19.驚いたわ

 街は<海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>を間近まぢかにして、にぎやかだった。


 白身魚しろみざかなものや、様々な具材をはさむ堅焼きパニーニ氷菓ジェラートなどの屋台やたいが並んで、誰も行儀ぎょうぎなんか気にせず食べ歩いている。


 水路を行く小型船ゴンドラからも優雅な歌、演奏えんそうが聞こえ、街角では大道芸人が曲芸きょくげい披露ひろうし、肌もあらわな踊り子が舞踏仮面マスケラの奥からあやしげな視線を飛ばしていた。


 嫌な知り合いを思い出して、リヴィオが堅焼きパニーニをかじりながら辟易へきえきしていると、近くの広場から一際大きな歓声が聞こえた。


 四人がのぞいて見ると、広場中央の噴水ふんすいを囲んで、旅芸人の一座がいた。道化師どうけしの手品、軽業かるわざ、妖精みたいな子供の玉乗りに傀儡人形くぐつにんぎょう寸劇すんげき、美男美女の楽団演奏が人々を楽しませている。


 その楽団の中に、レナートがいた。


 竪琴たてごとく、長めの白金色はくきんしょくの髪とあおい目、白い上下の貴公子然きこうしぜんとした美男の横で、金属管横笛フラウト・トラヴェルソを吹いていた。


 レナートの左右にい、レナートと同じ銀髪ぎんぱつを腰まで伸ばした女性と、褐色かっしょくが少し混じった黄金色こがねいろの髪を肩で切りそろえた少女が、三人そろいの青白色せいはくしょくの衣装でやはり金属管横笛フラウト・トラヴェルソを吹いていた。


「へえ。あいつ、あんなこともできたのか」


「そうね……驚いたわ」


 リヴィオの素直な感心に、ロゼッタが硬い声を出す。リヴィオが聞き返す前に、グリゼルダが耳打ちした。


両隣りょうどなりの二人の女性、魔法励起現象アルティファクタです。他の人間には見えていません」


「え……?」


魔法アルテの流れは、レナートからつながっている」


 ジャズアルドの言葉を理解するのに、リヴィオには、一呼吸のが必要だった。


 ロゼッタ、グリゼルダ、ジャズアルドを順に見る。もう一度レナートに視線を戻すと、横の、貴公子然きこうしぜんとした男と目が合った。


 男が微笑ほほえんだ。


 演奏が、軽い拍子ひょうしの行進曲に変わった。集まった人々、旅芸人一座、楽団の他の人間までが、音に誘われるような動きで広場を去っていった。


 広場に面した建物も、すべての窓の雨戸あまどが閉まる。リヴィオとグリゼルダ、ロゼッタとジャズアルド、レナートと母娘おやこのような魔法励起現象アルティファクタ、そして男だけが、この空間に残った。


「この国の魔法士アルティスタ方々かたがたですね。こんなに早く見つけられてしまうなんて……優秀ですね。素晴らしい」


「あんたが、身内みうちにちょっかい出したからよ。悪いのは頭か運か、どっちかしらね」


 男の空疎くうそ台詞せりふを、ロゼッタが鼻で笑う。レナートは、まだ金属管横笛フラウト・トラヴェルソくちびるをつけたまま、うつろな目をしていた。


「彼はこの街で、私の、最初の聴衆ちょうしゅうになってくれた子です。聞けば、主宰ドージェ御子息ごしそくとのこと。良い手駒てごまができて喜んだのですが……確かに、要人ようじん身内みうちであれば、国家機関にも近しい道理ですね」


