27.妖精と魔道士見習い(Ⅱ)
「申し上げます!」
進軍の準備にあわただしい帝国騎士団の本営へ、偵察兵の一人が姿を現した。
直立し、敬礼をする偵察兵は、もう一方の手で少年の腕を縛るロープを握りしめている。
奥からギルバートの許可の声がかけられ、偵察兵はレオニーのロープをぐいと引き、陣幕をくぐった。
「ミカエラ殿下。陣地の近くで、こそこそと動き回る怪しい
「輩?」
自ら軽装の甲冑を点検していたミカエラが振り返る。
視線の先でミカエラを睨みつけているレオニーの鼻から、つ……と一筋の血が流れるのが見えた。
「……子供じゃないか」
ミカエラの言葉と表情に、レオニーは一瞬で戦略を組み立てる。
どうやらこの指揮官は帝国兵にしては常識もあり、情にも厚そうだ。
ここは「兵の勘違いで捕らえられた、かわいそうな子供」の線で行こうと決めた。
それにはもう一押し演技が必要と考え、ミカエラたちからは見えないように、ロープを引っ張った。
偵察兵は逃げられないようにとロープをたぐり、握りなおす。
それに合わせて引きずられた風を装い、レオニーは悲鳴を上げた。
「痛いっ! 離してよ! 僕、なにもしてないじゃないかぁ!」
「大人しくしろ!」
身をよじり、痛い痛いと騒ぐレオニーに手を焼いた偵察兵は、きつくロープをねじり上げる。
演技ではなく本当に「痛ぁっ!」と叫ぶレオニーを見て、リリアンはコロシアムの拳闘士のように、偵察兵に向かってシュシュッっと拳を振り上げて見せた。
とはいえ、その姿はレオニーにしか見えていない。
今はおとなしくしていてほしいと目で訴えると、リリアンは偵察兵に向かってべぇ~っと舌を出し、ぷいっと顔をそむけた。
「乱暴にしてはだめだ。手を離してあげなさい」
「はっ? はぁ」
ミカエラに諭され、偵察兵はねじり上げていた手をゆっくりと降ろす。
「……妙な真似はするなよ」
兜の下から一睨みして、偵察兵はロープの端を離した。
まだ縛られてはいたが、無理な体勢にひねられていた腕を降ろし、レオニーはほっと息をつく。
「何もしないって」
鼻の下がむずがゆい。
もう乾き始めた鼻血を肩で拭うようにして、誰にも聞こえないように小さく、少年は吐き捨てた。
「ご苦労だった。君はもう下がっていい」
「はっ!」
踵を合わせて敬礼すると、偵察兵は本営を後にする。
ミカエラに、ロープを解くようにと命じられたギルバートがレオニーに近づくと、それまでじっと事の成り行きを見つめていたキアラが兜の
「どうした、キアラ?」
ミカエラが問う。
レオニーのロープを解きかけていたギルバートも、手を止めて振り返った。
キアラの視線が、レオニーの周囲をゆらゆらと追いかける。
やがて深い濃紺の瞳は、ゆっくりとレオニーに定められた。
「お前、魔法使いだな?」
ぎくりとレオニーの体がこわばる。
ギルバートは長身に似合わぬ素早さで少年から離れ、ミカエラの前に立つと同時に、剣に手をかけた。
「魔法使いだと? きさま、ミカエラさまのお命を狙う刺客か!?」
「え? ちっ違う……僕はただ、川で釣りをしようとしてただけだよ!」
「ふん……。ミカエラさま、子供の姿をしているからといって、油断なさいませぬよう」
「分かっている」
落ち着いた様子で、ミカエラはうなずく。
ここは帝国騎士団のど真ん中だ。
一声かければ、一騎当千の騎士たちが、雪崩を打って駆けつけるだろう。
もちろん相手が魔道士となれば、その幼い外見など当てにならない。
それでも、たった一人の少年相手に誉れ高き帝国騎士団が負けるなどとは万に一つも思えなかったし、また逆に、たった一人の少年を騎士総出で襲うようなことはしたくなかった。
「……キアラ、なぜ彼が魔法使いだと?」
「彼のそばに妖精がいるからです」
「妖精?」
キアラの視線の先を追って、ミカエラとギルバートの瞳は、少年の周囲に向けられた。
しかし、当然ながら魔法の素養のない二人には、わずかながら次元のずれた世界に存在する妖精の姿など、まったく見ることができなかった。
「この妖精は、賢者の森の妖精だろう?」
レオニーに向かって、キアラが確認する。
全身を鎧に隠した謎の人物の言葉に、レオニーはごくりと
ふわふわと漂っていたリリアンも、こっそりとレオニーの陰に隠れる。
「あれ? ……バレてる?」
「そんな、帝国の人に妖精が見えるはずないよ」
「……でもこの人、本当に見えてるよ! だって、すっごく目が合うもん」
こそこそと会話を交わす二人に、キアラは歩み寄る。
後ろ手に縛られたままのレオニーは、慌てて一歩身を引いた。
「お前は賢者の森から来たのか? 賢者さまは、今もご無事でおられるのか?」
怒りが、少年の体に満ち溢れた。
小刻みに震えるレオニーを見て、怖がっているのだろうと感じたキアラは、歩みを止め、兜の中で笑顔らしきものを作って見せた。
「大丈夫。私たちは敵ではない」
笑顔は嘲笑に、やさしさはあざけりに。
すべての感情に負のバイアスがかかる。
キアラの言葉に、レオニーの顔から血の気が引いて行った。
「……何を……?」
ふらりと一歩、前に出る。
レオニーの恐ろしい表情を見て、リリアンの口から「ひっ」と小さな悲鳴が上がった。
「何を! 言ってるんだよ!」
蒼白な顔で後ろ手に縛られたまま、レオニーは身体ごとキアラへと突きかかる。
しかし、怒りに任せた体当たりはたやすくかわされ、足をもつれさせたレオニーは、幕舎の床に無さまに転がった。
慌ててミカエラが駆け寄る。
肩に触れようとするその手を振り払い、レオニーは叫んだ。
「賢者さまを殺したくせに!!」
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