43.悪いけどそこまでな

 河岸かがんの光は、もちろん、大運河カナル・グランデからもまぶしかった。


「……あれ、大丈夫なのかな……?」


「さすがに、動物に遅れをとるロゼッタでもないでしょう」


「いや、ほら……魔法アルテの使いすぎで、また胸がどうのこうのって、機嫌が悪くならないかな」


「それこそ、私たちが心配することではありませんよ」


 圧縮空気の噴射ふんしゃ河面かわも滞空たいくうしながら、リヴィオとグリゼルダが肩を落とす。大運河カナル・グランデに叩き落とされて、びしょ濡れだが、とりあえず怪我はなかった。


 双肩双腕そうけんそうわんは、怪雌鶏かいめんどりと激突した時にほとんど破壊されていた。大運河カナル・グランデの中では再構築も難しく、残っているのは、肩甲骨状けんこうこつじょうの背面装甲だけだ。


 グリゼルダが、気を取り直すように一息ついた。


「まあ、おおむね戦術の範囲内です。こちらはこちらで、仕事をしましょう」


「そうだな。あ、おーい、じいちゃん。こっちこっち」


 リヴィオが、今となっては河岸かがんない発光で明るい大運河カナル・グランデを近づいてくる、一艘いっそう小型船ゴンドラを見て手を振った。


 いでいるのはリヴィオの祖父、エンリコだ。白髪混じりの黒髪に赤銅色しゃくどういろの身体、黒いズボンパンタローニに黄色と白の縞柄しまがら半袖はんそでと、相変わらず派手な出立いでたちだった。


 小型船ゴンドラには黒装束黒覆面くろしょうぞくくろふくめんの<黒い掌パルマネラ隠密戦闘部隊おんみつせんとうぶたいが、四人乗っている。全員が無言で、物々しい雰囲気だ。


 リヴィオも舳先へさきに降りると同時に、魔法励起現象アルティファクタを解除する。グリゼルダはリヴィオの肩に乗って、ロゼッタに余計な心配をしたせいか、いつもより気持ち強めにからみついてきた。


 豊満な胸が頭を半分包んで、花のような、石鹸せっけんのような澄んだ甘さが香る。神話に出てくるような白い衣装が、さわさわと耳たぶをくすぐった。


「あ、あのさ、グリゼルダ……他の人には見えてないんだろうけど、ここまでされると、俺も気が散るって言うか……」


「そんなつれないふりをしながら、内心、喜んでいるのがわかりますよ。素直でないのも、状況によっては好ましいですね」


「勘弁してよ、もう」


 すぐ忘れそうになるが、グリゼルダ自身は、リヴィオの脳に各種の感覚信号を起こしているだけの幻像だ。逆に言えば、リヴィオの脳内は、すべて直接伝わっている。そういうものとして受け入れるしかない。


 リヴィオは、目の横にある太ももをできるだけ見ないようにして、船尾せんびのエンリコに手振りする。


「じいちゃん、ほら……あの辺に、怪しい連中の小型船ゴンドラが見えるだろ? あそこに着けてよ。主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレの仕事だし、船賃ふなちんもはずんでもらえるからさ」


「そいつは結構な話だが……なんだな。おまえの新しい仕事ってのは、祝祭の仕掛け係かなんかか?」


 エンリコはエンリコで、河岸かがんで続いているきらめきと、仮装のような<黒い掌パルマネラ>を見て呆然と言う。リヴィオは曖昧あいまいに笑ってごまかした。


 小型船ゴンドラに、小型船漕ぎゴンドリエーレを入れて六人乗るのはかなり重いが、エンリコの操船は達者だった。河面かわもをすべるように、秘密結社<黄金の夜明けか黄昏ドラート・アルバ・オ・セーラ>が騒いでいる二艘にそうに近づいた。


「おお……おお! あれこそ終末の輝きト=リカーラ=ナンバン! 我らの悲願の時が、ついに……!」


「で、ですが尊師! あれは仇敵きゅうてき、天空の邪神ハルキャー=ベットゥの眷属けんぞく星間せいかんの翼オー=バンヤキーでは?」


「いや、見ろ! オー=バンヤキーと争っているのは、炎の邪神トゥ=クダニだぞ!」


「そうだ! 奴らが争い、力を出し尽くした時こそ、我らがク=リト=マ=ッタクェさま復活の……」


「ああ、ええと、悪いけどそこまでな」


 リヴィオが言うが早いか、<黒い掌パルマネラ>が二人一組で二艘にそうに飛び移る。まるで草でも刈るように一人が叩きのめし、一人が縛り上げ、またたく間に黒外套くろがいとうの七人全員が、革袋の生贄いけにえと同じような有りさまになった。


「それじゃあ次は、そいつら全員、こっちの小型船ゴンドラに集めて……」


「リヴィオ、あれを」


 グリゼルダが、リヴィオにささやいた。


 白い腕の指し示す方で、河面かわもがゆっくりと隆起りゅうきする。大運河カナル・グランデの中を、大きななにかが移動していた。

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