3.局に案内するわ

 週始め初日の授業を、リヴィオは、ほとんど居眠いねむりしながら受けきった。


 休んでも、授業料は帰ってこない。将来、少しでも給金きゅうきんの良い、安定したしょくくためには、すでに払ったお金だって無駄にしてはいられない。


 リヴィオの執念しゅうねんは知っているのか、教授たちも大体、見ないふりをしてくれた。


「ええと……本当に大丈夫、リヴィオ? 家まで歩ける?」


「ああ……な、なんとか。でも、その前に……悪いんだけど、なにか食いもの持ってないか、レナート?」


 机にしたまま、リヴィオは友人のレナートを見上げた。


 銀色の髪でどこか中性的な、衣服も仕立ての良い蒼灰色そうかいしょくの上下で、リヴィオとは正反対の上品な少年だ。言われて、少し考えて、手持ちかばんの中身を探る。


「んー、お昼に食べ切れなかった、白身魚しろみざかなものならあるけど」


「……悪い。それは、しばらくやめとくわ」


 なぜか朝から食べても食べても空腹なのに、それだけは精神的なきけを覚えて、リヴィオが辞退する。レナートは仕方なさそうに、小銭入こぜにいれの中身を確かめた。


「近くの屋台やたいで、なにか買ってくるよ。あんまり大したものは期待しないで」


「助かるよ……あとでちゃんと、金、返すから」


「そんなことより、もうすぐ校舎、閉められるよ。玄関までは、自力で出て待っててよ」


 レナートが、小走りに教室を出て行く。言われた通り、リヴィオもなんとか、重い身体を引きずるように玄関に出た。


 少し待って、レナートが買ってきてくれた燻製肉くんせいにくと野菜をはさんだ堅焼きパニーニを涙ながらにかじりつつ、やっとの思いでリヴィオは家にたどり着いた。


 レナートも一緒だ。リヴィオの家は小さな宿屋やどやで、レナートは住み込みで手伝いをしていた。


 本当は長期滞在の客として、宿泊費も受け取っているのだが、リヴィオの母親と本人がいろいろ話し合って、こういう形に落ち着いたらしい。


 リヴィオとしては、とにかく神経を使う料理や給仕きゅうじの手伝いを言われなくなって、ありがたかった。


「おかえり! もうすぐ夕食できるから、お客さんたちの前に食べちゃいな」


「あ、ぼく、手伝います」


 一階の食堂の奥、厨房ちゅうぼうからリヴィオの母親、ダニエラ=ヴィオラートが顔をのぞかせる。


 三十六歳でまだ若々しく、交易船こうえきせんの船乗りをして家どころか国にもほとんどいないリヴィオの父親に代わって、一人でしっかり家も宿屋も切り盛りしていた。


 厨房ちゅうぼうに行くレナートの手持ちかばんを受け取って、リヴィオは、手近な食卓しょくたくに座ろうとした。


「あら? 帰ったのね。ちょうど良かったわ」


 二階の客室につながる階段から声がして、見ると、赤毛あかげを馬ののような一本縛りにした昨夜の少女が、下着姿に近い格好で立っていた。


「あ……! ええと、昨日の……っ!」


「ロゼッタよ。ロゼッタ=ロッシリーニ」


 官服かんふくりんとしていた昨日と違い、なんだか顔もぼけっとして、だらしない。勝気かちきそうな金茶色きんちゃいろの瞳だけが、リヴィオを少し、にらむようだった。


「さん、をつけろとは言わないけど、仕事はあたしが先輩よ。十七歳。あんたたよりないし、背丈せたけもあたしより低いみたいだから、年齢も下よね?」


 ぐうのも出ない。が、気にしていることをこれだけはっきり言われると、男でも傷つく。そしてそれを言い返すことは、男にだけ許されない。


 リヴィオは、世界の理不尽を飲み込んだ。


 ロゼッタはそのまま、リヴィオが座ろうとしていた食卓しょくたくの向かい側の椅子いすに、先に座った。


 ぬののたるんだ胸元むなもとから、ささやかな谷間たにまがのぞいて、リヴィオは昨日グリゼルダにばされたことを思い出した。


 油断すると、女の人は怖い。どうしたものかと、つい、嘆息たんそくする。


