22.記憶喪失の少女

「記憶喪失?!」


 期せずして、ヴィンセントとジークの声がそろった。

 エルンスト聖王国、王都の中央に位置するミュライン城。

 戦となれば魔術による防壁で守られる城は、平時は王族の住む美しい白亜の宮殿である。

 静かな回廊にこだましたその言葉に、アリアは驚いて肩をすくめた。


「そう。だから何も覚えていなくて……」


「……お前、先にそれを言え」


 呆れたようにため息をつき、ヴィンセントが咎める。

 ジークは二人のやり取りがツボに入った様子で、ぶっとふき出した。

 アリアにも反論はある。

 あれよあれよという間にここまで連れてこられた彼女に、そんなことを告げるタイミングなどなかったと言うのが実情だ。

 その点ヴィンセントたちにも非はあるのだが、素直なアリアは頭を下げた。


「ごめんなさい」


 言い訳が返ってくるものと予想していたヴィンセントたちは、初々しい反応にそれ以上何も言えなくなる。

 それきり会話は途切れ、回廊に三人の靴音だけがしばらく続いた。


「……ねぇ、ここは王様の住む宮殿よね? 本当にユーリとエリアスがいるの?」


 沈黙に耐えきれず、アリアが会話をふる。

 ジークはただ面白そうに笑顔を見せ、ヴィンセントはあからさまに口をつぐむ。

 それでも何度かアリアが質問を重ねると、やっと振り向いたヴィンセントが一言だけ言葉を投げた。


「いいから黙ってついて来い」


 取り付く島もないとはこのことだ。

 アリアは仕方なく、黙って従うことにした。

 もう一度、足音だけを聞きながら、長い回廊を進む。

 最初はヴィンセントの態度に少々憤慨し、緊張もしていたアリアだったが、やがて辺りの景色を楽しむ余裕ができた。


 王宮の開放的な大きな窓には、細かな装飾が施され、回廊を明るい光で満たしている。

 そこから見える中庭では、色とりどりの花が競うように咲き誇っていた。

 木漏れ日が、よく整備された小道に優しいグラデーションを描く。

 建物の壁と屋根によって額装された青空は、一枚の絵画のようだった。


 きれいな国だなと、アリアは思う。

 じっくりと見ている時間はなかったが、街も、宮殿も、人も、すべてがやさしく美しい。

 記憶のない彼女ではあったが、なぜだかその景色は少し懐かしくもあり、故郷という言葉を思い出させた。


「ヴィンセント様ぁ!」


 ガシャガシャと鎧で走る騒々しい音が近づき、アリアの思考は中断された。

 兵士はそのままアリアたちの前まで駆け寄り、敬礼する。

 まだ少年の面影の残る若い兵士は、息せき切ってヴィンセントを見上げた。


「戻られましたか! 良かった!」


「どうした?」


 短く聞き返すヴィンセントの態度は、アリアから見れば「事務的で冷たい上官」といった風であったのだが、兵士の表情に緊張や恐れは見えない。

 それは一緒にいるジークの醸し出す雰囲気のせいかとも思えたが、どうもそれだけではなさそうだった。

 兵士は、信頼と親しみのこもった視線でヴィンセントを見つめている。

 アリアは、この長身で言葉少なな青年の評価を改めたほうが良いかもしれない、そう思った。


「たった今、陛下から女性の捜索命令がありました」


「捜索命令?」


「はい。金色の長い髪をした十七、八くらいの女性で、記憶を失っているとの情報です」


 若い兵士の意気揚々とした報告は、途中で気づいたアリアの姿にくぎ付けになり、しりすぼみとなった。

 ヴィンセントとジークも、アリアに視線を向ける。

 アリアは三人から見つめられ、いたたまれなくなって頬を赤らめた。


「……多分それ、こいつのことだなぁ」


 本日二度目。

 またヴィンセントとジークの声がそろう。

 さすがのジークも苦笑いを浮かべるしかなかった。

 また大きくため息をついたヴィンセントは、気を取り直して兵士を振り返る。


「陛下はどちらに?」


天馬ペガサスにおいでです。ご案内いたします。どうぞこちらへ」


 落ち着いたヴィンセントの言葉に、兵士は姿勢を正した。

 かかとをそろえ、もう一度敬礼すると、三人を先導して回廊を進む。

 ユーリとエリアスに会える。

 約束を果たせる。

 そう思っただけで、アリアの心は風に乗って空を舞う蒲公英たんぽぽの綿毛のように、軽くなるのだった。

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