第四章 小型船の邪神教徒

39.そこいらへんでやめとけって

 夏の月夜、うっすらとラグーナからの霧がかかって、水上都市ヴェルナスタは白くまどろんでいた。


 せまい水路には、月明かりも街灯の光も入り切らず、欠け落ちたような闇があちこちにうずくまっていた。


 そんな闇の一つ、背の高い建物にはさまれた水路の真ん中に、一艘いっそう小型船ゴンドラまっている。船上の人影は三人、みな黒い外套がいとうで、頭から足首までおおっていた。


 一人が黒い大きな革袋を広げて、他の一人が中から、にわとりを逆さに引っぱりだした。両足を持たれたにわとりは、ぐったりとして動きも弱い。残った最後の一人が、にわとりの頭をつかんで、首に包丁を当てがった。


「……あれ、普通にしめてるだけってこと、ないかな?」


「見知らぬ他人を外見で判断するのもなんですが、異常な集団です」


「巡回で見つけるなんて、運が良いんだか、悪いんだか」


「アルマンドみたいなことを言ってはいけません。私たちの愛の共同作業で、地上に正義を執行するのです」


 げんなりとするリヴィオに、グリゼルダは、ふん、と鼻息が荒い。そうこうする間に、船上の異常な三人は、にわとりの首を切った。


 革袋ににわとりの首と、切断面からの血が、びたびたと落ちる。石でも入っているのか、中で固いものに跳ね散るような音がする。


 痙攣けいれんするにわとりの体の方も、革袋に放り入れて、袋口を縛る。そのまま、黒外套くろがいとうの一人が袋を持ち上げ、舳先へさきから危なっかしい腰つきで水面上に差し出した。


「あー、そこいらへんでやめとけって。おっさんたち」


 女かも知れないが、リヴィオがとりあえず、決めつける。黒外套くろがいとうが、そろってざわめき立った。


「な、なんだ、貴様っ? どうして、ここが……?」


「その官服、と、特務局か?」


「おのれ! 我らの悲願を妨げるか、公僕こうぼくめ……!」


 声からして結果的に、おっさんたち、という決めつけは合っていたようだ。なんだか好き勝手を言っているようだが、リヴィオはまとめて無視した。


「ええと、公序良俗こうじょりょうぞく? に違反してるぞ、多分。そういうのをやめさせるのも仕事なんだよ。治安維持活動ちあんいじかつどう? っていうので、拘束権限こうそくけんげん? 持ってるらしいからさ、俺」


「難しい言葉を使いますね」


「一応、国立高等学校生だからな!」


 がんばった口上こうじょうをグリゼルダに感心されて、リヴィオも満更ではない。怪しい男たちには一人芝居に見えていようと、つい、胸を張っていた。


「そんなわけでさ。迷惑そうな集団行動はやめて、おとなしく家に帰れって。せっかくしめたにわとりは、ちゃんと料理して……」


「ふ……ふはははは! 甘いぞ、特務局! 我らの儀式は止められん!」


 舳先へさきの男がわめいて、革袋を手放した。やっぱり石でも入っていたのか、大きな飛沫を上げて、すぐに水路に沈んでいく。


「なにやってんだよ、もったいな……」


 リヴィオのため息に、暴風が重なった。


 わずかな月明かりもさえぎって、闇の中になにかが飛来する。舳先へさきの男の頭上に、鋭く巨大な鉤爪かぎづめが見えた。


 リヴィオの右足が踏みしめた石畳いしだたみに、光の波紋が走る。水路のへりから、一本の岩の柱が伸びて、男と鉤爪かぎづめの間に割って入った。


 いや、男の横面よこつらにぶち当たった。男が小型船ゴンドラから、もんどりうって水路に落ちる。


「あ、ごめん」


「相応でしょう。生命いのちを助けて、文句を言われる筋合いはありません」


 グリゼルダの言うように、鉤爪かぎづめが目標を失って、空に舞い戻る。だが、すぐにまた、暴風が逆巻いた。小型船ゴンドラの残りの二人に目がけて、二本の鉤爪かぎづめ、巨大な鳥の両足が襲いかかる。


 リヴィオもまた、二本目、三本目の岩の柱を水路に伸ばす。ことごとく男たちの横面よこつらにぶち当たって、結局全員、水路に落ちた。


「見事ですね」


「い、いや、わざとじゃないって!」


 水路に落ちた男たちが、悪態っぽい声を上げながら、すぐにおぼれる。


 技能の問題ではない。全身をおお外套がいとうを着て、夜の海に落ちたら、大抵の人間はおぼれる。ヴェルナスタの水路は、幅はせまくても、ラグーナを区画した海だ。


「おい! なんとか、小型船ゴンドラにつかまって……」


 少し魔法に自信を失くして、リヴィオが呼びかける。その眼前に、影が舞い降りた。

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