20.囚われの姫君

 その窓は、部屋の大きさと比べてあまりにも小さかった。

 レースのように繊細な細工の施された強固な鉄格子の向こうには、美しい街並みが広がっている。

 空は抜けるように青く、翼をもたぬ彼女でも、どこまでも飛んでいけるような気持になった。

 しかし、グウィディオン城の一角、西側にそびえる塔の最も高い部屋は、空のただなかにあってなお、悲しいほどに外界と隔絶されていた。


 ティマイオス帝国の皇女、クリスタ・オルセンは、物憂ものうげに外の景色を見つめていた。

 明けの明星のように金色に輝く髪は細い輪郭をなぞり、華奢きゃしゃな肩を流れ落ちる。

 窓の外を見つめる瞳は、そこにある空のように透き通っていた。

 もし旅人が山深い湖のほとりで彼女を見つけたならば、湖の妖精に出会ったのかと錯覚することだろう。

 目を離せば消えてしまいそうな、はかなげな美しさをたたえ、クリスタは飽きることなく外の世界を見つめていた。


「失礼致します。クリスタ様、ミカエラ様がいらっしゃいました」


 控えめなノックの音に続いて、侍女が告げた。

 クリスタは、思わず椅子から立ち上がる。

 ドアへ駆け寄ろうとして思いとどまり、ドキドキと主張を始めた胸を押さえながら「どうぞ」と答えた。

 侍女がドアを開け、帝国の第三皇子を招き入れる。

 いつもの計算しつくされたものとは違う心からの笑顔で、ミカエラは両手を広げて妹をおとなった。


「クリスタ、元気にしていたか?」


「お兄様っ! 会いに来てくださったのですね!」


 思いもよらぬ大好きな兄の来訪に、彼女はもう礼儀作法など忘れてしまったかのように、心からの気持ちを口に出す。

 しかし、そんなに大きな声を出すことに慣れていないクリスタの細いのどは、やまいの発作を引き起こした。

 よろめき、苦し気に咳をする妹を、ミカエラが支える。

 優しく背中をさすると、やがてクリスタの咳はゆっくりと収まった。


「クリスタ、大丈夫か」


「……ええ、大丈夫です」


 侍女に渡された水で喉を湿しめし、涙をぬぐう。

 健気にうなずく妹へ、ミカエラは悲痛な顔を向けた。


「すまない、こんなところにお前を閉じ込めて。もっと環境の良いところで療養すれば、病も治るかもしれないのに」


「……お兄様のせいではありません」


 本当に、兄にせきはないのだ。

 それでも、自分が苦しい顔を見せれば、優しい兄は自身を責めてしまう。

 無理やりに背筋を伸ばし、元気な姿を装ったクリスタは、精いっぱいの、そして心からの笑顔を兄へと向けた。


「私はこうして生きていられるだけで……お兄様がいてくれるだけで、幸せですから」


「クリスタ……」


 ただ寄り添い、名前を呼ぶ。

 ティマイオス帝国の第三皇子ともあろう自分が、愛しい妹にそんなことしかしてやれない。

 ミカエラの心は締め付けられる。

 そんな兄をおもんばかり、クリスタは話を変えた。


「また、任務で遠くに行かれるのですか?」


 あまり頻繁に会えば皇帝アルゴン・オルセンの覚えもよくない。

 そんな状況の中、忙しい兄がわざわざ時間を作って会いに来たのだ。

 さといクリスタには自明だった。


「ああ、これから城を発つ」


「では……しばらく会えないのですね」


 クリスタは、すねたようにうつむく。

 気丈に振舞ってはいても、その姿はやはり十四歳の少女のものだった。

 ミカエラは、みずからと同じ黄金色こがねいろの髪をそっとなでる。


「僕が戻るまで、いい子で待っているんだよ?」


「……はい、お兄様」


 兄の手のぬくもりを心の拠り所として、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 まだ涙のにじむ目じりにそっと指を添わせ、兄妹は笑顔をかわす。

 ミカエラが侍女に退室を告げると、すぐに扉は開いた。

 左手を剣の鞘に乗せ、笑顔の消えた彼は歩き出す。

 しかし、部屋を横切る途中で足を止め、意を決したように振り返った。

 背中を見つめていたクリスタと目が合う。

 皇帝アルゴン・オルセンの息がかかっているであろう侍女に聞かれるのもかまわず、ミカエラは決意を言の葉に乗せた。


「クリスタ、必ずお前を自由にする」


 言葉を失うクリスタと、じっとこうべをたれている侍女に背を向け、ミカエラが部屋を出る。

 侍女が扉を閉める音に、クリスタはやっと兄へのあいさつを口にすることができた。


「……どうか……お気を付けて」


――本当に、お兄様がいてくれるだけで、幸せなのですから。


 兄に告げた言葉をもう一度思い浮かべ、古き神々への祈りをささげる。

 しかし、彼女の繊細な心は、悪い予感に容赦なく押しつぶされてゆくのだった。

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