第2楽章 闘技場の花

16.闘士 アリア

 エルンストの王都ミュライン。

 活気溢れる街の外れ、円形闘技場コロシアムに、ひときわ大きな歓声が響いた。

 せり上がるように周囲を囲む観客席から、小さく見える一人目の闘士に、圧力を持っているかのような音が降り注ぐ。

 その観客席の片隅で、長身の男がゆったりと友人に声をかけた。


「ジーク」


「お、ヴィンセント! こっちだ、こっち!」


 ジークと呼ばれた大柄な男は、太陽をいっぱいに浴びた山葡萄やまぶどうのような髪色がひときわ目立つ。

 広めに作られているはずの席に、窮屈そうに体を収めていたジークは、にこやかに手を振った。

 そこだけ闇のこごったような黒髪のヴィンセントが、姿勢よく隣に腰を下ろす。

 年若い友人の背中をたたき、ジークは嬉しそうに声を出して笑った。


「どうした? 遅かったじゃねぇか」


「悪い、ちょっと野暮用があってな」


 ほんの僅かに視線を動かしただけで、表情も変えずにヴィンセントが答える。

 「野暮用」という遠回しな言い方に、ジークの目は、面白そうに細められた。

 何か言いかけて、それこそ「野暮」だと彼は思いなおす。

 ジークの濃いエメラルドの瞳は、次の瞬間にはもう、いつものどこかおどけた表情に戻っていた。


「ほら、これから決勝戦だぞ!」


 ジークは親指で闘技台を指さし、ヴィンセントも視線を向ける。

 巨大な剣を振り回している筋肉の塊のような男が、必要以上に声を荒げ、叫んでいるのが見えた。


「うぉー! 優勝は俺のもんだぁぁぁ!!」


 観客も叫びに呼応し、コロシアムのボルテージが一つ上がる。

 ヴィンセントはあごに指先を添え、影を宿した赤い瞳で、値踏みするように闘士を見つめた。


「野獣みたいな男だな」


 傭兵によくいる力自慢のたぐい

 どうやらその程度の感想しか抱かなかったらしいヴィンセントは、そんな言葉をつぶやいた。


「アイツは、最近ちまたで有名な傭兵だ。力技には定評があるみたいだぜ」


 ジークは事前の情報を相棒に説明する。

 しかしすでに傭兵から興味の外れていたヴィンセントは、軽くうなずいただけで次の話題に移った。


「相手は女だと聞いたが?」


「らしいな。女が決勝まで勝ち残るのは久しぶりだからな。俺も楽しみにしてたんだが……おっ、おでましだぞ!」


 二人の言葉を待っていたかのように、全身に鎧をまとった小柄な闘士が、よろよろと闘技台に上る。

 筋肉の塊のような傭兵と比べれば、その姿はあまりにも小さく見えた。

 一方的な試合になるかもしれない。

 観客はそんな残酷な結末を想像し、終わりのない熱狂は、さらに音圧を上げていった。


「チェッ、なんだ全身鎧ずくめじゃねぇか! それじゃあルックスが分からないんだよぉー!!」


「静かにしろ。始まるぞ」


 ジークの嘆きを制して、ヴィンセントは闘技場を見つめる。

 あんな小柄な女性が、どうやってこの魍魎もうりょうひしめくコロシアムを決勝まで勝ち進んできたのか。

 全身鎧の闘士は、少なくとも傭兵崩れなどよりはよほど彼の興味を引いた。


 一方、当の全身鎧の闘士アリアは、鎧の中に反響する歓声と兜の隙間からしか見えない視界に戸惑っていた。

 横長のスリットに、かろうじて筋肉の塊のような男が見える。

 歓声と相手の叫びは、振動となって鎧を震わせた。


「女だか何だか知らんが、手加減はしねぇ。降参するなら今のうちだぞ?」


 巨大な剣が高々と掲げられるのが見える。

 アリアは自らが攻撃の標的にされていることを悟り、慌てて腰の剣を抜いた。

 剣の使い方などわからない。

 持ち方も、構え方も。もちろんここからどう振るえばいいのかも。

 以前の自分ならば使えたのだろうか?

 何度自問自答しても、アリアにその答えは導き出せなかった。


 男はアリアの構えを見る。

 ここまで勝ち上がってきたのだ。女だろうが子供だろうが、確かに素人ではないのだろう。

 それでも、あの体格と細い剣で、自らの振るう豪剣が防がれるなどとは、万に一つもあり得ないと結論付けた。


「さっさと終わらせちまうか。……行くぞぉ!!」


 見た目の鈍重さとは裏腹に、男の踏み込みは獣のように速い。

 あっという間にアリアは相手の姿を見失い、ただ頭上から落ちてくる殺気へ向けて、反射的に剣を構えた。


「ぅあっ!!」


 すさまじい質量。

 飛び上がった男の体重と鋼の大剣が、アリアの持つ剣に落ちる。


――つぶされる!


 とっさに剣をずらし、紙一重で受け流したアリアの足元で、大理石の床が大きくえぐれた。

 そのまま男は床をけり、鋲の並んだ肩当てでアリアの体を吹き飛ばす。

 身長の二倍ほども飛ばされたアリアは、重い鎧にバランスを崩しながらも、何とか着地した。


「ウオオオーリャアアアアァァァァァ!!」


 追撃。

 裂ぱくの気合とともに、男が大剣をぐ。

 アリアは前傾姿勢で構え、その巨大な鋼鉄の塊を、正面から受け止めた。


――ギシッ。ミシッ。


 アリアの剣が悲鳴を上げる。

 それでも、二人の動きはつばぜり合いのまま止まり、歓声が上がった。


「う、うぅっ……!!」


「俺の剣を受け止めるとは、大したもんだなっ」


「……っ!」


 大剣はアリアの剣を跳ね上げる。

 相手の攻撃を押し止めるために全力を剣に乗せていたアリアは、バランスを崩し、たたらを踏んだ。

 男はそのすきを見逃さない。

 まるで訓練用の木剣ぼっけんでも振るうかのように、鋼の大剣は容赦なくアリアを襲う。


 縦横無尽。


 あっという間にアリアの鎧は傷だらけになり、剣にもところどころ刃こぼれができた。

 それでも、アリアは立っていた。

 今でも剣の使い方はわからない。

 しかし、体は覚えていた。

 時には剣で、時には鎧で、大剣を受け流す。

 さすがの男も、あまりにも続いた攻撃に疲れ、大きく息を継いだ。


「いい加減に……あきらめ……やがれ……。俺は……優勝して名を上げたいんだっ!」


 男は荒い息を整えながら、アリアをめつける。

 アリアも、男に倣って息を整えようと深く息を吸ったが、兜が邪魔で呼吸もままならなかった。


――この感覚、なんだか懐かしいような気がする。頭で考えなくても、体が勝手に動く! でも、鎧が……重い……。


 男の呼吸がまだ整わないのを見て、アリアは心を決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る