28.妖精と魔道士見習い(Ⅲ)
静寂が訪れた。
キアラも、ミカエラも、ギルバートも、そしてリリアンさえも身動き一つしない。
本営の入り口に立っていた兵士が一度中をうかがうように顔を向けたが、そこに漂う空気に、声をかけることもできず、持ち場へ戻った。
レオニーのすすり泣く声が小さく続く。
やがて、いち早く衝撃から立ち直ったギルバートが伝令を呼び、事実確認に向かわせた。
「殺した? まさか……賢者さまが亡くなられたのか!?」
「そうだよ! お前たち帝国兵に殺されたんだ!!」
土にまみれた顔を持ち上げ、レオニーはキアラを睨みつける。
その眼光は、キアラが今までに見たことのない、純粋な『怒り』そのものの感情を乗せていた。
周囲の精霊が、小さな魔道士に感化されてぐるぐると渦巻く。
暴風のようなマナに煽られ、キアラはよろめいた。
「そんな……なんてことを……賢者さまっ……」
ギルバートがキアラを支える。
無言のままミカエラはレオニーを立ち上がらせ、血と土と涙で汚れた顔をぬぐった。
少年はもう涙を止め、冷静に辺りをうかがっている。
魔道士に大切なのは、心を静めマナを感じること。そして、物事を客観的に判断すること。
優しい師の言葉を思い出し、世界に満ちるマナに師のぬくもりを感じる。
その温かい光は、怒りに凝り固まったレオニーの心を解きほぐした。
「……ふぅ」
少年は、静かに目を閉じ、息を吐く。
空気が変わったことに、魔法を知らないミカエラも気がついた。
怒りというとてつもなく重い感情を、この短時間で制御する小さな魔道士に、感嘆と尊敬の念すら抱く。
顔をぬぐい終え、レオニーの戒めを解くと、ミカエラは立ち上がった。
「キアラ、すまない。私も知らなかったことだ……」
「おそらく、秘密裏にアルゴン帝の命が下ったのでしょう」
まだ確認は取れていない情報だが、あの暴君ならばやりそうなことではある。
ギルバートの冷静な言葉に、ミカエラはうなずいた。
「あのお方だけが頼りだったのに……」
鎧の奥で、キアラの声が震える。
彼女の周囲に漂う水の精霊が悲しみに染まるのを、レオニーは意外な気持ちで見つめた。
一方、この任務を無事に終えたなら会いに行くつもりであった森の賢者――幼いころ、母から繰り返し聞いたおとぎ話の魔導士の死は、ミカエラの心にも重くのしかかった。
しかしそれでも、将たる自分は、今後の方針を示さねばならない。
心の中で様々な思いに無理やりけじめをつけ、ミカエラは顔を上げた。
「ところで君たちは、ここで何をしていたんだ? 良ければ、事情を聞かせて欲しい」
「……どうせ、僕たちも殺す気なんだろ?」
視線を合わせず、手首についたロープのあざをさすりながら、レオニーは言う。
年相応の少年らしいすねたような言葉に、ミカエラは思わず笑みを浮かべた。
「そんなことはしない。誓おう」
レオニーは、ちらりと目を上げる。
そこにあったのは、あの、見た人をひきつけてやまない黄金の笑顔だった。
思わず小さくうめき、すぐに目を背ける。
賢者さまと同じ、温かい笑顔だと、レオニーは思った。
「レオニー……、この人、嘘はついてないよ?」
「でも……帝国兵なんか信用出来ないよ!」
心の中ではわかっている。
それでも、この人たちは帝国の人間なんだと思うと、素直にうなずくことはできなかった。
そんな彼に、恐る恐る近づいたリリアンが顔を覗き込む。
さっきまでの見たこともない感情にあふれた顔とは違う、いつものレオニーの顔を見て、彼女もやっと普段通り、肩にふわりと乗った。
「……妖精の君、名前は?」
不意に、キアラがリリアンへと話しかける。
レオニーや森の賢者以外の人間と話をしたことのなかったリリアンは、驚いて聞き返した。
「え? わたしに聞いてるの?」
「そうだ」
即座に答えたキアラを見て、リリアンの顔はぱぁっと輝く。
思わず空中に飛び上がり、いつもに増して輝く羽根を羽ばたかせ、くるくると回った。
「わたしはリリアン! で、こっちがレオニーだよ! ねぇ、レオニーは殺されちゃうの?」
「心配するな、ミカエラさまはそのようなことをされるお方ではない」
「そっか! 良かった~♪」
友人の目の前にさかさまに止まり、「ね! よかったね♪」と笑う。
レオニーは不機嫌そうに腕を組み、ぷいと横を向いた。
「お前たちの力になりたいんだ。事情を聞かせてくれないか?」
「うん! わたしたち、賢者さまのお使いでエルンストに行くところなの」
「ちょ、ちょっと、リリアン!!」
なんのためらいもなく、キアラへ旅の目的を語るリリアンに驚き、思わず腰のカバンに手をやる。
しまったと思ったが、誰もそのことを気にしていないのを見て、レオニーはそっと手を降ろした。
「エルンストへ?」
「そう! 賢者さまにね! わたしがお願いされたんだ~♪」
楽し気に話を続けるリリアンと、それがさも当然であるかの如く受け答えをするキアラ。
しかし、それを見ているミカエラやギルバートには、まるでキアラが空中へ向かって独り言を言っているようにしか見えなかった。
「不思議だな、そこに妖精がいるのか」
「そのようです、俺には何も見えませんが」
感慨深げに腕を組み、ミカエラがつぶやく。
ギルバートも同じような格好で、不思議そうにその光景を眺めていて、それを見たレオニーは少しだけ
「ねぇ、わたしたち、そこの川を渡りたいだけなんだ。通らせてもらえない?」
「賢者さまの使いか……分かった」
話の流れで、何気なく放ったリリアンのお願いごとに、キアラがうなずく。
ガチャリと鎧を鳴らして、彼女は
「ミカエラさま、この者たちをエルンストまで送ってあげられませんか?」
リリアンの姿も見えず、声も聞こえないミカエラたちには、話の流れがわかっていない。
森の賢者の最後のお使いのこと、目的地がエルンストの王都であること、そのために、この橋を渡りたいこと。
キアラはリリアンから聞いた話を、順序立てて説明した。
ミカエラは、ギルバートと目配せをし、レオニーへと視線を移す。
心配そうに見ている少年へ笑顔を向けて、彼は大きくうなずいた。
「え、いいの?」
「ああ。ちょうど私たちも、国境沿いの村を目指しているところだからね。安全に送り届けると約束しよう」
レテ村まではあと僅か。
しかし王都ミュラインまでは、馬車を使っても数日の距離があった。
レテ村への道すがら、ミカエラはレオニーのためにすべての手配を整え、小さな魔道士を見送る。
リリアンもキアラと別れを惜しみ、馬車の窓からいつまでも手を振った。
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