20.新しい種類の快感を覚えます

 リヴィオたちがダニエラの宿屋に戻ると、昼間なのに黒装束くろしょうぞく黒覆面くろふくめんの男たちが、建物の外をものものしく警備していた。<黒い掌パルマネラ>の隠密戦闘部隊おんみつせんとうぶたいだ。


 グリゼルダと、実存体じつぞんたいのジャズアルドも、今は消えている。これ以上の消耗をけるためだ。リヴィオとロゼッタの二人を見て、黒装束くろしょうぞくの一人が宿屋の中へ招き入れる。


 食堂ではアルマンドが一人、のんきに葡萄酒ぶどうしゅと、仔牛脛肉こうしすねにく香味野菜こうみやさいの煮込みを食べていた。


「なによ。巻き込まれたのが主宰ドージェの息子ともなると、動きが早いわね」


「まあ、それもありますが……」


 ロゼッタの八つ当たりに、相変らず寝ぐせの残る焦茶色こげちゃいろの髪をかいて、アルマンドが苦笑する。


 紺色官服こんいろかんふくは上位の銀の縁取ふちどりでも、手足が細く、威厳いげんがない。一見して冴えない風貌ふうぼうの、だが厚い眼鏡めがねの向こうの目線だけ、少し鋭くなる。


「どちらかと言えば、あなたたちの護衛です。今はさすがに、疲れているでしょうから」


「どういう意味だよ?」


「結果として後手に回ってしまい、申しわけありません。今度の件の、容疑者ないし関係者が、ここにいます」


 リヴィオとロゼッタがどんな反応をするより早く、奥の階段を、女が一人降りてきた。


 短い金髪と、男物みたいな暗緑色あんりょくしょくの上下の中に灰色のえりつきを着た、堅い雰囲気の美人だ。二十歳より少し上、引き結んだ口が、厳しい教師のような印象だった。


「マトリョーナ=マルティノヴィナ=マハーリナです。<海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>を取材に来た雑誌記者、というのも、半分は本当です」


 一礼する女、マトリョーナに、アルマンドが当然のような顔で隣の、リヴィオとロゼッタに近い食卓しょくたくすすめる。


「ぼくはこっちで、食事しながら聞いてますので、遠慮なく話して下さいね」


「ちょっと! なんなのよ、その無責任な丸投げは?」


 ロゼッタのあきれ顔に、アルマンドも、すっとぼけた顔になる。


「あれ? 友達って聞いてましたけど」


「いや……そりゃまあ、うちの客だけどさ。別に、友達なんかじゃ……」


「先日は、大海月お嬢さんシニョリーナ・メドゥサとしてお会いしました」


 マトリョーナが、すずしい顔で言って、食卓しょくたくに座る。


 リヴィオもロゼッタも、言葉を咀嚼そしゃくするのに、けっこうな時間が必要だった。


「ええええええええええっ?」


「あんた、あの変態海月へんたいくらげっ?」


「そこまで反応いただけると、新しい種類の快感を覚えます」


 なんとも言いようのない表情を見合わせて、リヴィオとロゼッタも、おずおずと食卓しょくたくに座る。二人並んで、マトリョーナと向かい合う形になった。


 マトリョーナが、しかつめらしく咳払せきばらいをする。


「名乗りましたのは、本名です。語音ごいんでお気づきでしょうが、ロセリア連邦れんぽうから参りました。連邦陸軍、特殊情報部コミンテルン所属の諜報員です」


「はい、そうですか。信じたわ」


 ロゼッタが投げやりに言う。


 ロセリア連邦は、ヴェルナスタ共和国と同じオルレア大陸の、東方と北方を合わせた領域に広大な勢力圏を持つ集合国家体制だ。


 冬季には領土と領海のほとんどが氷雪に閉ざされる過酷な環境と、そこで生き抜く強靭きょうじんな国民性、旧帝国時代の中央集権の相乗効果で、世界大戦をた帝国主義の崩壊後もなお、強大な軍事国家の体制を維持いじしていた。


 リヴィオは、改めてマトリョーナを見た。


 確かに、顔や手指の白さはロセリア人のそれだし、無遠慮にのぞき込めば瞳の翠緑すいりょくも、怪魚人事件かいぎょじんじけん怪女かいじょに共通している。


 だが、髪は今よりも濃い蜜色みついろの、長い巻毛まきげだったし、目鼻を隠す舞踏仮面マスケラもしていた。ほとんど丸出しだった豊満な身体はもちろん、男物のような上下をびしりと着込んだ姿と比べることもできない。


「胸は、変装のために拘束下着こうそくしたぎを着けています」


「あんた、グリゼルダに殺されても知らないわよ」


「な、なんで、そういうことわかるの……?」


 リヴィオが慌てて視線をらすと、にやにや笑っているアルマンドと目が合った。腹が立ったが、これ以上考えていると本気でグリゼルダにばれるので、飲み込んだ。


「で? この際、馬鹿になりきって聞くけど、ロセリアの諜報員さんがヴェルナスタに、なんの用があるのよ?」


 ロゼッタが、アルマンドの食卓しょくたくから葡萄酒ぶどうしゅびんを引ったくって、そのまま口をつけた。


 のどを鳴らした後、食卓しょくたくに置くと、今度はマトリョーナが平然と両手で持って唇をつけた。


「私たちコミンテルンの目的は、世界革命せかいかくめいです。より具体的に言えば、共産主義革命きょうさんしゅぎかくめいによる従来権力の破壊と、それに成り替わる一党独裁の永久固定化です」


 当たり前のような顔で、次に葡萄酒ぶどうしゅびんをマトリョーナから手渡されて、リヴィオは途方に暮れた。不思議そうな顔のマトリョーナを無視して、ロゼッタがびんを取り上げ、また口をつけた。


周回遅しゅうかいおくれの世界征服ね。だとしても、ヴェルナスタなんて、そんな優先順位が高くもないでしょうに」


「いいえ。世界大戦の終結で帝国主義が崩壊し、各地の植民地も混乱している中、従来からの安定した国体と勢力を維持いじしているヴェルナスタ共和国は、むしろ主敵しゅてきと想定されています」


 革命の第一段階は、既存きそん権威けんいの否定にある、らしい。


 対象国内たいしょうこくないで騒乱を起こしたり、現状に不満を持つ集団を扇動せんどうすることで、社会不安を作り出す。民間みんかんの広報機関を買収ばいしゅうして、すべての責任が現政権にあるよう針小棒大しんしょうぼうだい流布るふする。


うそをつく必要はありません。どんな人間、どんな集団にも不備はあります。悪い部分だけを喧伝けんでんし、良い部分を隠せば、不満は増大します」


「なんだか気の長い話ね。武器と資金に物を言わせて、ぱぱっと攻めれば良いじゃないの」


「外部でも内部でも、敵と認定されれば、対抗する力の集中を招きます。国に保護されている国民を、その立場のまま、国の破壊に利用することが重要なのです」


 ロゼッタの胡乱うろんな目を、マトリョーナの無表情が見つめ返す。


「両足でまっすぐ立ち、両手を誰かとつなぎ合った人間は、簡単には倒れません。逆に言えば、立ち位置を自覚できない孤独な人間は、容易よういに転がります」


 マトリョーナが、淡々と話を広げた。

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