「なるほど。どっちも悪いのね」


 ロゼッタの言葉と同時に、ジャズアルドの炎のむちが飛んだ。


 男とレナートたちを、横一閃よこいっせんぎ払う。寸前、母娘おやこのような魔法励起現象アルティファクタが、金属管横笛フラウト・トラヴェルソ無音むおんで吹き鳴らした。


 大小二つの波紋が、空気を伝播でんぱんする。光が屈折くっせつした。


 一瞬だけ鏡面きょうめんのようになった空間を、炎のむちが両断して消滅する。風が逆巻さかまいて、陽炎かげろうがゆれた。


「冷気だ。魔法励起現象アルティファクタ発現はつげんして、まだがないのだろう。威力はさほどでもないが」


「効率悪く熱量ねつりょうを使われてるレナートが、たないわね」


 ジャズアルドとロゼッタが、状況を分析する。男は、一歩も動いていなかった。


「この野郎……っ! てめえが出てきやがれっ!」


 リヴィオが叫んで、踏み出した。広場の石畳いしだたみに、波紋が走る。


「良いですよ」


 間近まぢかで、男の声がした。目の前だ。右脚を踏み出しただけのリヴィオの眼前に、男がいた。


 リヴィオの背中側から、頭をくようにグリゼルダの腕が交差する。鉱物結晶こうぶつけっしょう薄膜はくまくが、男の小剣をすんでのところで受け止めて、砕け散った。


 リヴィオは男の脇をすり抜けるように、地面にころがった。


「な、なんだ、今の……?」


魔法アルテです。距離を取りなさい」


 起きざま、すり抜けた男の方に向き直って、背面飛はいめんとびに地面をる。


 った地面から粒子りゅうしが舞い上がり、魔法励起現象アルティファクタ鋼鉄こうてつ双肩双腕そうけんそうわん形成けいせいする。


 男の輪郭りんかくがゆらいだと思うと、また至近距離に、小剣の軌跡がひらめいた。


 限界まで身体に引きつけていた左の鋼腕こうわんが受けて、火花を散らす。右の鋼腕こうわんを振るった時は、もう男は立ち位置を変えていた。


 ジャズアルドの炎のむちが、無数に別れて男を追う。男は、消えては現れる幻影のように、信じられない動きですべてを回避した。


 ロゼッタの赤羽根あかばねが視界をめた。金属管横笛フラウト・トラヴェルソの冷気が吹き荒れて、まっ白いきりが広場に充満する。


「リヴィオ! ジャズアルド!」


 ロゼッタの叫びにこたえて、リヴィオとグリゼルダ、ジャズアルドが声の位置で背中を合わせる。ロゼッタは石畳いしだたみ両掌りょうてのひらをついて、それぞれの指先から細い炎の糸を走らせた。


 きりの中、男の声が、遠くから木霊こだまするように聞こえた。


「申しわけありません。彼が人前に出るのは、まだ早すぎたようです。あんまり素直に上達するので、私もつい、はしゃいでしまいました」


「待てっ! レナートを返しやがれ!」


「返すもなにも、彼は自分から、私に協力する気になってくれたのですよ」


「てめえの寝言なんて聞いてねえ!」


「リヴィオ」


 やはり霧の向こうから、レナートの声が聞こえた。


「邪魔をしないで。僕は……君も、この国も大嫌いだ。やっと、自分の気持ちを言えるようになったよ……」


「レナート……っ!」


「落ち着きなさい、リヴィオ。今、真意を確認する手段はありません」


「わかってるよ!」


 リヴィオが、グリゼルダに苛立いらだちをぶつけた。グリゼルダが、ささやくように声を抑えた。


「重ねます。落ち着きなさい。この突発的とっぱつてきな状況は、こちらに不利です」


突発とっぱつは向こうだって同じだろ!」


「レナートを死なせず、奪還だっかんするには、戦術が必要だと言っているのです」


 グリゼルダの抑えた声に、リヴィオがようやく歯噛はがみする。


「……時々、ロゼッタみたいなこと言うよな」


「相手に聞かせられないでしょう。代役です」


 ロゼッタを見ると、リヴィオを見返して、無言のままうなずいた。


「あの男は……レナートを手駒てごまと言った。なにかの目的のために、少なくとも今の段階で、生かす価値があるということだ」


 背中を合わせているジャズアルドが、やはり抑えた声で言う。ロゼッタの思考を、言葉にしているようだ。


「ただ、まだ早すぎた、とも言った。レナートの状態が、進行する可能性がある。この場の力押しは不利だが、退くのもけだ。君にゆだねる」


 ロゼッタが、リヴィオを見つめ続けている。


 ここで一番レナートを知っていて、もっとも助けたいと思っているのは、リヴィオだ。戦うのも退くのも、充分な情報のないけだ。リヴィオの決断に、全員が命をけるということだ。


 リヴィオはこぶしを握りしめた。


 動かなかった。


「ちゃんとしたお披露目ひろめは、また日を改めさせて下さい。そう遠くない内に……御満足いただける演奏に仕上げます。それまで、御機嫌よう」


 男の声が、きりの中の、さらに遠くにかすんで消えた。


 きりも、昼下がりの陽光ようこうに、白昼夢のように消え去った。


 人のざわめきが戻ってきて、どの建物も、不思議そうな顔をした住人が雨戸を開けた。旅芸人の一座も、昼寝から目覚めたような表情を見合わせながら、広場に入ってきた。


 リヴィオはまだ、動けなかった。

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