いもしない薬や機械を買って……そのお金で、あの子たちがどれだけ暮らせると思ってるのよ! 医者だって言うなら、せめて病気の人をるくらい、したらどうなのよ!」


 ロゼッタの肩がふるえた。だがバティスタは、鼻で笑ったようだった。


「立場が違う。そんなことは、市街の医者がやれば良い」


 言い捨てて、バティスタは玄関を出て行った。侍従たちが後ろに続く。


 玄関広間には、ロゼッタとモルガナだけが取り残された。


 会ったばかりの他人のモルガナに、涙を見られるのが嫌で、ロゼッタは口を引き結んだ。


 早く一人にして欲しかった。そうすれば、みっともなく泣けるのに。


 動けないでいるロゼッタの手を、モルガナが握った。そして真正面にしゃがみ込まれて、目線が合った。


「ロゼッタちゃんは、間違っていないわ。でもね、お父さんの言っていることも、いつかわかるようになると思うの。正しさってね、一つだけじゃなくて、たくさんあるのよ」


「そんなの詭弁きべんよ……! いつだって、自分だけが正しいって顔をして……お父さまなんて、大っ嫌い!」


「そうね。私も、ちょっと腹を立てたわ。だって確認もしないで、あんな失礼な間違いをするんですもの」


「え……?」


「私、まだ結婚してないのよ。夫人シニョーラじゃなくて、お嬢さんシニョリーナだわ」


 モルガナの悪戯いたずらっぽい微笑ほほえみに、ロゼッタは、ぽかんとした。一呼吸して、老婦人の手を握り返して吹き出した。


 可笑おかしかった。


 あの父親が、目の前でそんな大失敗をして、しかも自分で気がつかなかったなんて、可笑おかしくて仕方なかった。


 大笑いしながら、泣いていた。泣きじゃくるロゼッタを、モルガナが優しく抱きしめた。


 ロゼッタは母親を覚えていなかった。母親が生きていれば、こんな感じなのかな、と、泣きながら思った。


「なんだか嬉しいわ。娘がいたら、こんな感じなのかしら」


 同じようなことを、モルガナがつぶやいた。


 ロゼッタは、聞こえていないふりをした。



********************



 ロゼッタの父親、バティスタはヴェルナスタ共和国の政庁の、医療局長を務めていた。えらそうに医学の一門などと言っていたが、ほとんど役人のようなものだ。


 もっとも、屋敷にはそれらしい医学書や実験機械、薬品保管庫などが所せましと置かれており、ロゼッタなんかは、屋敷の中の半分以上は立ち入り禁止だった。侍従なのか弟子なのか、いつもたくさんの大人が出入りして、実験だの勉強だのしていた。


 何人かの小間使いの人が、身の回りの世話をしてくれる以外は、ロゼッタは屋敷で一人だった。


「一人でも、ちゃんとしてるのね。ロゼッタちゃんはえらいわね」


「……そこまで行くと、娘を通りこして孫の扱いだわ」


「私ももう八十歳になるから、そうかも知れないわね。ロゼッタちゃんが可愛かわいいから、つい、見る目が甘くなってしまうわ」


 同じたくで夕食をりながら、モルガナがのんきに笑う。むずがゆくなって、ロゼッタは目をそらした。


 バティスタはいつも帰りが遅く、屋敷にいてもなにかの研究や実験で忙しそうだった。もっと小さい頃は、さみしいと思ったこともあったが、もう慣れた。


 だからモルガナも、新しい仕事の関係者と思っていた。


 違わなくもないのだろうが、モルガナの行動は、屋敷に出入りする他の大人たちとは、だいぶ変わっていた。


 屋敷の客間に逗留とうりゅうして、ロゼッタが学校から帰ると、ふわっと現れてお茶とお菓子に誘われた。夕食まで他愛たあいもない話をして、湯浴ゆあみの後で勉強を見てくれたり、難しい本をとんでもなく大雑把おおざっぱに省略して読んでくれたりした。


 どうせお目つけ役なのはわかっていたが、三日間を一緒にすごして、ロゼッタはモルガナが好きになっていた。


所詮しょせん、子供よね。手懐てなづけるのに、大した苦労はらないわ。お父さまも、言うことを聞かせたいなら、こういう戦術を学ぶべきよ。そう伝えておいて」


 くやしいから嫌味を言ったら、モルガナも困ったように笑っていた。


 四日目の夜、バティスタもモルガナも屋敷にいなかった。仕事で問題でも起きたのか、久しぶりにさみしいという感覚を思い出していると、寝台の中でひらめいた。


 これは好機こうきだった。


 明日は学校、その次は週末休日だ。いつもならラウルたちのところに遊びに行くのだが、先週の今週で、さすがにバティスタが許さないだろう。厳しく監視されるに決まっている。


 強引に抜け出して、お目つけ役のモルガナが叱責しっせきされたりしたら、それも嫌だ。


 週末休日は、おとなしくするしかない。だが、明日ならまだ、油断しているかも知れない。今日のように、帰りが遅い可能性もあるだろう。


 学校が終わったら、全力で走って、あの広場に行こう。


 勉強がおろそかになっていたことを父親に怒られて、しばらく遊びに来られない、そう言えばうそにはならない。二、三週もほとぼりを冷ませば、また隠れて遊びに行けるだろう。


 気にするようなみんなでもないだろうが、大事な友達には、礼節を尽くすべきだ。


 ロゼッタは上掛けにくるまりながら、ほくそ笑んだ。自分の発想が、とても素晴らしいものに思えていた。

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