15.あれこれ考える必要はない

 ガレアッツオが食卓しょくたくの一つについた。立ち尽くすレナートを、いぶかしげに見る。


「働いているのか? 滞在費用は、不備なく手配てはいしているつもりだが」


「……たのんで、働かせてもらってる。ぼくの勝手だよ」


 あんたの金を使いたくない、という言葉は、あやうく飲み込んだ。給金をもらったとしても、そんな金額には到底不足していることくらい、レナートにもわかっていた。


 レナートが目をせる。ガレアッツオは、厳格げんかくな顔を崩さなかった。


「子供を育てるのは、親の役割やくわりであり、責任だ。子供のがわであれこれ考える必要はない。自由意志に口出しはしないが、使えるものは使うがいい」


「……っ!」


珈琲カッフェを一杯いただこう、給仕きゅうじ


 ガレアッツオの注文に、レナートが憤然ふんぜんと背中を向けると、早速にダニエラが珈琲カッフェを持って現れた。


 を去る機会を失って、レナートが、うらみがましい目をダニエラに向ける。ダニエラはました笑顔で、食卓しょくたくの、ガレアッツオとレナートの対角線上の位置に珈琲カッフェを置く。


 ガレアッツオも、小さく嘆息たんそくした。


 ダニエラが一人だけ鼻歌混じりにを去って、ガレアッツオが珈琲カッフェを飲む。レナートは、とにかく口を引き結んで、立ち続けた。


「学校には、通っているのか?」


「……第三分校にね。少し騒がしいけど、授業の水準は悪くないよ」


「そうか。知識と学問は、おまえ自身の力になる。今の経験と見識も、視野を広げてくれるだろう」


 ガレアッツオの横顔からは、感情のゆらぎは読み取れなかった。レナートはこぶしを握りしめた。


「今年も……やっぱり、<海との結婚ノッツェ・デラ・マーレ>に……?」


「当然だ」


 ガレアッツオが、珈琲カッフェの杯を食卓しょくたくに置いた。まだ残っていた黒褐色こくかっしょくの水面に、さざ波がゆれた。


「私の……主宰ドージェ役割やくわりであり、責任だ」


「父さん……っ!」


「おまえが、あれこれ考える必要はない」


 ガレアッツオが席を立った。食卓しょくたくに、珈琲カッフェの代金だけを置く。


 宿泊費や生活費などは、いつもレナートの知らないところで支払われていた。ダニエラも、直接レナートには、なにも言わなかった。


 レナートはくやしかった。


 なにもできない、できていない自分がくやしかった。意地を通せば通すほど、ガレアッツオが言う広がった視野には、自分の小さな影ばかりが写っていた。


 ガレアッツオが立ち去った後、忙しくなった厨房ちゅうぼうと食堂で、レナートは、なにも考えず働いた。


 一通り宿泊客が食事を終えて、外来客も途絶とだえた頃、言っていた通り、いつもより早めにリヴィオが帰ってきた。


「お疲れ、レナート! 今日も大変だったみたいだな。なんか顔が暗いぞ? 母さん、人使い荒いからなあ」


「そ、そんなことないよ。リヴィオこそ、お疲れさま」


「まったく、宿の仕事は大して手伝ったこともないくせに。よく言うよ、この子は」


 ダニエラが苦笑しながら、自分とレナートたち、合わせて四人分の珈琲カッフェを持って厨房ちゅうぼうから現れた。食卓しょくたくぼんを置いて、ふと、小首をかしげる。


「おや? ロゼッタさんは一緒じゃないのかい?」


「ああ。今夜はデートアップンタメントで、別のところに泊まるってさ。非日常性? が大事なんだって、へらへら笑いながら言ってたよ」


 リヴィオの言葉に、気まずい沈黙が降りた。ダニエラが目をせて、ぽん、とリヴィオの肩を叩く。


「そうかい……まあ、ちょっと無理目むりめな気はしてたんだよ。しょげないで、次から次に声をかけるんだよ。男は、道化どうけてっしてなんぼだからね」


「は? なに言って……」


「リヴィオ、同じ職場でつらいかも知れないけど、こういうことは意識したら駄目だよ。リヴィオのなにが悪いってわけじゃなくて、相性の問題なんだから」


「レナート? おまえまで、なにを……いや! そんなわけないって! ちょっ、グリゼルダ……っ!」


「グリゼルダ?」


「あ、ええと……な、なんでもっ! ホントっ! なんでもないって……っ!」


 リヴィオがなにやら、脇腹を押さえて油汗あぶらあせを流す。


 こういう感じも、最近多い。どこかの病気を心配しても、すぐにおさまるみたいで、本人ははぐらかすばかりだった。


「と、とにかく! ロゼッタは放っとこうよ! みんなが誤解してるみたいなこと、ないから!」


 リヴィオが、必死に話題を変える。レナートとダニエラは目を合わせて、それを受け入れた。ようやく一息ついたのか、リヴィオが珈琲カッフェのどに流し込む。


「それよりさ、ほら! 給金、かなりもらえたんだぜ! ちゃんと主宰宮殿パラッツオ・ドゥカーレいんもあるし、真面目まじめに働いてたっての、うそじゃなかっただろ!」


「あら、まあ……なんだか、いっぱしの金額だねえ。全部、あずかっちゃって良いのかい?」


 差し出された封筒の中を確認して、ダニエラが感心する。リヴィオはもう、得意満面だ。


「自由にしてくれよ! 父さんが次にいつ帰ってくるか、あてにできねえしなあ」


「それじゃあ、これはあんたたちの小遣こづかいってことで、ね」


 ダニエラが、封筒からある程度まとまった紙幣しへいを取り出して、リヴィオとレナートに手渡す。レナートが慌てた。


「ダニエラさん? そんな、ぼくは受け取る理由がありません」


「働いてもらってる給金だって言っても、あんた、受け取らないじゃないか。あたしの自由にして良いってんだから、自由にするのさ」


「リヴィオ……!」


「良いんじゃねえの? またその内、買い食い頼むかも知れねえしさ。小遣こづかいってんなら、俺もありがたくもらっとくよ!」


「素直でよろしい。今日はもう休んで、週末休日しゅうまつきゅうじつは二人とも、好きに遊びに行っといで。非日常性ってのは、確かに大事だよ」


 ダニエラが手を叩いて、リヴィオとレナートを追いやった。


 二人ともふところ小遣こづかいを、片手に珈琲カッフェの杯を持って、階段を小走りにあがる。前にいるリヴィオの背中を見て、レナートはいている方の手を握りしめた。


「リヴィオ……なんだか、ごめん。関係ないぼくが、こんなお金……」


「関係ないことないだろ。母さん言ってたぜ? おまえ、けっこう頑固がんこなんだってな。宿の仕事を手伝ってんだから、でかい顔して給金もらえば良いのによ」


「大したことはしてないよ。それに、少しでも宿泊費のしにできたら、ってだけで……」


「それとこれとは、話が別だろ」


 リヴィオが肩越しに振り返って、笑った。


「掃除とか料理なんて、少なくとも俺には無理だよ。おまえが母さんを手伝ってくれるから、俺が他の仕事できるんだぜ? ええと……だからさ。この金だって、俺一人でかせいだわけじゃないって。そう思えよ、な?」


 リヴィオの笑顔を、レナートはまっすぐに見られなかった。


 どうしてこんなに違うんだろう、などと考える段階は、とっくに通り過ぎた。


 リヴィオはレナートにとって、特別な友人だった。そのリヴィオをにくみそうになる自分が、レナートは情けなかった。

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