12.その花の名前は

 黄色く巨大に見える太陽は、風と砂の精霊たちの狂乱の渦の向こうから、熱を地表に届けていた。

 ラクダを引いた影法師が数人、砂丘を超える。

 地図のとおり、予定どおりとは言え、視界に現れたオアシスに、皆が小さく歓声を上げた。

 以前訪れた時よりも、水場の面積が広い。

 あの時詠唱した、水精霊の力を活性化させる魔法が効いているのだろう。


 鮮やかな色の民族衣装ジェラバを着た小柄な男が、まず、窮屈に巻いていたターバンを外した。

 すり鉢状のオアシスだとは言え、風はそこそこ強く吹いている。現れた黄金色こがねいろの髪が、肩のあたりで踊るように舞った。

 まだ少年と呼ばれるような年齢だろう。しかし、女性と見紛うばかりの美しい顔には、凛々しい力強さが秘められている。

 少年は目をつむり、風が奏でる音に耳を傾けた。


「……うん、いいですね。エリアス、その女性の様子はどうです?」


「大丈夫ですよ、ユーリ様。太陽の精霊の熱に当てられたのでしょう。まだ意識は戻りませんが、オアシスにもたどり着けましたし、大事には至らないと思います」


 ユーリより頭一つ分ほども背の高いエリアスは、その細い体に似合わぬ力強さで、ラクダの背から少女を下ろす。

 棒に布をかけただけの簡易なテントの下に横たえられたのは、遺跡から逃げ出したあの少女だった。

 荷運びの男にラクダを預け、二人は少女のかたわらに膝をつく。

 心配そうに少女の顔を覗き込んだユーリが、控えめに声をかけた。


「あの……。あのぉ……もし」


 返事はない。

 早くも焦り始めたユーリに、落ち着くよう目で合図したエリアスは、オアシスの水に浸した布を少女の額に当てた。


「目を覚ましてくだされば良いのですが……」


「……大丈夫ですか? 聞こえますか?」


「んん……ん」


 重ねて問うユーリの言葉に、少女の可愛らしい眉がしかめられる。

 ユーリは旅の途中で救った少女の意識が戻ったことに喜びの表情を浮かべ、エリアスは見ず知らずの少女の容態を心配する優しいあるじの姿に、暖かな笑みで応じた。


「大丈夫ですか?」


「あれ……わたし……。また気を失って?」


 少女は意識を取り戻したものの、ぼんやりとした様子で視線をさまよわせる。

 今度ははっきりと言葉を交わすことのできた少女の姿に、心の底からほっとした様子のユーリは、砂の地面に座り込んだ。


「はぁ、良かった〜!! あなた、砂漠のど真ん中で倒れていたんですよ」


 それまでエリアスの敷いた布の上に寝転がっていた少女は、ユーリの「砂漠」という言葉に反応して、ガバっと上半身を起こした。


「っ!! 盗賊たちは?!」


「盗賊?」


 急に動いては体に良くない。

 それに、ユーリたちが彼女を見つけた砂丘の周りにも、オアシスまでの小一時間ほどの旅程でも、そのような「盗賊」の気配など、微塵もなかったのだ。

 ユーリは落ち着くようにと少女の手を取り、肩に優しく手を載せた。


「怖い思いをされたのですね。もう大丈夫ですよ」


「……逃げ切れたのね。……はぁ」


 深いため息とともに、肩の力が抜ける。

 しかし、砂漠でなんの備えもなく深呼吸をしたのは間違いだった。

 太陽の精霊の熱で十分に熱せられた空気は肺を焼き、身体の中から体温を上げた。


「……っ。なんか……暑い……」


 思わずそんな声が出る。

 そんな、本人でさえ思わず出てしまったと言うような言葉を予期していたかのように、エリアスは水筒に汲んだ冷たい水を少女に差し出した。


「さぁ、お水をどうぞ」


「あ、ありがとう……」


 こぼさないように、そっと。

 少女は水筒を受け取り、その澄んだ水を口に運ぶ。

 自分でもお行儀が悪いと分かっていながらも、直接口をつけて流し込むオアシスの水は、冷たく体中に染み渡っていくようだった。


「ここは砂漠のオアシスです。この辺りまで来ればもう安全ですから」


「良かった……」


 息の続く限り水を飲み尽くした少女が、服の袖で水筒の口を拭いてエリアスへと返す。

 お礼を言おうとして、少女の動きは固まった。

 考えてみれば、この二人の名前すら知らないのだ。

 察したユーリは自ら率先して自己紹介を始める。


「僕はユーリです。そしてこちらが――」


「――エリアスと申します。私達は旅の者でございます」

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