22.ぼくと父さんの問題だよ

 <海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>の当日、良く晴れて、ラグーナがまぶしく輝いていた。


 が天頂に近づくにつれて、主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレの公共広場は祝祭客しゅくさいきゃくであふれ返り、歓声と音楽が水上都市に満ちた。


 公共広場の南岸には主宰公式船ブチェンタウロ係留けいりゅうされて、大運河カナル・グランデもすでに、華やかな装飾の小型船ゴンドラで埋められていた。


 広場の壇上だんじょうには、主宰ドージェのガレアッツオを先頭に、大評議会の議員や主要な貴族家の当主が古式にのっとった式典服しきてんふくで並び、唯一神教ゆいいつしんきょうの司祭が難しい説教をしていた。


「ザハール、だっけ? 来るかな、あの野郎……」


「来るわよ。あの手のかっこつけは、派手な舞台を外さないわ」


 政府関係者の列の外縁、警備人員の中に、リヴィオとロゼッタも並んでいた。


 赤い縁取ふちどりの紺色官服に舞踏仮面マスケラ、大きな羽飾りのついたまっ赤な狩猟帽子ベレは、伝統的な<赤い頭テスタロッサ>の扮装だった。


 周囲の警備人員は、みんな黒装束くろしょうぞく黒覆面くろふくめんの隠密部隊<黒い掌パルマネラ>だ。やはり目立つ羽飾りをつけて、祝祭の扮装らしく装っている。


 祝祭客があくびをもらしそうな、絶妙な寸前、司祭の説教が終わった。


 だんの両脇に整列していた楽団が、ここぞとばかりに行進曲を演奏する。主宰ドージェ、司祭、議員や貴族たちが順にだんを降りて、主宰公式船ブチェンタウロに向かう列を作った。


 主宰公式船ブチェンタウロは華麗に装飾された、大型の二段櫂船にだんかいせんだ。公共広場の南岸に、静かにたたずんでいる。


 いや、静かすぎた。


 列の先頭にいる主宰ドージェ、ガレアッツオが目線を上げた。大勢の船員がすでに乗り込んでいるはずの船体は、冬の朝のしもが張りついたように、薄白うすじろい静寂に包まれていた。


 舳先へさきに少年が立っていた。


 銀髪の中性的な顔立ちに、青白色せいはくしょくの長衣をまとっている。手には金属管横笛フラウト・トラヴェルソを持っていた。


「海は……母さんと、プリシッラのかたきだ。そうだろう、父さん」


「違う。レナート」


 ガレアッツオが、レナートを見据えた。


「海は海だ。巨大な、自然の摂理だ。誰のかたきでもない」


 レナートの顔が憎しみにゆがんで、金属管横笛フラウト・トラヴェルソを口にした。


 無音だった。


 音の代わりに、陽光を一瞬でかげらせて、氷雪の暴風が吹き荒れた。


「待ってたぜ、レナートっ!」


 暴風を一直線に引き裂いて、リヴィオとグリゼルダの、鋼鉄こうてつ双肩双腕そうけんそうわん主宰公式船ブチェンタウロをぶん殴る。氷片を散らして、レナートの立っていた舳先へさきが、粉々に吹き飛んだ。


 大運河カナル・グランデ河面かわもに氷結が広がって、レナートと、リヴィオの目にはレナートに寄り母娘おやこ魔法励起現象アルティファクタの幻影が、ふわりと降り立った。


「どうして、また邪魔をするんだ? ぼくと父さんの問題だよ」


「おまえの親父さんが主宰ドージェで、俺も仕事だから、だな」


 リヴィオが、口の端をつり上げる。


「まあ、おまえとケンカするってのも、ちょっと珍しくて楽しいしな」


「……腹立たしいよ、リヴィオ」


 人を食った答えに、レナートが眉根まゆねを寄せた。


 母娘おやこ金属管横笛フラウト・トラヴェルソが、無音の嵐を鳴り響かせる。大運河カナル・グランデの水が舞い上がり、渦巻く吹雪になった。


 リヴィオの背後、主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレの公共広場に、悲鳴と混乱があふれた。吹雪には、無数の、鋭利な氷の針が散っていた。


『ザハール=ジェミヤノヴィチ=ズダカーエフの魔法アルテは、人体の内部に作用します。彼は自分の血液を媒介ばいかいにして、実存体じつぞんたいを作るように、他者を擬似的ぎじてき魔法士アルティスタにすることができます。意識をどこまであやつれるのかはわかりませんが、相応の支配下にあると仮定するべきでしょう』


 マトリョーナの言葉が、リヴィオの脳裏によみがえる。


『あなた方が目撃した冷気は、おそらく彼の魔法アルテで発現した、レナート個人の魔法励起現象アルティファクタです。媒介ばいかいを、本体と魔法アルテ経路けいろにしているだけの実存体じつぞんたいとは異なり、レナート自身の熱量と媒介ばいかいとなった血液、双方を消費します』


『なるほど。厄介やっかいかと思ったけど、仕掛けがわかれば大したことないわね』


 いつものことだが、情報がそろい始めると、ロゼッタは急に自信満々な態度になる。


 リヴィオは意識を、目の前の吹雪に引き戻した。


 視界の全てがまっ白で、なにも見えない。背後からは、少し前まで陽気に騒いでいた祝祭客の、悲痛な叫びが聞こえてくる。


「型に分類する思考法は好みませんが、こうして広域に魔法アルテを展開されると、基本的に質量を集約する私たちでは、確かに相性が悪いですね」


 リヴィオを後ろから抱きすくめる格好のグリゼルダが、耳元で、不承不承ふしょうぶしょうとつぶやいた。


 自称戦術家のロゼッタが指摘していたことだ。中途半端に壁を作っても、乱気流は四方八方から回り込む。密閉しても気温低下は防げない。


 魔法アルテが、元凶となっている媒介ばいかいを消費するなら、レナートを解放する対処法は単純だ。外部から摂取しただけの媒介ばいかいは、レナート本人の質量、熱量を大幅に下回る。必ず、媒介ばいかいの方が先に消費し尽くされる。


 大規模な魔法アルテの消耗戦、我慢がまんくらべに持ち込むことだ。


 だがそれは、<海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>を妨害し、政府の権威を失墜しっついさせようとするザハール側の思うつぼだろう。

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