44.これは怒りではありません

 赤羽根あかばね白羽根しらはねもことごとく相殺そうさいして、大運河カナル・グランデのほとりに、奇妙な静寂せいじゃくと暗がりが戻る。ロゼッタは怪雌鶏かいめんどりと、お互い肩で息をしながら、にらみ合っていた。


 ジャズアルドも一応、ロゼッタの隣に立っている。黒衣のえりで口元は見えないが、物言いたげな雰囲気を、ロゼッタは気まずく無視していた。


「お、思ったより、やるわね……鶏肉とりにく……」


『そちらこそ、見事な力です』


 怪雌鶏かいめんどりが、くちばしを軽く鳴らす。笑ったようだった。


『やはり私たちは、理解し合っています』


「わかりゃしないわよ……っ!」


 ロゼッタが、赤毛を乱暴にかきむしった。馬の尾のような一本縛りがゆれた。


「人間がどれだけ、あんたたちを殺して食ってると思ってるの? なんで今さら、あんな珍妙ちんみょうな連中だけを目のかたきにするのよ? ここまで気合きあい入れて、やることがそれ? まるでわからないわ……!」


『……なるほど。理解には、段階があるのですね』


 怪雌鶏かいめんどりが目を閉じた。


『私たちのしゅは、繁栄はんえいしています。生物が他の生物の食物として存在することは、おかしなことではありません。あなたが使った家禽かきんという言葉、私たちは人間の食物として存在し、その結果、類似の野生生物種とは比較にならない個体数が安定して世界中に繁殖しています』


「そ、それは……そうかも、知れないけど……」


『個体の生死は問題ではありません。選別処分を含めて、食物として有用であるための死は、しゅの生存戦略の過程であり、有用な死であると理解しています』


「……」


 ロゼッタは、むなしく口を開閉させた。これも論破ろんぱと言えるのか、とにかく、返す言葉が見つからなかった。


『対して、あの人間たちが実行していることは、無用な死です。食物としての価値になにもすることがない、しゅの生存戦略への冒涜ぼうとくです。私はそこに怒りを感じました』


 怪雌鶏かいめんどりが目を開ける。


『うち捨てられたものたちも、いずれ分解され、海の生物種の食物にはなれるでしょう……それをなぐさめとするならば、あの人間たちにも同じ死を。それが私の行動です』


「あんた、ね……」


『あなたは、私の行動を理解すると考えます。私は、あなたの行動を理解しています』


「生意気なのよ……ホント……」


『私たちは理解し合い、排除し合います。これは怒りではありません』


 怪雌鶏かいめんどりが翼を広げる。わずかに数を減らした風の白羽根しらはねが、薄青い燐光りんこうまとって、また展開する。ロゼッタは動かなかった。


「ジャズアルド」


 ロゼッタの静かな声に、ジャズアルドの、十二条の炎のむちこたえた。


 一瞬ですべての白羽根しらはねを焼き払い、怪雌鶏かいめんどりに巻きついた。白い羽毛から黒煙が上がる。


「せめてきっちり、ウェルダンベン・コッタに仕上げてやるわ」


 ロゼッタが、まっすぐ怪雌鶏かいめんどり見据みすえた。


 その瞬間、大運河カナル・グランデから二本の巨大な水流が立ち登り、細く鋭い数多あまたの水の槍になって、ロゼッタに降り注いだ。


 ジャズアルドの炎のむち旋回せんかいして、水の槍をことごとく撃ち、水蒸気が爆煙ばくえんのように広がった。それを抜けて、怪雌鶏かいめんどりが飛び立ち、隣にさらに巨大な影が隆起りゅうきした。


 ぬるぬると表皮粘膜ひょうひねんまくの光る身体に、吸盤の並んだ八本の太い触手、ぎょろりと丸いにごった目、以前ほど造形に工夫がない、ただ大きいだけの大怪蛸だいかいだこだった。


「あはははははっ! 求められたら、こたえてあげたい! ねっとりたっぷり、今夜はあなたの海の邪神! 大海月お嬢さんシニョリーナ・メドゥサちゃん、急ごしらえでも参上よッ!」


 大怪蛸だいかいだこの頭の上で、怪女かいじょが叫ぶ。


 蜜色巻みついろまの長い髪、舞踏仮面マスケラと桃色の小さな水着、光沢のある桃色の革手袋かわてぶくろ革長靴かわちょうかだけをまとい、虹色に輝く丸帽子のような大海月おおくらげの触手をまっ白い乳房やら尻やらにからませた、口上こうじょうの通りねっとり輝く艶姿あですがただ。


「マ、マトリョーナっ? あんた、なにやって……」


大海月お嬢さんシニョリーナ・メドゥサちゃんッ!」


「どっちでも良いわよ、変態海月へんたいくらげッ!」


 ロゼッタが髪を逆立てる。ジャズアルドが、ため息をついたようだった。


『……あなたの行動は、理解していません』


「あたしはぬるっと理解したわ! 人間もにわとりも、海に落ちたら平等にお友達のえさ! あたしはあたしの、ダメなところにグッときた方の味方なの! ここはあたしに任せて、イッちゃって!」


「冗談じゃないわッ! ジャズアルド! あの変態も海月くらげたこも、まとめて黒焦くろこげにしてやるわよッ!」


「そんなこと言っちゃって! ロゼッタちゃんも本当は、あんなおかしな人たち死んでも良いし、雌鶏めんどりちゃんの方が可愛かわいくなっちゃった感じでしょ?」


「そうだけど正直に言うな! 仕事には建前たてまえってもんがあるのよッ!」


 大怪蛸だいかいだこが触手を振り回し、ジャズアルドが、どこか仕方なさそうに炎のむちはらう。メドゥサが嬌声きょうせいを上げて、ロゼッタが怒鳴り散らす。


 混沌こんとんが極まる状況に、さすがの怪雌鶏かいめんどりも理解を放棄ほうきしたようだ。


 一声鳴いて、大運河カナル・グランデのまん中に向けて飛び去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る