37.いくらでも文句を言ってください

 日傘ひがさが開く。


 同時に、目のくらむような光があふれた。


 ロゼッタは光の中、モルガナに抱かれて浮かんでいた。二人を包む大きな光から、前にも見た、小さな光の泡が無数に飛び立った。


 光の泡は、壁を、屋根を、床をすり抜けて、水路を、大運河カナル・グランデを超えてヴェルナスタに広がった。


 ロゼッタには、そのすべてが見えていた。どこまでも一緒に広がっていくような、不思議な感覚だった。


 やがて、星の数ほどの光の泡は、物陰や建物の屋根裏、道端、水路の奥に入り込んだ。誰にも、動物にも見えていないようだった。


 そして静かに、ねずみたちを包み込んだ。小柄で茶色のねずみ、大きくて黒いねずみ、うずくまっているねずみ、走っているねずみせたねずみ、子供のねずみ、ケンカをしているねずみ、仲良く遊んでいるねずみ、なにかを食べているねずみ、怒っているねずみおびえているねずみ、鳴いているねずみ、それらのすべてを包み込んだ。


 光の泡が、明るく、暖かくなって、ねずみたちの輪郭りんかくが薄れていった。一つ、また一つと、包み込んだねずみたちと一緒に、光の泡が消えた。


 モルガナが祈るように目を閉じた。ロゼッタも同じことをした。


 なにが起きているのか、理屈ではわからなくても、感じていた。自分たちの都合でひどいことをした。許しはわないけれど、せめて祈った。静かな気持ちだった。


 最後に、ロゼッタとモルガナを包む光だけが残った。


「ありがとう、モルガナ……これで……終わったのね」


「いいえ。まだ、大事な仕上げがあるわ」


 モルガナが、ずっと抱いていたロゼッタを、寝台に横たえた。ロゼッタの両側のほおひたいに、モルガナが口づけをした。


「あなたに会えて良かったわ。大好きよ、ロゼッタちゃん」


「モルガナ……?」


「本当のお母さまには悪いけれど、向こうで会ったら、私の娘でもあるのよ、って言わせてもらうわ」


 モルガナがロゼッタから、身体を離す。光は、モルガナだけを包んでいた。


「お願いね、ジャズアルド……それから、アルマンド坊や」


 モルガナが、ロゼッタの知らない名前を呼んだ。


 光が大きくまたたいて、ロゼッタは思わず目を閉じた。少しして、恐る恐る目を開けると、部屋はもうただの部屋だった。


 光が消えて、モルガナもいなかった。身体を起こすと、手に、小さななにかが触れた。鉄錆色てつさびいろ丸薬がんやくのようなものだった。


 ロゼッタが呆然としていると、扉が開いて、誰かが入ってきた。


 灰色の覆面ふくめんと手袋をしていたが、医療局の人間とは違う、銀の縁取ふちどりをした紺色こんいろ官服かんふくを着ていた。覆面ふくめん隙間すきまから眼鏡めがねが見える。大人の男にしては、なんだか手足が細い、頼りない感じだった。


 男は、まだ裸でいるロゼッタを気にもしないで、寝台の丸薬みたいなものを拾い上げた。両手でささげ持って、一礼する。


魔法士アルティスタモルガナ=ラ・トルレさまの御遺志ごいし、確かにうけたまわりました」


 そしてロゼッタに向き合うと、片手でロゼッタの鼻をつまんだ。わけもわからず開いた口に、丸薬みたいなものが押し込まれる。


「申しわけありませんが、あなたの意向は無視します。後で、いくらでも文句を言ってください」


 わからなさすぎて、もう、どうとでもしてくれ、という気分だった。抵抗する力もなく、ロゼッタは、丸薬のようなものを飲み込んだ。


 暖かい熱量が身体の中を満たして、なにかに抱かれるように、ロゼッタは眠りに落ちていた。



********************



 黒死病こくしびょうと呼ばれ、過去に何度も大陸で猛威もういを振るった疫病えきびょうの、ヴェルナスタでの大流行は未然に防止された。


 医療局による迅速な原因菌げんいんきん感染経路かんせんけいろの特定と、奇跡的とも言える大規模な防疫駆除ぼうえきくじょの成功で、市街のごく一部のみに被害を封じ込めた。


 医療局のバティスタ=ロッシリーニ局長は第一の功労者として、大評議会から叙勲じょくんされた。


 疫病えきびょうに対抗する新薬の研究、交易船の検疫体制けんえきたいせいも整備が始まった。


 ロゼッタは、それこそ奇跡としか言いようのない回復をした後、真摯しんしに勉強を重ねて飛び級し、十四歳でヴェルナスタ国立高等学校・第二分校に入学した。そして一日だけ在籍して退学し、正式に特務局<赤い頭テスタロッサ>に所属した。


 バティスタは、胸を張って家を出るロゼッタに、苦笑してなにも言わなかった。

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