28.急に大所帯になったなあ

 <海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>は、三日遅れでもよおされた。


 主宰公式船ブチェンタウロは造船所の人員総出で、徹夜てつや突貫工事とっかんこうじで修復された。


 半壊した主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレだけはどうしようもなかったが、公共広場は元通りだんまで飾られて、唯一神教ゆいいつしんきょうの司祭の説教からきっちりやり直された。


 祝祭客も屋台の商人も、大道芸人も楽団員も、とにかく大騒動のうわさで持ちきりだった。だがその声も、時間がつごとに小さくなった。


 初夏のよく晴れた日中に、猛吹雪で海がこおり、主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレだけに何度もかみなりが落ちて、巨大な氷像が暴れ回ったのだ。


 記憶か正気か、どちらかを疑わなければならない。おおむね全員が、前者を選んだ。まして身体を冷やして風邪をひいた以外、大した怪我人も出なかったのだから、なおさらだった。


 ガレアッツオ=フォスカリ主宰ドージェ毅然きぜんと祝祭をり行い、ラグーナには祝祭客を乗せた星の数の小型船ゴンドラが浮かんで、海に歓呼かんこの声が響いた。


 <海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>が終わっても、しばらくは遅れた分を取り戻すように、誰もが祝祭気分に浮かれていた。



********************



 二つの食卓それぞれに、いつもの野菜の汁煮込みミネストローネと、豚肉と香草の腸詰ちょうづめの燻製くんせい烏賊いかすみとぶつ切りをからめた小麦麺パスタ、鶏肉とトマトポモドーロの煮込み、白身魚しろみざかな香味野菜こうみやさいきが、どれも大皿で並んでいた。


 二人と三人で別れて食卓に座り、成年組せいねんぐみの方には葡萄酒ぶどうしゅも置かれている。昼食だが、二本のびんがすでにからで、ダニエラが三本目を持ってきた。


「いやあ、たくさん食べてもらえて嬉しいよ! うちの子たちの分まで払ってもらっちゃって、なんだか悪いねえ」


「とんでもありません。先日もいただきましたが、どの料理も絶品ですね! すべて経費で処理しますので、葡萄酒ぶどうしゅもどんどん持ってきて下さいよ!」


 相変わらずの寝ぐせ頭で、アルマンドが上機嫌に言う。


「同意します。海の友達は、生きていても料理になっても、素晴らしいです」


 アルマンドと差し向かいのマトリョーナが、無表情ながら、烏賊墨いかすみ小麦麺パスタをひっきりなしに口に運んでいた。


「友達としての倫理的りんりてきに、それはどうなんですか?」


「海の食物連鎖は、海の中で回っています。友達同士で食べる食べられるは、おかしなことではありません」


「なるほど、言われてみればそうですね」


 右から左にこぼれるような返事で、アルマンドがさっそく、三本目の葡萄酒ぶどうしゅを自分とマトリョーナの硝子杯がらすはいにそそいだ。


御相伴ごしょうばんあずかかります」


 マトリョーナもマトリョーナで、何度目かの定型文を律儀りちぎに返して、無表情に飲む。もう一つの食卓から、ロゼッタがげんなりとした目を向けた。


「なんであんたが、まだいるのよ……大洋航路たいようこうろで亡命するんじゃなかったの?」


「そのつもりでしたが、先日の一件で考えを改めました」


 姿勢と手つきだけは上品に、マトリョーナが会話しながら、今度は腸詰ちょうづめの燻製くんせいを丸ごと口に放り込む。


「ザハールは、私を粛清しゅくせいすると言いました。一対一で彼と相対あいたいすれば、私も命がありません。まして、コミンテルンが組織として裏切者を追う方針なら、一人で逃げ続けるのは不可能です」


「ですので、主宰ドージェから大評議会に働きかけてもらって、晴れてヴェルナスタ共和国が彼女の亡命を受け入れることになりました。当然、魔法士アルティスタですので<赤い頭テスタロッサ>のあずかかりです。皆さん、仲良くしてあげて下さいね。特にほら、ロゼッタさんは、怪我を治療してもらった恩もあるんですから」


