23.小年王

 ミュライン城の一角、王族が様々な人々と歓談をするために設けられたサロンの一室。

 サロンと言う優雅な言葉とは裏腹に、王宮における権謀術数けんぼうじゅっすうの渦巻く区画である。

 しかし、国章ともなっている純白の翼持つ馬がえがかれた「天馬ペガサスの間」は、その中にあって唯一、そのような陰鬱な会話とは無縁の部屋だった。


 分厚い絨毯の上をユーリが横切り、落ち着き払ったエリアスが眼鏡の奥から主を目だけで追う。

 その視線の先は、何度も部屋の中を行き来した。


「陛下。ヴィンセント様、ジーク様ご両名がご到着です」


 案内の兵士が分厚い扉越しに告げると、ユーリに代わってエリアスが入室を許した。

 分厚いオークの扉が、ゆっくりと開く。

 現れた二人の腹心の影に、ユーリは探していた女性の姿を見つけた。


「……っ!!」


 思わず駆け出し、その勢いに驚くアリアの手を取る。

 普段は快活で生気に溢れているユーリの顔は、力が抜け、今にも泣きそうに見えるほどだった。


「アリアさぁん!! 良かったああぁぁ!!」


「……ご無事で何よりです」


 あるじと違い落ち着いたエリアスも、ゆったりと歩み寄り微笑みをむける。

 アリアもホッとした表情になったが、すぐに眉を寄せ、逆にユーリの手をとった。


「ユーリ、エリアス! はぐれてしまってごめんなさい」


 きっかけは盗賊たちのせいだとは言え、自身の判断が、この優しい恩人たちに心配をかけることになってしまった。

 アリアは心の底から申し訳なく思い、謝罪する。

 しかし、ユーリはすぐにかぶりを振った。


「突然消えてしまったので心配しました!」


 それだけだった。

 アリアが無事だったのなら、それ以上何を心配する必要があるだろうか。

 すぐにいつもの笑顔に戻ったユーリは、直属の兵であり友人でもある二人を見上げた。


「ヴィンセント、ジーク、ありがとう。アリアさんを見つけてくれて」


「見つけたというか……」


「まぁ……たまたま、だな」


 ヴィンセントもジークも、返事の歯切れは悪い。

 苦笑いする二人とユーリにエリアスまでを見回して、アリアはここまでの道中で得られなかった答えを求めた。


「あの、それで……、これはいったいどういうこと?」


 質問をしてから、そう言えば、と思い直す。

 ここは王宮。

 そしてユーリは「陛下」と呼ばれていた。


「――でしょうかぁ」


 無理やりに敬語らしきものを後づけするアリアに、ジークが「ぶっ」と吹き出す。

 ユーリはバツが悪そうに手を離し、エリアスを振り返った。


「ああ、そうですよね。ユーリ様は、エルンスト聖王国の国王であり、私はその陛下にお仕えをしているのです」


「国王って、……お、王様?!」


 ある程度予想していたとは言え、自分よりも若いであろうこの少年が国王だという事実は、やはり衝撃的だった。

 思わず「誰が?」と続けそうになり、無理やり口をつぐむ。


「えへへ、見えませんよねぇ……」


 照れたように笑う少年と、目を丸くして王を見つめる少女。

 ヴィンセントは無表情に二人を眺め、ジークは腹を抱えて涙を流す。

 コホンと一つ咳払いをして、混沌としてきた場を収めるために、エリアスが口を開いた。


「申し訳ございません、あなたを騙すつもりはなかったのですが。外ではあまり身分を明かさないようにしているので」


 今度はアリアがかぶりを振る番だった。

 記憶のないアリアには、エルンスト聖王国がどのくらいの国なのかは分からない。

 それでも、さっきまで目にした賑やかで大きな街や、この美しい宮殿を見れば、なんとなく想像はつく。

 一国の王に向かって、どこかの裕福な家の御曹司くらいのつもりで話してしまった自分の言葉を思い出し、アリアは肩をすくめ、頬を赤らめた。


「ごめんなさい、わたし……とんだ御無礼を」


「いえいえ、気にしないでください! どうか、そのままで。あまり特別扱いされるのも好きではないので」


 慌ててユーリは顔の前で両手を振る。

 普段は大人たちに囲まれて、正しく「王」であろうと生活している主人の、珍しく十五歳の少年らしい姿にエリアスは目を細めた。

 サロンに和やかな雰囲気が流れる。

 しかし、彼が無言のプレッシャーを感じて顔を上げると、そこにはヴィンセントの苦虫を噛み潰したような顔があった。


「それで、お前たちはまた城を抜け出して、好き勝手やってたわけだ」


 普段よりも一段低い声に、ユーリもギクリと身を縮める。

 ゆっくりと振り返り、ヴィンセントの形相を確認すると、冷や汗をかきながらも、親指と人差し指の間にほんの僅かな隙間を作り、言い訳をした。


「ほんのちょこっと、砂漠の遺跡を調査していただけです……」


「何度言ったら分かるんだ? いつどこで命を狙われてもおかしくない身分なんだぞ!」


 守るべき主君にもしものことがあったなら。

 その時、聖王のつるぎであるはずの自分がそばに居られなかったなら。

 家族のように大切なユーリに何かがおこったなら。

 ヴィンセントの心は重苦しい不安に押しつぶされる。

 黒髪の聖王直属部隊プリーシード隊長は、歯を食いしばり、背を向けた。


「……そばにいなきゃ守ってやれない」


 その言葉は、普段のヴィンセントからは想像もできないほど、か細く、不安げだった。

 どうしたらよいか分からず、ユーリはオロオロと臣下たちの顔を見回す。

 目のあったジークは、したり顔でユーリを見つめ返した。

 その表情を見て、思い当たったユーリは、一瞬だけいたずらっ子のように笑い、次に神妙な表情を作る。

そのまま、しおらしくヴィンセントの背中に手を当てた。


「ごめんなさい、ヴィンセント」


 謝罪の言葉に振り返ったヴィンセントを、ユーリは上目遣いに見つめた。


「……そんなに怒らないで?」


 主君のうるんだ瞳に見つめられ、それがユーリの演技だと分かっていても、ヴィンセントはもう何も言えなくなる。

 ニヤニヤとこちらを眺める友人を主君の身代わりに一にらみして、彼は黒髪をグシャグシャとかき回した。


「……はぁ、ったく」


「まぁまぁ。アリアさんも無事に見つかったのですから」


 一緒に怒られていたはずのエリアスが、悪びれもせずなだめに入る。

 ヴィンセントが言い返そうと口を開いた瞬間を狙って、彼はさらに、核心の言葉を継いだ。


「――それに、セレスティアに関する有益な情報も得られました」


 突然の「セレスティア」と言う名前に、皆一様に息を呑む。

 それは、伝説とも言える悠久の昔に存在した国の名前。

 今ではほぼ「楽園」と同義語として使われるそれは、ユーリが自らの国の理想の姿として、求めてやまない国である。

 そして、ティマイオス帝国との長きにわたる争いを諌める事ができる、唯一の鍵でもあるはずだった。

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