「座りなさいよ。あんな胸の大きい、絵に描いたような聖母せいぼさまもどきが好みのくせして、これはこれで気になるの?」


「な、ななな、なにを……っ?」


「あたしだって、あんたみたいな貧相ひんそうなガキ、眼中がんちゅうにないわ。お互い気にしないってことで、良いじゃないの」


 なぜか女性の好みの図星ずぼしをつかれたことは横に置くとして、ほとんど初対面の会話にしては、刺々とげとげしさがすごい。


 自称えらい眼鏡男めがねおとこと一緒にいたことで、まとめられているのかも知れない。


 あの役立たずが嫌いな点では、むしろ仲間だ。頃合ころあいをみて、早めに誤解を解いておこう。リヴィオはもう一度、嘆息たんそくして、座ろうとした。


 がちゃん、と音がして、リヴィオの分の手持ち食器だけが、食卓しょくたくに置かれた。給仕きゅうじの前かけをしたレナートが、こっちもなんだか、怖い顔をして立っていた。


「お客さま。申し訳ありませんが、他の方の御迷惑になりますので、食堂では常識的な服装をお召し下さい」


「……なんでだか知らないけど、店員が客にケンカ売るわけ?」


「宿泊料を頂戴ちょうだいしているので、おしは提供致ていきょういたします。ですが、公共こうきょうをわきまえていただくのは、それに上位する国民平等の義務です」


 レナートが、珍しく手厳しい。


「また、業務以前に、個人と個人も対等です。友人を侮辱ぶじょくされれば、ケンカの一つも売りたくなります」


「お、おい、レナート……」


「ダニエラさんも、同じこと言うと思うよ」


 リヴィオは、内心で前言を撤回てっかいする。男でも、優しそうな奴ほど怖い。少しの間、ロゼッタとレナートがにらみ合って、ロゼッタが肩をすくめた。


「あんたが正しいわ。悪かったわよ。今度から気をつけるし、この子にもあやまるから、とにかく今はなにか食べさせてよ。お腹がへって、もう階段を昇る力もないのよ」


 ロゼッタが食卓しょくたくして、子供のように口をとがらせた。レナートが鼻息一つ吹いて、ロゼッタの分の手持ち食器を並べる。


 こうなった以上、レナートは厨房ちゅうぼうで食べるつもりのようだ。リヴィオはレナートに目配めくばせであやまってから、ロゼッタの向かいに座った。


「ごめんなさいね。今まで寝てて、空腹で気が立ってたのよ。あんた、よく学校なんて行けたわね」


「そ、そうなんですよ! 朝からもう、いくら食べてもお腹がへって、眠くて……それに、ロゼッタさんは、どうしてここに……?」


「だから、ごめんってば。敬語はらないわ。とにかくあんたも、しっかり食べないと死ぬわよ」


「どういうこと……?」


「この後、時間ある? きょくに案内するわ。あの役立たずに言われてるのよ。仲間になるかどうかは、一応あんた次第しだいだけど、仕事で所属しょぞくすればいろいろ便利だし、給金きゅうきんも出るわ」


 局、仲間、仕事と、とにかく理解が追いつかないが、給金という単語だけはリヴィオの意識に突き刺さった。


「それから、ここにいるのは、昨日ぶっ倒れたあんたの家を不思議〜な力で調べて、運び込んであたしも力尽ちからつきたから。こっちもあやまったんだから、お礼ぐらいは言って欲しいわね」


「あ、ありがとう」


「はい、仲直り終了ね。食べる時は全力で食べるから、残りの話は、局に行ってからするわ」


 ロゼッタが身体を起こしたちょうどその時、レナートが夕食を運んできた。


 野菜の汁煮込みミネストローネ生乳乾酪モッツァレラ生ハムプロシュートを乗せた平焼きピッツァ魚介ぎょかいをからめた小麦麺パスタに、鶏肉とりにく根菜こんさい香草焼こうそうやきが、大皿で並ぶ。


 実のところ、ロゼッタに言われるまでもなく、リヴィオも皿が並ぶが早いか、全力の無言でひたすら食べることに没頭ぼっとうした。

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