10.魂の片割れ(Ⅱ)
「……どうして、あなたがここに?」
震える脚を一歩進め、キアラはミカエラへと手をのばす。
ミカエラはどうしたのかと尋ねるように、研究員へと視線を向けたが、男は手元の端末に表示された数値を確認し、何もわからないと首を振った。
「ルシアン、生きていたのね!」
研究員が止めるまもなく、キアラは弾かれたように飛び出し、ミカエラの胸へと飛び込む。
その細い体を受け止めたミカエラは、今まで呼ばれたことのない、それでいて奇妙な懐かしさを覚える名前を繰り返した。
「ルシ……アン?」
「まさか、あなたに会えるなんて……」
少女の声とルシアンという名前が、ミカエラの知らない記憶の中で結びついた。
懐かしさと
宙に浮いていた両手が、胸の中のキアラを抱きしめようと、ゆっくり動いた。
「何をしている! 殿下から離れなさいッ」
その瞬間、研究員がキアラを乱暴に引き剥がす。
キアラに一瞬浮かんだ怒りの表情は、研究員の「殿下」という尊称を聞いてすっと冷めた。
ミカエラは、内心の動揺を覚られぬよう、襟を正し、細く息を吐く。
研究員は二人の間に立ち、深く頭を下げた。
「申し訳ございません、殿下」
「……いや、大丈夫だ」
皇子の身体に傷のないことを確かめ、研究員はほっと胸をなでおろす。
その後ろで未だミカエラを見つめているキアラに向け、研究員は言い聞かせるように言葉をかけた。
「控えなさい。このお方は、ティマイオス帝国の皇子であらせられるミカエラ様だ」
「ミカエラ……? 違う……の?」
一度研究員を見て、もう一度ミカエラへと視線が動く。
キアラの
「キアラはまだ目覚めたばかりで、精神が不安定なのでしょう」
慌てて申し開きをする研究員にもゆっくりとうなずいて、ミカエラはキアラへと笑顔を向ける。
「私が誰かに似ていたのかな」
その良き
はっきりと記憶があるわけではない。
しかし、同じ顔、同じ声であっても、記憶の中の陽だまりのようなあの笑顔とは、違う感覚だと断言できた。
「……そうよね。あれから千年も経っているんだもの。ここに彼がいるはずないわ」
肩の力を落とし、キアラはまた目を伏せる。
キアラがおとなしくなったのを確認して、研究員は本題を切り出した。
「ミカエラ様、この娘の中に宿る魂は、千年前に滅びたセレスティア王国の姫君のもの。姫から奪い取った魂の片割れを元にして作られました。姫と同じく、セレスティアの古代魔法を操る力を持っています」
「古代魔法……」
ミカエラの声に、微かに恐れが混じる。
古代魔法といえば、ティマイオス帝国の科学技術とも、エルンスト聖王国で使用される魔法とも違う。
それは星を降らせて国一つを滅ぼすことも、死者を蘇らせることすらも出来るという、強大な魔法だと聞いていた。
「千年前の戦争から今に至るまで、姫の魂の器となるクローン体を作る実験が何度も繰り返されましたが、いずれも失敗に終わってきました。その中で、唯一キアラだけが突然目を覚ましたのです。理由は分かりませんが……」
「これは、何かの予兆かもしれないな」
「はい。……予てからの悲願だった、魂の復活が達成された。その成功を喜ぶべきなのかどうか……」
過去何代にも連なる、歴代の研究者たちの悲願である、セレスティア王国の姫君の魂の復活。
それが自分の代で成し遂げられたというのに、研究員の表情は、決して晴れやかなものではなかった。
ミカエラも、彼が何を心配しているのかは容易に想像できる。
目頭に指を乗せ、ティマイオス帝国の第三皇子は頭を悩ませた。
「キアラが目覚めたことを兄上が知れば……、彼女はエルンストとの戦争に利用されてしまうだろう」
言いにくい状況をずばりと言いのけられ、研究員は
少しの間、居心地悪そうに手を握ったり開いたりしていたが、とうとう心を決めた様子で顔を上げた。
「……それだけは、絶対に阻止せねばなりません。陛下には、実験はまた失敗に終わったと報告しましょう」
「そうだな」
「私どもも戦争は望みません。キアラは私の娘のようなもの。ミカエラ様なら、きっとこの子を大事に扱ってくださると思いまして。殿下にご報告を……」
ティマイオス帝国の極秘研究施設の研究員といえば、皇帝アルゴン陛下直属の研究部隊だ。
同じ科学研究の徒から見れば、羨ましがられ、妬まれるような地位でもある。
その彼が、陛下を裏切り、自分の地位を危うくしてまで助けを求めたのだ。
ミカエラの返事は決まっていた。
「分かった。彼女を引き受けよう」
「ありがとうございます! キアラ、ミカエラ様にお仕えするのだ」
「……はい」
満面の笑みで背中を押され、キアラはミカエラの隣へ押し出される。
ミカエラは、一度キアラがちゃんと付いてきているか確認しただけで、あとは真っ直ぐ前だけを向いて廊下を歩いた。
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