「まあ……感謝は、するけどさ……。なんか左腕だけじゃなくて、あちこちに、妙な感触が残ってる気がするのよね……」


「申しわけありません。新しい快感を覚えました」


 うっすら青ざめて身震みぶるいするロゼッタと対照的に、マトリョーナが無表情のまま、少しほおを上気させた。


「あれ? ロゼッタ、怪我なんかしてたんだ? だからジャズアルドさん、出てこないのかな」


 鶏肉とトマトポモドーロの煮込みを自分の取り皿に盛りながら、リヴィオが迂闊うかつに言う。途端、向かい合うロゼッタのまゆがつり上がった。


「うるさいわね! あいつは、基本的に出てこないのよ! そのべたべたべたべたうっとおしいのろおんなと違ってね! 悪かったわね!」


「な、なに? なんで俺、怒られてるの?」


「あなたが悪いのですよ、リヴィオ。幸せな人間は、その幸せを自覚して、そうでない人間に配慮しなければ」


 リヴィオの背中から肩から、からみつくように、後頭部に胸を押し当てて頭にあごを乗せて、グリゼルダが満面の笑みだった。


「ロゼッタ……なげくことはありません。ジャズアルドもあなたを愛していますよ。彼の行動はすべて、彼なりの愛の形なのです」


「知ってるわよ! それでもこういう時は、身体は大丈夫か、とか、無理はするな、とか、言って欲しいのよ! 心配しないで、とか、でもありがとう、とか、そういうのがしたいのよ! べたべたべたべたうらやましいのよ、こんちくしょう!」


 それで熱量を消耗して、回復が遅れたら本末転倒なんじゃ、とリヴィオは思ったが、鶏肉と一緒に飲み込んだ。


 隣でレナートが、冷ややかに肩をすくめた。


「時々、頓狂とんきょうな独り言を言ってると思ってたけど、こういうことだったんだ。へびみたいにからみつかれて、リヴィオも大変だね」


 隠す気のないとげに、グリゼルダもまともに反応する。


「周囲に散々迷惑をかけた、使い捨ての魔法士アルティスタもどきが、なんか言っていますね。リヴィオ、怒っても良いのですよ」


「いや、俺は別に……なあ?」


 たった今、学習したことをかして、リヴィオは曖昧あいまいに言葉をにごした。レナートに笑いかけると、レナートは白身魚しろみざかな香味野菜こうみやさいきをつつきながら、目をそらした。


「リヴィオ、甘やかしてはいけません。あなたの厚意こういを、あれだけ罵倒ばとうした相手ではありませんか」


「ケンカ中に言われたことなんて、いちいち覚えてないよ。細かいなあ」


「私はどんな時でも、あなたの言葉を一言一句、覚えていますよ。なんなら二倍速で、すべて再現して見せましょう」


「絶対にやめて。お願いだから」


 ふん、と鼻息の荒いグリゼルダに、リヴィオが真顔でうなだれる。横目で見て、レナートがもう一度、肩をすくめた。


「……ごめん。感謝してるよ……リヴィオ」


 レナートの小さな声に、今度はリヴィオが、肩をすくめた。なにを今さら、だ。リヴィオは思い切り、レナートの肩を叩いた。


「難しく考えるなって! 俺は俺で、やりたいようにやっただけなんだから、さ。もう気にすんなよ!」


 リヴィオが笑って、レナートも苦笑した。グリゼルダは不満そうだが、ロゼッタも、マトリョーナも微笑ほほえんだ。


 最後にアルマンドが、笑いながら、思い出したようにつけ加えた。


「マトリョーナさんと同じように、レナートくんも、これからは<赤い頭テスタロッサあずかりです。理由は今の会話でわかる通り、魔法アルテの影響が残っているからです。魔法励起現象アルティファクタを発現できなくても、しばらくは様子見ようすみですね。ぼくの秘書でもしてもらいます」


「急に大所帯になったなあ。それにしても、ほとんどうちのお客さんか。仕事場が引っ越してきたみたいだな」


「その通りです。今日からぼくもお世話になるので、正式にここが、特務局の臨時本部ですよ」


 アルマンドの唐突とうとつな言いように、他の全員が、しばらく言葉をくした。リヴィオがなんとか、声をしぼり出す。


「な……なんでっ? アルマンドまで、どうしてうちに……っ?」


「ぼく、執務室に住んでいたんですよ。合理的で良かったのですが、あの通り、主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレごと壊されちゃいまして」


「ずぼらの極みだろ、それ……!」


 言ってはみたが、どうしようもない。


 主宰ドージェ直轄特殊工作機関ちょっかつとくしゅこうさくきかん諜報ちょうほう防諜ぼうちょう治安維持活動ちあんいじかつどう秘密裏ひみつりにこなす特務局、魔法士アルティスタの集団<赤い頭テスタロッサ>が、丸ごと市街の宿屋に移転してしまっていた。


「なんだか、おかしなことになっちゃったなあ……」


 リヴィオが、あきれ返った。


 目を見合わせたロゼッタが、同じ表情でため息をつく。


「仕方ないわよ。魔法士アルティスタになった瞬間から、あんたの人生、おかしなことしかなくなったんだから」


 アルマンドとマトリョーナ、グリゼルダまでが、自分たちがそこに含まれている自覚がないように、大きくうなずいた。


 レナートだけが、少し申しわけないような、同情するような目を、リヴィオに向けていた。



〜 第二章 ラグーナ氷結聖母像ひょうけつせいぼぞう 完 〜

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