7.私を感じて下さい

 すぐ目の前の水路から、昨夜と同じような、怪魚人かいぎょじんが上陸していた。


 なんだか身体を持ち上げるのに、少し苦労しているっぽい。良く見ると、手足がなまめかしい感じに細く、爪に色がついている。


「……中に入っているのは、女性のようですね」


「そんな個性、らないよ……」


『もぉおあああああああッ』


 怒ったのか、怪魚人かいぎょじんめす)が叫ぶ。呼応して、周囲の水路がざわめいた。


『もぉおあああああああッ』


『もぉおあああああああッ』


『もぉおあああああああッ』


 次々と、水路から怪魚人かいぎょじんれが現れた。


 こんな姿になっても女性の声には不思議な力があるのか、リヴィオは場違ばちがいに感心した。大群たいぐん怪魚人かいぎょじんは、やっぱり少しずつ、手足に不要な個性があった。


 夜の街に、かすかな、ふえのような音が連鎖れんさした。


 <黒い掌パルマネラ>の合図だ。ロゼッタにも伝わった。状況は、こちらの制御の中にある。


魔法励起現象アルティファクタを展開します。気合きあいを込めて下さい」


「わかったっ!」


 花のような、石鹸せっけんのような、澄んだ甘いにおいがした。


 グリゼルダがリヴィオの後ろに寄りい、左手に左手を、右手に右手を重ねる。そのまま、ゆみを構える格好に右手を引く。リヴィオの身体も、同じ形に追随ついずいした。


 リヴィオは言われた通り、気合きあいを込めて叫んだ。みしめた両足から、石畳いしだたみに光の波紋はもんが広がった。


 石畳いしだたみくだけ散り、鉱物結晶こうぶつけっしょうのような無数の粒子りゅうしが舞い上がる。うずを巻き、凝集ぎょうしゅうして、巨大な鋼鉄色こうてついろ双肩双腕そうけんそうわん形成けいせいした。


 肩とひじ衝角しょうかくのような突起とっきが伸びる、甲冑かっちゅうじみた腕だ。金属のつばさに似た肩甲骨状けんこうこつじょうの部品で背部が連結し、リヴィオとグリゼルダを見えない胸郭きょうかくで包むように、機械の巨人の腕が空中に存在していた。


 リヴィオとグリゼルダの動きに追随ついずいして、はなたれた矢のような右拳みぎこぶしの打撃が、最初の怪魚人かいぎょじん粉砕ふんさいした。


 怪魚人かいぎょじんれが、また、名状めいじょうがた咆哮ほうこうを上げた。


「本気になるのが、遅いぜっ!」


 リヴィオはまた一匹、怪魚人かいぎょじんを、続く左拳ひだりこぶしの打撃で破壊した。


 怪奇話かいきばなしの本質は、わからないことだ。理解ができない、認識の及ばない事象じしょうに感じる恐怖が、怪奇を成立させる本質だ。


 それら全部を魔法アルテとして定義し、集団で認識を共有し、対処法たいしょほうを立てれば、怪奇は怪奇ではなく、排除はいじょするべき障害しょうがいでしかない。


 リヴィオは鋼鉄こうてつ双腕そうわんを振るいながら、素早く移動して、位置取りを変え続けた。グリゼルダは実体がないのだから当然だが、巨大な双肩双腕そうけんそうわんもまた、空中をすべるようにリヴィオに追随ついずいした。


 ヴェルナスタには、貧民街というほどのものはない。


 それでも平民育ちなら、子供同士のケンカは日常茶飯事にちじょうさはんじだ。特にリヴィオのように身体が小さければ、あなどられることも多い。多人数を相手に立ち回るこつは、お手のものだった。


 飛び散った魚肉片ぎょにくへんが、やはり多脚たきゃくの、虫のような小怪魚しょうかいぎょになる。気持ち悪くて大嫌いだが、つまりは魚だ。多分、焼けば美味うまい。


 リヴィオはそう考えて、気合きあいでみとどまった。


「認識して下さい。同じ地に足をつけている限り、私たちの間合いです」


「よくわからないけど、わかった!」


 グリゼルダにみちびかれて、リヴィオが右脚みぎあしを振り上げ、みしめる。光の波紋はもん微細振動びさいしんどうになって、雲霞うんかのような小怪魚しょうかいぎょだけを一匹残らず粉々こなごなにした。


「とても良いですよ。私に身をゆだねて、私を感じて下さい。魔法アルテなんて、その程度のものです」


 グリゼルダが、蕩然とうぜんとささやいた。リヴィオは素直にうなずいて、気合きあいを込め続けた。


 中から出てきたぱだかの男女が、二十人ほども石畳いしだたみに転がった頃、怪魚人かいぎょじんれの残りが、さすがにうろたえたようだ。あちこちの水路に向かって、ゆっくりと後退あとずさりを始めた。


「あ……。調子、乗りすぎたかも」


 リヴィオが、われに帰った。ロゼッタはまだ到着していない。もっと慎重しんちょうに、合流してから数をへらすべきだったか。


 つい、欲が出た。それを嘲笑あざわらうように、声が響いた。


「すごいねえ、君! 驚いちゃった!」


 はしゃいでいるような、若い女の声だ。それでもグリゼルダを通して、リヴィオにも緊張が走った。かなり強い、魔法励起現象アルティファクタ共振きょうしんだった。


 一本の水路の奥、暗闇にぼうと光る、巨大な虹色にじいろの球体が浮かんでいた。ぬるぬると明滅めいめつして、目玉のようだ。


「グリゼルダ、あれ……」


「真下の暗闇に、魔法士アルティスタがいます。近づいてはいけません」


 グリゼルダの声も真剣だった。


 双肩双腕そうけんそうわんを、二人の前で交差するように構える。


「昨日もねえ、遠くから見てたんだよ? 初めて魔法アルテを使ったみたいだったのに、今日はもう、こんなに強くなっちゃったんだ! その魔法励起現象アルティファクタのお姉さんと、すっごく相性が良いんだね!」


 女の声に引き寄せられるように、怪魚人かいぎょじんたちが次々と、水路の中に戻っていく。手の出しようがなかった。


「でもこれ以上、数をへらされちゃったら、やっぱりちょっと困るから、今日は帰るね! 次の満月の夜に、いろいろ準備してまた来るから、その時はもっとちゃんと遊ぼうね! じゃあね!」


 球体の虹色にじいろの光が、暗闇にけるように消えた。


 しばらく、しん、と静まり返る。


「目をつけられたみたいですね。予想外の収穫しゅうかくですが……リヴィオ、あなたが女性から興味を向けられるのは、おもしろくありませんね」


 グリゼルダが、ちょっと鼻息を荒くする。


 その拍子ひょうしに、というわけでもないだろうが、魔法励起現象アルティファクタ双肩双腕そうけんそうわんくだけて、岩石のつぶ石畳いしだたみに降り注ぐ。


 一緒になって、リヴィオも石畳いしだたみに座り込んだ。


「腹、へった……」


 緊張がけた瞬間、もう、それだけ言うのが精一杯になっていた。

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