21.それは要らない

 大きくは国家、地域社会、大人と子供、男と女、小さくは家族、夫婦など、既存きそんの結びつきを古い価値観として否定する。


 公共こうきょうの意識を希薄きはくにさせて、個人の素晴らしさを過剰に演出する。どんなものも細分化して、分断して、少数であることを正義にする。


 そうして出来上がった孤独な人間の団塊だんかいが、転がされ、操られている自覚のないままに国家を攻撃する。


 必要なのは、攻撃されない立場から、一方的に攻撃できる兵隊だ。


「なるほど。戦術の理想ね」


「国民の支持を失った国家は、弱体化するか、弾圧だんあつを始めるかしかありません。そこからが武器と資金の出番です」


 革命の第二段階は、革命政権の樹立じゅりつだ。


 保護しているはずの国民が、外敵がいてきを解放者として味方する。軍も、その家族も国民だ。後方支援のない武力のみの抵抗は、必ず崩壊する。


 古い価値観を、ただ古いことで否定した者は、新しい存在を、ただ新しいことで肯定こうていする。


 その妄信もうしんが強固な支持基盤となり、新しい支配者は、革新の正義のもとに独裁権力を確立する。


 酩酊めいていから覚めて、『こんなはずではなかった』『だまされていた』『悪気わるぎはなかった』とならべても遅い。


 妄信もうしんした正義とぜんに殺される。それが世界革命の仕組みだった。


「……そんな、絵に描いたみたいに、上手うまくいくのかよ? なんだかんだ言ったって、みんな、その国の人間なんだろう?」


 リヴィオが、少し無理をして、肩をすくめた。


 マトリョーナが、また葡萄酒ぶどうしゅびんを口にした。


「すでに複数の国で実証された手順です。完全確実とは言えませんが、充分な知識と備えがなければ、危険とは言えるでしょう」


「危険、ね。それはこっち側の主観よね」


 ロゼッタが葡萄酒ぶどうしゅを取り返して、舌打ちする。空っぽになっていた。


「あんたはその、革命の第一段階とやらで、ヴェルナスタに騒乱を起こしにきた。いくらロセリア連邦だからって、一度失敗したくらいで使い捨てるほど、魔法士アルティスタに在庫があるとは思えないわ。あの男はあんたの援軍えんぐん、次の目標は<海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>のぶち壊し、ってところよね」


御明察ごめいさつの通りです。彼はザハール=ジェミヤノヴィチ=ズダカーエフ。同じくロセリア連邦陸軍、特殊情報部コミンテルンの諜報員ちょうほういんです」


胡散臭うさんくさ鉄面皮てつめんぴで、そこまでぺらぺらしゃべって、なにがねらいなのかしら?」


 ロゼッタの追及に、マトリョーナが一呼吸して、遠い目になった。


「海を……見たんです」


ラグーナのこと?」


「はい。祖国ロセリアで海と言えば、氷山の連なる極北きょくほくの海です。ですがヴェルナスタに来て……暖かい昼下がり、陽光ようこうに輝く紺碧こんぺきラグーナと、そこに浮かぶ芸術品のような水上都市……周辺の岸辺で、穏やかな時間をすごす恋人たちや、家族連れの姿を見ていたら……」


 マトリョーナが蕩然とうぜんと、自分の胸に手をあてた。袖口そでぐちから、ぬめぬめとした触手が一本、中指にからみついていた。


「なんだか、変な笑い声が抑えられず……その場で全裸になって、ラグーナに飛び込んでしまったのです。岸辺の騒ぎも、刺すような視線も、心地よくて……自分が解放された、と言いますか、生まれ変わってしまったと言いますか、まあ、そんな感じでした」


「ああ、うん……今までの話で、一番、説得力があったわ。居合わせた人たちも災難だったわね」


「いや、わかんねえって! ラグーナと変態がどうつながったんだよ? 説得力ってなに?」


「リヴィオ。魔法士アルティスタなんてね、こんなもんなのよ」


「心の自由に目覚めてしまった以上、もう祖国には帰れません」


「かっこいい言葉でごまかすなよ! 迷惑だから帰れよ!」


「一度は、そう思いとどまりましたが……皆さんとの目眩めくるめく夜を経験して、やはり、快楽にはあらがえないとさとりました」


「え? 俺たちのせい?」


「それで良いわよ、もう」


 ロゼッタが、目頭めがしらを押さえてため息をついた。


「つまり、味方を売る代わりに亡命ぼうめいを手伝え、ってことね」


「交渉がまとまれば、大洋航路たいようこうろ交易船こうえきせん便乗びんじょうさせられますよ。あとは、どれだけの情報を対価たいかとするか、ですね」


 アルマンドが隣の食卓しょくたくで、最後の仔牛脛肉こうしすねにく頬張ほおばりながら言う。ここまでは既定路線きていろせん、ということだ。


「それを、あたしが決めて良いわけ?」


「現場判断を第一とします」


「おまえ、いつもそれじゃねえか」


「方針を決めて部下を見守るのが、えらい人の役割です。良い上司でしょう、ぼく?」


 アルマンドが、人の気も空気も読まず、追加の葡萄酒ぶどうしゅを注文する。


 呼ばれて厨房ちゅうぼうからダニエラが、葡萄酒ぶどうしゅと果汁飲料のびん、アルマンドと同じ仔牛脛肉こうしすねにく香味野菜こうみやさいの煮込み、挽肉ひきにくトマトポモドーロをからめた小麦麺パスタの山盛りを持って現れた。


「あり合わせで悪いんだけど、あんたたちもお昼、食べるだろ? 外の人たちはどうするか、適当に聞いておいて」


「母さん……その……」


「レナートのことは、なんだかぼやっと聞いてるよ。面倒なことに巻き込まれたみたいだけど、こんなに大勢の人が動いてくれてるんだから、あんた一人が深刻ぶっても仕方ないわよ」


 ダニエラがリヴィオに、いつもの笑顔を向けた。


「その上で、あんたにもやることがあるってんなら、たくさん食って気合きあい入れな。世の中や他人様ひとさまがどれだけ複雑だって、自分の手の内側は、けっこう単純なもんだよ」


 リヴィオは、目の前に置かれた大皿の小麦麺パスタを見た。空腹だった。


 手持ち食器を突き刺して、自分の取り皿に小麦麺パスタを盛る。ダニエラの言う通りだった。


「母さん。もう一皿、もらえるかな」


「あいよ」


 陽気な返事をして、ダニエラが厨房ちゅうぼうに戻る。ロゼッタが苦笑して、マトリョーナも、少し笑ったようだった。


「グリゼルダ、いるよな? それから、ジャズアルドさんも」


「無論です。どんな時でも、あなたの意志にこたえますよ」


 グリゼルダがリヴィオに抱きつくように、ジャズアルドが無言でロゼッタの横に、現れた。


「人の魔法励起現象アルティファクタに言うこと聞かせるなんて、大したもんね」


「良いだろ。これだけ食い物、あるんだしさ」


「もちろんよ。情報も戦術も、全員で共有するわよ。こうなったら遠慮なく、根掘ねほ葉掘はほり聞かせてもらうからね、変態海月へんたいくらげ!」


 ロゼッタも大皿からかっさらうように、自分の取り皿に小麦麺パスタを盛った。


 こほん、と、マトリョーナが咳払せきばらいをした。


「では僭越せんえつながら、私も魔法励起現象アルティファクタを……」


「それはらない」


 リヴィオとロゼッタが、声をそろえて拒否した。アルマンドだけが、残念そうな顔をした。

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