39.闇の魔道士

 胸を掻きむしる、得も言われぬ憎悪がこびりついた陰陰滅滅いんいんめつめつとした閉鎖空間。


 四隅には苔が群生し、訪れる者に廃墟の様な印象を与える。

 そんな亡者の巣窟とも言えよう場所を、黒衣を纏った男が闊歩している。

 目的地はより深く、よりくらい地下牢。


 不気味な程の静寂に、男の硬い靴音だけが響いている。


 ここには幾つもの牢が存在しているが肝心の囚人は見当たらない。

 必死になって逃れようとしたのか、壁には無数の爪痕が刻まれ、凝固してこびりついた血液は誰かの悲痛な叫び声を彷彿とさせた。


 男は廊下の最奥まで歩を進めると、そこにある鉄窓の前で立ち止まった。

 牢の深部で人影が蠢動しゅんどうし、聞こえる微かな息遣いから、辛うじて生者が存在している事が確認できる。

 

『タルタロスの牢獄』


 一見、廃墟にも見えるこの場所は、帝国随一の防御力を誇っている神秘の牢獄だ。

 存在しない見張りの代わりに、機械が囚人の一挙手一投足を監視・記録を行い、不審な動きを見せればすぐに射殺できる準備が施されている。


 また何より特筆すべきは石壁や鉄格子、鎖の一つに至るまで全てが魔力を遮断する加工が施されている事。

 魔道の一切を禁じられた帝国において、無駄にも思えるこの機能はとある人物の為だけに存在する。

 それだけ極めて厳重に守られ、特別な機能を併せ持ったこの牢獄は、捕えられている囚人が犯した罪の凶悪さ、強大さを物語っている。


「ジルドレ・ラヴァル。闇の魔導士よ」


 男は低く、威厳のある声で眼前の人物を呼ぶ。

 牢の中の影は、繋がれた鎖を引き摺り、ジャリジャリと鈍い音を響かせながらゆっくりとした挙動で顔を持ち上げた。


「……アルゴン王か」


「はっはっは、まるで生きた屍のようだな」


 魔道の一切を封じられた牢で俯く眼前の人物。数え切れぬ業を負う、帝国に残る唯一の魔道士。

 ジルドレ・ラヴァルの成れの果てをアルゴンは嘲笑を浮かべ、そう評した。


「私に何の用だ…。また人を殺す道具でも作れと言うのか?」


 明確な敵意を伴った視線がアルゴンを射抜く。

 だが吹き入る生暖かい影が彼の黒衣を揺らすだけで、その体躯は身動ぎ一つしなかった。


「お前が作った毒薬で、兄王は一瞬にしてこの世を去った。そのお陰で簡単に王座を手に入れることが出来た、感謝しよう」


 心にもない感謝を、仮面を貼り付けたような笑みでアルゴンは飄々ひょうひょうと騙る。

 対するジルドレは覚束ない足取りで王の元へ歩みを進め、姿を明るみに晒した。

その身体は枯れた枝の様に痩せ細り、まともに食事を取っていないのか血色が悪い。

 粗野に伸ばされた体毛は、荒れ地に蔓延る雑草にも見えた。


 ―――ガシャンッッ


「ならばっ、私をこの牢屋から出してくれ!」


 細腕が鉄格子をがっしりと掴み、腕に繋がれた鎖が千切れるほど張った。

 衰弱しているとは思えないジルドレの威圧感が、ピリピリと肌を刺す。


「あぁ、いいだろう。しかし、条件がある」


 こんな状態に貶め入れられて尚、至上最悪の魔道士としての矜持きょうじを残すジルドレに薄く笑い、アルゴンはこう持ち掛けた。


「条件?……何をしろと」


 これから始まるエルンスト聖王国との戦争。

 我が帝国が勝利を収めるため、今は失われてしまった恐ろしき古代の魔道兵器、漆黒のクリスタルを復活させろと言うのだ。

 ジルドレは遂にあれを使う時が来たのかと虚空を見つめた。

 そしてどこか感慨深そうに、僅かな笑みを零しながら呟いた。


「漆黒のクリスタル復活は私の本望」


 古代兵器の復活が意味すること…血塗られた歴史を知る者にとっては想像するに容易い。

 戦争に勝つことなど訳もない、世界の終末だった。

 アルゴンは知っていた。あれを扱える者は彼の他にはいないということを。

魔道への執着心だけで生きているような哀れな男だ。

 だからこそ王自ら、ここへ足を運んだ。


 しかしジルドレは少しの高揚のあと、一転して顎髭を触りながら悩ましい表情を浮かべた。


「あれを再起動するには大量のマナがいる。容易なことではないぞ」


「分かっている、お前を生かしておいたのはその為だ。」


 協力することを交換条件に、アルゴンは最悪の魔道士に向かって大胆にも「牢から出すことを約束する」というのだ。

 それを聞いたジルドレの眼は、誰も信用などしていないと物語っていた。

当然、それはアルゴンとて同じ事。互いが、互いの野望の為に利用し合うのだ。


「任せてくれ」


 ジルドレはぶっきらぼうに言い放った。がしかし、その瞳は昏く邪悪に爛々と輝いている。


 底知れぬ闇が渦巻く帝国の縮図、悪の終着点であるタルタロスの牢獄。

 そんな空間に全てを飲み込む邪悪と野望を抱いた男が二人、低く唸るようなわらい声が呼応していた。

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