25.帝国騎士団

 グレンツェ川は、ティマイオス帝国、エルンスト聖王国の両国を東西に横切る大きな川だ。

 砂漠地帯にも近いため、季節によっては砂の色に染まることもあるが、その水量は多く、周囲に住む人々に豊富な川の恵みを与える命の川であった。

 普段であれば漁師や、物資を運ぶ水運の船が賑やかなその川のほとりには、帝国の陣幕が張られ、たくさんの兵士が行き来している。


 高くひるがえる軍旗には、二振りのつるぎを持つ御使みつかいの姿が縫い取られていた。

 最も大きな陣幕の中、各隊の隊長クラスが肩を並べる。

 その視線の先には、輝く黄金を体現する人物が立っていた。

 ミカエラ・オルセン。

 ティマイオス帝国第三皇子にして、栄光ある帝国騎士団の団長は、肩幅に開いた足でしっかりと大地を踏みしめ、腕を背中に組み、胸をはった。


「聞け! 親愛なる兵士諸君。セレスティアのクリスタルシードに関して、密偵から有益な情報があった。当軍は、これからエルンストとの国境沿いにあるレテ村へ向かい、ザントの部隊と合流する。到着次第、レテ村の遺跡調査を開始する。三刻以内に出立の準備を」


「はっ!」


 ミカエラより年上のものも多い各隊隊長たちは、声を揃え、一斉にかかとを打ち鳴らす。

 一糸乱れぬ統率で回れ右をすると、各々の部隊へと向かった。

 その姿を見送り、ミカエラは脇に控える鎧姿の兵士へと視線を向けた。


「キアラ」


「はい、ミカエラ殿下」


 帰ってきた言葉は、兜の面頬めんぼおにさえぎられ、ややくぐもっているものの、まぎれもない少女のものだった。

 重い鎧に少々手こずっている様子のキアラを優しく見つめ、ミカエラは傍らに姿勢を正して待つ長身の男へ手のひらを向けた。


「ギルバートを紹介しよう。信用出来る男だ。私が不在の時は、彼を頼るといい」


 紹介されたギルバートは、兵士らしく立派な体躯をしていて、襟章は副官のものであったが、一般将校と変わらない地味な軍服を身に着けている。

 彼は自分の胸に飾られたミカエラの旗章に拳を当て、こうべを垂れた。


「セレスティアの姫君、事情は聞いております。何なりとお申し付けください」


「ありがとう、ギルバート」


 重い鎧を身に着けたまま、キアラが優雅に礼を返す。

 二人の顔合わせが済んだところで、ミカエラは軍議用の円卓へと歩み寄り、広げられた地図に指を滑らせた。


「これから向かうレテ村には、セレスティアの古代遺跡があるんだ」


 指し示す先には「レテ村」の名がある。

 しかしその村の場所は、国境付近ではあるものの、敵対しているエルンスト聖王国の領地に属していた。


「そこに、クリスタルシードがあるかもしれない、そういう事ですね」


「そうだ」


「ザントも血眼になって探しているようです。何としてでも手に入れようとするでしょう」


「ああ。同胞であっても、それは絶対に阻止しなければ」


 暴君アルゴン・オルセンがクリスタルシードの力を自在に操ることになれば、世界のバランスはまたたく間に崩れてしまうだろう。

 そこに訪れるのは、くらい炎と血にまみれた未来。

 たとえ自らの率いる帝国騎士団が国境を侵したことにより、ティマイオス・エルンスト両国の間に緊張が走ろうとも、それだけは阻止せねばならなかった。

 いつか両国に平和をもたらすための、愛する妹が笑顔で暮らせる未来のための悪行あくぎょう

 ミカエラは拳を握りしめ、流れる血の幻想を振り払った。


「だが、彼らがクリスタルシードを見つけたとしても、簡単に扱えるようなものではないだろう」


「そうですね。幸いなことに今は帝国内に魔道士もおりませんし」


「……魔道士がいない? 何故?」


 ミカエラとギルバートの何気ないやり取りに、キアラが疑問を投げかける。

 その疑問は、この時代に生きる二人にとって、あまりにも当然の事実であった。

 思わず顔を見合わせ、なぜキアラがそんなことを疑問に思うのかに、やっと思い当たる。

 ギルバートは静かにうなずき、質問に答えた。


「数百年ほど前、帝国から魔法を根絶するため、魔道士狩りがあったそうです。その血筋の者や才能のあるものは、すべて処刑されたとか……」


 事実の持つあまりの残酷さに、キアラは言葉を失う。

 どうして、なぜそんなことをと言う疑問も、すぐには口にできなかった。


「それ以降は、他国からの魔道士の入国も許されていません」


「そんな……」


 魔道士たちに突然訪れたであろう悲劇に思いを馳せたキアラに、一人の人物が思い浮かんた。

 人のことわりを超えて永遠とも言える時代ときを生き、世界で最も全知ぜんちの境地に近いはずの、あの優しい老人の姿が。


「では、賢者様は? 森の賢者様はまだご存命ですか? あの方が生きておられれば、何か知恵を貸してくださるかもしれない」


 キアラのその言葉に、今度はミカエラたちが驚くことになった。

 現世うつしよを見守る、高名な魔道士『森の賢者』の名は、魔法と縁のない帝国内にも聞こえていた。

 しかし、キアラの魂が生きた時代は、はるか悠久の昔。

 彼女から、その名前が出るとは予想もしていなかった。


「そうか、君がいた時代……千年も前から森の賢者は生きていたのか」


 改めて、魔法というものの力に畏怖いふの念を抱く。

 ミカエラは様々な可能性に考えをめぐらし、最後に一つうなずいた。


「分かった。この任務が終わったら、賢者を訪ねてみよう」


 分厚い天幕越しに、南へと視線を向ける。

 ギルバートとキアラも、その視線を追った。


――賢者の森。


 聖域とされる太古の森。

 そこにいるはずの『森の賢者』へと思いを馳せながら。

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