17.闘士 アリア(Ⅱ)

「ちょっ、ちょっと待って!!」


「なんだぁ? ……ゼェ、ハァ、降参する気に……なったのかぁ?」


「……違うわ」


 首の留め金を外し、大仰な兜を脱ぎ捨てる。

 アリアの美しい貴金属のような髪が兜からあふれ、ふわりと広がった。


「んなっ、お前、何を……する気だ……?」


 アリアは大きく息を吸う。

 新鮮な空気で肺を満たし、吐き出すと同時に肩の力を抜いたアリアは、ぽいっと兜を投げ捨てた。


 観客席からドォっと歓声が上がる。

 それはもちろん、身を乗り出して見ていたジークたちも例外ではなかった。


「お? おおお?! 女が鎧を脱ぎ始めたっ……?!」


「何を考えているんだ? あんな力技、生身で受けたらひとたまりもないぞ」


 さすがのヴィンセントも、アリアの行動に理由が見いだせない。

 大勢の観客の見ている前で、彼女は次々と鎧を外しては放り投げていった。


「って……、おいおい! 手練てだれの女戦士だと聞いていたが、ありゃ年端もいかない小娘じゃねぇか!?」


 ジークの言葉に、ヴィンセントもうなずく。

 そして彼には珍しく、少し笑った。


「あの男、動揺してるな」


「そりゃあ動揺すんだろ、中からあんな嬢ちゃんが出てきた日にゃあ……」


 観客席と目の前の男。そのすべてが瞠目どうもくする中、アリアは最後の鎧をガシャンと投げ捨てた。

 アリアの呼吸はすでに整っている。


「はぁ、重たかった!」


 やっと重りから解放された彼女は、剣を手に取り、ヒュンヒュンと風を切った。


「……よし、これなら行けるかもしれない」


 その声に、男は我に返ったかのように大剣を構えなおす。

 動揺を隠すように大きく咳払いをすると、男は引きつった顔で、無理やり笑って見せた。


「せ、精々、その綺麗な身体に傷がつかないよう、頑張るんだなぁ!」


 アリアもにっこりと微笑み返す。

 その笑顔に悪意は全くないのだが、何か恐ろしいものでも見たかのように、男の笑顔は凍り付いた。

 ゆっくり、細く、彼女は息を吐く。


「……行きます」


 ほほえみを消し、アリアは剣を後ろに引いた。

 一瞬、あれだけの熱狂で満たされていたコロシアムが静まり返る。

 次の瞬間、アリアと男の距離はゼロになり、鞭のようにしなる剣先が雷光らいこうのごとく襲い掛かった。

 あやういところで受けた男の大剣が、甲高い金属音を鳴らす。

 速度か、角度か、それとも振るうものの技術か。

 厚みでは数倍、重さで言えば数十倍はあろうかという大剣が、ただの一撃で大きく欠けた。


「ぐぅっ?!」


 大剣の悲鳴と、男のうめき。

 それは観客に忘れていた呼吸を思い出させるに十分な合図だった。

 絶叫のような歓声、踏み鳴らされる足音は、世界を揺らす。

 熱狂の中、アリアの剣は空中に美しい軌跡を描き、男の剣を、鋲のついた鎧を、さらには皮膚を、肉を切りつけた。


「何だあの華麗な動きは?! まるで踊ってるみたいじゃねぇか」


「あの剣筋は……」


 ときどき思い出したように返される大剣を、アリアは舞うようにかわす。

 その動きも、一分いちぶの無駄もなく次の攻撃につながり、男の大剣は、みるみるうちにボロボロになっていった。


「形勢逆転だな! いいぞいいぞ、嬢ちゃん! 攻めろ攻めろーっ!!」


 観客やジークの声を聞くまでもなく、男は理解していた。

 このままでは自分の勝ち筋はない。

 しかし女の剣は細身の長剣だ、片腕を犠牲にすれば、必ず封じることができる。

 利き腕とは逆の腕にわざと深く差し込ませ、そのすきに利き腕で渾身の一撃を見舞えば。

 攻撃が当たりさえすれば勝てる。

 男はその、捨て身の攻撃にかけた。


「うぉおおっ!!」


 アリアの攻撃にタイミングを合わせ、左腕を突き出す。

 しかしアリアは、その動きを読んでいたかのように剣を引き、男の腕の上でとんとトンボを切った。

 呆然と見つめる先で、着地と同時に剣がひらめく。


「……うお?」


 まさに今、アリアへ振り下ろさんとしていた大剣が、ついに彼女の攻撃に耐えきれず、空中で砕け散った。

 急に重さの変わった大剣に、男はバランスを崩して膝をつく。

 最強と信じた大剣が……己の信じていたものすべてが砕け散った現実に、男は目を丸く見開き、立ち上がることもできなくなってしまった。


 観客席で見ていたヴィンセントは、あの剣筋に見覚えがあった。

 しかし、なぜ一介の剣闘士があの剣術を。

 彼の頭の中は、疑問が渦巻いていた。


「おおっ!? 男の剣が吹っ飛んだぞ、これで勝負あったな!」


 返事をすることもできないまま、ヴィンセントの見つめる先で、アリアはゆっくりと男に近づく。

 そっと、首筋に触れるか触れないかのところへ、切っ先が添えられた。


「あなたの負けよ」


 勝ち誇るでもない、脅すでもないアリアの声。

 その声は、呼吸一つ乱れていなかった。

 男は目をつむり、考える。

 しかし、いくら考えても、この少女に勝利できる道筋は思い浮かばなかった。


「クソォッ!! ……仕方ねぇ、降参だ」


 砕けた大剣の柄を放り投げ、男は両手を頭の後ろで組む。

 その敗北の合図を見て、コロシアムは今日一番の歓声に包まれた。


「勝った……」


 自分でも信じられないとでもいうように、アリアはつぶやく。

 どうやってこの男に勝ったのか。どうやってあの大剣を砕いたのか。アリアにはまだ理解できていなかった。

 しかし、一つ理解したことがある。

 剣の技は、体が覚えていた。

 やろうと思えば、必要であれば、……今と同じことを何度でもできるだろうということを。


「おい、ヴィンセント。見たか? あの嬢ちゃん、本当に勝ちやがった!!」


「ああ、見ていたさ。お前の隣でずっとな」


 勝ち名乗りを受けるアリアを、ヴィンセントは長い脚を組んだまま眺めていた。

 ジークは興奮して立ち上がり、周囲の観客と一緒になって盛り上がっている。


「いい剣さばきしてたよなぁー。なかなか面白いもん見せてもらったぜー!」


「まるで舞を舞うかの様なあれは……エルンストの王族に伝わる剣術に似ている。……なぜだ」


 なぜ。どうして一介の剣闘士があの剣術を。

 ヴィンセントの思考は何度も同じところに戻ってしまう。


「なぁ、ヴィンセント!」


 純粋に面白い戦いを見たと陽気に騒ぐジークをよそに、ヴィンセントは立ち上がった。

 ここで考えていても結論は出ない。

 そして、この疑問は放っておいていいたぐいのものではなかった。


「気になることがある。あの女のところへ行くぞ」


「え?」


 まだ大騒ぎを続ける観客の間を、ヴィンセントは人にぶつかることもなく、素早く裏の通路へと向かう。


「あっ、おい、待てよー!」


 置いて行かれそうになったジークは、慌てて観客をかき分け、後に続いた。

 謎の剣術を使う、かわいらしいお嬢ちゃんと、普段慌てることの少ないヴィンセントの慌てように、これはもっと面白いものが見られそうだと、ひそかに思いながら。

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