24.その機会を待とう

 公共広場では、初夏の季節に異常な吹雪と、主宰公式船ブチェンタウロの突然の破壊と大運河カナル・グランデの凍結、主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレの屋根の上で落雷のように走る火線と炎に、祝祭客が大混乱におちいっていた。


 黒装束くろしょうぞく黒覆面くろふくめんの隠密部隊<黒い掌パルマネラ>が、みずからの身体で、氷の針が混じる吹雪から祝祭客を守り、避難を誘導している。


 公共広場を埋め尽くしていた全員が、少しでも安全な路地に移動するには、まだ時間が必要だった。公共広場につながる路地も、祝祭客の他、飲食物の屋台に大道芸人、老若男女であふれていた。


「すいません、主宰ドージェ。この調子じゃ主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレもどうなるかわかりませんので、しばらくここで、ぼうっとしててください」


 国事の式典だというのに、いつもの寝ぐせ頭をかきながら、アルマンドが緊張感のない声で言う。銀の縁取ふちどりの紺色官服は、何度かすべって転んで、あちこち泥に汚れていた。


「問題ない。市民の避難が最優先だ」


 式典服を吹雪にさらして、ガレアッツオが毅然きぜんと答えた。


 厳しい顔は、大運河カナル・グランデ彼方かなたに向いている。猛烈な吹雪でなにも見えないが、ガレアッツオは確かに、その先を見ていた。


「先刻、レナートと言葉を交わしていた少年も、<赤い頭テスタロッサ>の魔法士アルティスタか」


「期待の新人です。ぼくが抜擢ばってきしたんですよ」


 アルマンドの無意味な自慢は、いろいろな過程が抜け落ちていた。ガレアッツオも、さほど聞いてはいなかった。


 亜麻色あまいろの髪と、意思の強そうな目で、まっすぐレナートにぶつかって行った少年の面影を雪景せっけいに重ね見る。


「私は、魔法アルテのことを知らない。だから、的外まとはずれかも知れないが……魔法アルテでなら……心を、正確に伝えることができるだろうか……?」


「別に、魔法アルテでなくてもできるのでは?」


 アルマンドのとぼけた返事に、ガレアッツオは一呼吸、沈黙してから苦笑した。


「そう言うな。私には、難しかったのだ」


「左様で。では、まあ……お互いに接触し合っていれば、なんとかなりますかね」


 焦茶色こげちゃいろの寝ぐせ頭を、またかいて、アルマンドも笑った。厚い眼鏡めがねは雪まみれで、目は見えなかった。


「ならば、その機会を待とう。ここで、ぼうっとしながら、な」


 ガレアッツオは苦笑したまま、大運河カナル・グランデ彼方かなたに向き直った。吹雪はまだ、依然として激しかった。



********************



 凍結した大運河カナル・グランデの氷原で、リヴィオとグリゼルダの鋼鉄こうてつ双肩双腕そうけんそうわん、レナートと母娘おやこの幻影が次々と作り出す樹氷じゅひょうの槍が、打ち合い、砕き合っていた。


 レナートたちの金属管横笛フラウト・トラヴェルソが、冷気が、凍結した河面かわもから樹氷じゅひょう屹立きつりつさせるのに対して、リヴィオたちの両拳りょうこぶしは常に直線、最短距離を打ちつらぬく。


 氷上を華麗にすべるようなレナートたちが、実は追われ、防戦しながら間合まあいを開こうとしている。レナートが金属管横笛フラウト・トラヴェルソから唇を離して、苦々にがにがしそうに歯をいた。


「いいかげん、しつこいよ……っ!」


 樹氷じゅひょうから硝子細工がらすざいくのようなつたが伸びて、リヴィオの脚にからみつく。こぶしで振り払い、体勢を整えるすきに、母娘おやこの幻影が渦巻く氷雪を身にまとった。


 レナートの倍ほどの身長に、鏡面きょうめんのような体表の、まったく同じ二体の氷像が立ち上がる。氷原からつながる長衣で脚はなく、そでを振り乱したような両腕と、判然としない目鼻が面貌めんぼうに彫刻されていた。


 二体の氷像が、金切り声のようなきしみを上げて、両腕をリヴィオに叩きつけた。鋼鉄こうてつ双腕そうわんが受け止めて、互いに砕けた。


 舞い散る氷片と、鉱物粒子こうぶつりゅうしが、すぐにまた収束して魔法励起現象アルティファクタを再構築する。リヴィオがのぞみ、いどんだ消耗戦だ。


 リヴィオの後ろに並び立つグリゼルダが、美貌びぼう微笑ほほえみを浮かべた。


「素敵ですよ、リヴィオ。あなたのたかぶりが、とても心地よいです」


「平民育ちのケンカは、意地と気合きあいだからな! まだまだいけるぜ!」


 リヴィオの咆哮ほうこうに挑発されたのか、氷像たちが、くいのような爪をき出して襲いかかる。金属管横笛フラウト・トラヴェルソを吹く息を乱しながら、レナートがリヴィオをにらみえた。


「本当に……君は……っ!」


 一呼吸、リヴィオと同じように、レナートも咆哮ほうこうした。


「どうしてそんなに無知で、無邪気でいられるんだ……っ! ぼくは、君のようにはなれない! 悲しくて、辛くて……嫌いなんだ! 自分も、父さんも君も、この国も、海も……っ!」


 氷像たちの四本の腕、二十本の爪とぶつかり合って、鋼鉄こうてつ双腕そうわんがまた砕けた。そして何度でも再構築する。氷像たちが荒れ狂う。


「あの男が誰だろうと、関係ない……っ! 今ならぼくの力で、すべてを氷に閉じ込められる……とても、良い気分だよ……っ!」


 氷像たちの腕を、今度は鋼鉄こうてつ双腕そうわんが打ち砕く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る