9.頼りにしてるよ

 ロゼッタが微笑ほほえんだ。


「あんたたちに、死んで欲しくないのよ。魔法士アルティスタは普通の人間に戻れない。どこにいたって、なんだかんだで、命がけの騒ぎに巻き込まれるわ。リヴィオが魔法士アルティスタになったのだって、あたしが現場に遅れたせいもある。そういう責任も感じてるのよ」


「……責任、という言われ方は、不愉快ふゆかいですね」


 グリゼルダが、ふん、とそっぽを向いた。


「あなたの行動が、私とリヴィオが結ばれる要因の一つになったのなら、むしろ恩です。恩人と認識しましょう。そして、あなたの言葉に一理があることも認めます」


「ありがとう」


 ロゼッタの礼には直接答えず、グリゼルダがリヴィオに向き直った。


「私はしばらく休みます。ですがリヴィオ、あなたが望めば、どんな瞬間にでも現れますよ」


「あ、ああ……助かるよ」


「言っておきますが、ロゼッタや他の女性に、妙な気を起こしたら……私の愛の深さを、思い知らせて差し上げます」


「わかってるって!」


「結構です。では、ごきげんよう。リヴィオ、ロゼッタ。ついでにジャズアルド」


 からかうような声を残して、グリゼルダが消えた。ジャズアルドも、笑ったような目をして、続いて消えた。


 昼下がりの、人影のない校舎裏に、リヴィオとロゼッタだけが残された。最初から実存じつぞんは二人だけなのだから、こういう印象は間違いかもしれないが、リヴィオにしてみればそうだった。


 ロゼッタが、自嘲じちょうして肩をすくめた。


「あんたの前じゃ、失敗してあやまってばかりの、まらない先輩だわね。あたし」


「そんなこと……昨日だって、あれは、俺が調子に乗ったせいで……」


「お互い、反省しましょ。それが済んだら、作戦会議よ。食べながらで良いから、見たこと聞いたこと、感じたことも、思い出せるだけ教えて。ちゃんとした情報が増えれば、戦い方も確実なものに近づくわ」


 リヴィオをまっすぐに見て、ロゼッタが、今度は花が咲くように笑った。


「こう見えて戦術家せんじゅつかよ、あたし。あんたも、もう立派な戦友せんゆうだわ。あたしたち二人と二人で、この騒ぎ、片づけるわよ」


「ああ……! たよりにしてるよ、先輩!」


 リヴィオも、ようやく安心して笑えた。そして安心したら、猛烈もうれつな食欲が復活した。とにかく一所懸命に食べて、かなり時々、頭をしぼって話をした。


 ロゼッタはリヴィオの隣に座って、苦笑しながら、穏やかに話を聞いていた。



********************



 満月の三日前の深夜、ヴェルナスタ市街の北のはし、常時開放されている交易船こうえきせん主要港しゅようこうからつながる大運河カナル・グランデを、さざ波が遡上そじょうした。


 さざ波は、支流である小型船ゴンドラの専用水路に広がって、市街のすみずみまで浸透しんとうしていった。


 大運河カナル・グランデのさざ波を、先導するように浮かんでいた虹色にじいろの球体が、ふわり、と、市街に点在する時計塔の一つに移動する。


 頂点から市街地を見下ろして、球体の真下に人影が現れた。


「んふふー。さあて、楽しい楽しい地上侵略……熱狂的再侵略レ・コンギスタ、だっけ? なんかそれっぽいのの、始まりよー!」


 はしゃいだ女の声を合図に、さざ波が、一斉に水路から上陸した。


 見渡す限りの、怪魚人かいぎょじん大群生だいぐんせいだった。魚体ぎょたいや手足の細部が、それぞれ違っている。


 中には、明らかにヴェルナスタ人とは違う肌の色もある。文字通り、海の果てからの再上陸だ。


『もぉぉぉぉおおおおおあああああああああああああッ』


 ときの声なのか、怪魚人かいぎょじんたちが雄叫おたけびを上げる。虹色球体にじいろきゅうたいの人影が、なにやらこころよさそうに身震みぶるいした。


 瞬間、時計塔の基部きぶ爆砕ばくさいした。


「ごめんっ! 弁償べんしょうは役立たず……アルマンドに、すぐやらせるからっ!」


 とりあえず街の誰かにあやまりながら、リヴィオとグリゼルダの魔法励起現象アルティファクタ剛腕ごうわんが、虹色球体にじいろきゅうたいの人影の足元を破壊していた。


 均衡きんこうくずした人影の周囲に、ぽう、と、五枚の小さな赤い羽根が浮かび上がった。


 羽根が炎になって、収束する刹那せつな虹色球体にじいろきゅうたいから光の紗幕しゃまく旋回せんかいした。


 炎が散って、その勢いで虹色球体にじいろきゅうたいと人影が、空中を泳ぐように浮遊した。


 人影が降り立った煉瓦造れんがづくりの家屋かおくの、細い路地をはさんだ向かいの屋根に、赤い羽根の明かりがともる。


 明かりに浮かんで、赤い縁取ふちどりの紺色官服こんいろかんふく、赤毛を馬のの一本縛りにまとめたロゼッタが、りんと胸を張って立っていた。


「やっと釣られて出てきたわね。あんたみたいな愉快犯ゆかいはんが、約束を守るなんて思ってないわ」


 ロゼッタの言葉に呼応して、夜の市街にふえの音が響いた。街の各所で、白刃はくじんの反射光がきらめいた。


 無言無音むごんむおん黒装束くろしょうぞく黒覆面くろふくめんの男たちが、両腕の小剣を振るい、統率とうそつされた動きで怪魚人かいぎょじんに襲いかかる。<黒い掌パルマネラ>の隠密戦闘部隊おんみつせんとうぶたいだ。


「あら……? あららー?」


 虹色球体にじいろきゅうたいの人影が、の抜けた嬌声きょうせいを上げる。


 ロゼッタが両腕を広げた。てのひらの指の間に、それぞれ小さな紙細工かみざいくの小鳥をはさんでいる。


「普通の武器で魔法励起現象アルティファクタは止められなくても、時間を作ることはできるわ。あたしのばたきが届くまでの、ほんのちょっとの時間を、ね」


 紙細工かみざいくの小鳥が、はらりと炎に燃えた。そして不死鳥が生まれるように、無数の、炎の赤羽根あかばねが空に舞い散った。

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