04.最後のお使い

 賢者の森の奥深く、年経た木々に包まれるようにして、賢者の館は静かに佇んでいた。

 レオニーとリリアンが先を競うようにして扉を開ける。

 魔力を帯びた水晶がシャラシャラと不思議な音を立て、館の主に彼らの帰宅を告げた。


「賢者様、ただいま戻りました!」


「ただいま戻りました〜♪」


 出迎えてくれるはずの笑顔に向かって、大きく手をふる。

 しかしそこに優しい笑顔はなく、代わりにあったのは徹底的に壊され、荒らし尽くされた部屋だった。


「え……」


 レオニーの足元で、賢者の大切にしていたソーサーが、パキッと音を立てる。

 部屋を端まで見回すと、段々と惨状の様子が理解できるようになり、レオニーの心にザワザワとした気持ちが広がった。


「……なんだ……これ……」


「わぁっ、部屋の中がめちゃくちゃだよう!!」


「いったい何があったんだ……?」


「もしかして、泥棒に入られたとか?!」


 あちこち飛び回るリリアンのその想像に、レオニーの腕に鳥肌が立った。

 不安に押しつぶされそうになりながら、テーブルの残骸を乗り越えて部屋の奥へと進む。

 台所へ続く扉のちょうつがいが半分壊れ、食べ物を置いておく棚まで念入りに壊され、散らばっているのが見えた。


「っ!! ……賢者様?! 賢者様ー!! ……どこですか!」


 次々と扉を開け、倉庫から天井裏まですべての部屋を走り回る。

 そこかしこに体をぶつけ血が滲んでも、二人は大好きな賢者様を探すことを諦めなかった。

 しかし、いつもの笑顔は見つからない。

 賢者様は出かけていて、この惨状とは関係がないのかも知れない。レオニーがそう淡い希望をいだき始めた頃、普段は使われることのない地下室から、慌てたリリアンの声が聞こえた。


「レオニー……、レオニー! こっち!! 地下室で賢者様が倒れてるよっ!」


「ええっ?!」


 ガシャンと壺を蹴飛ばし、転びそうになりながら、飛ぶように地下への階段を下る。

 薄暗い地下室の石畳の上には、自分の流した血に溺れそうになりながら、森の大賢者が横たわっていた。


「賢者様?! 賢者様ぁっ!!」


「……どうしたの?!」


 レオニーが賢者を抱き起こし、リリアンは心配そうに頭上を漂う。

 意識を取り戻した賢者は、口の中にあふれる自らの血を吐き出し、咳き込んだ。


「……ゴホッ、ゴホッ……レオニー……か」


「す、すごい怪我!!」


「この傷は……いったい誰に……? 何があったんです?!」


「ティマイオス帝国の兵じゃ……。ついにやつらが動きおったわ」


「帝国が……? 何故?! どうして彼らは、賢者様にこのようなことを……」


 ティマイオス帝国は、国策として魔法を禁じ、魔道士との交流を断っていたはずだった。

 森の東側に国境を接しているとはいえ、今まで帝国兵が森に入ったことなど一度もない。

 それがどうして突然、こんな暴挙に出たというのだろう。

 混乱したレオニーの頭には、なぜ、という問いがぐるぐると回っていた。


「……わしは、この時を待っておったのじゃよ……。ずっと、……千年もの長い時をな」


「え? いったい何のことです?」


 賢者の言葉も、帝国兵の暴挙も、レオニーにはわからない。

 ただ混乱し、震えるレオニーの手に、温かい賢者の手がそっと添えられた。

 ハッとして、レオニーは手を握り返す。


「それより、すぐに手当てを!」


「もうよいのじゃ」


「何をおっしゃるのですか! あなたほどの魔法使いなら、帝国の兵など簡単に退けられたはずなのに!! どうして、……どうしてこんなことに――」


「――聞きなさい、レオニー」


「っ!!」


 混乱するレオニーを叱咤するように、賢者の強い声が響く。

 親でもあり、師でもある森の賢者の言葉に、レオニーは息を呑み、姿勢を正した。


「エルンスト聖王国の王都に赴き、これを王に渡すのじゃ……」


「これは、……手紙?」


 魔法の力で守られているのであろう。

 一面の血溜まりの中、少しも汚れていない手紙を、賢者はレオニーへと手渡した。


「良いな。最後のお使いじゃ、頼んだぞ」


「……賢者様」


 賢者はのと確かに言った。

 その言葉が意味するところをレオニーはしっかりと理解し、双眸そうぼうから涙をながす。

 しかし、それでもまっすぐに師を見つめ、手紙を受け取った。

 そんな弟子の姿を見て、賢者の顔に笑顔が浮かぶ。


「なぁに、悲しむことはない。わしは人間界を去るだけじゃよ。ちょいと長居し過ぎたでな。……この体も、すべては大いなる源へと還る」


「いやです、そんな……! まだ、……まだ僕はあなたにっ」


「……これよりいにしえの封印が解かれる。時代が大きく動くぞ。呑まれぬよう、……しっかりと自分の足で立ち、強く生きるのじゃ」


 もうレオニーは、師へ返事をすることもできなかった。

 ただ手を握り、涙を流し、しゃくりあげる。

 賢者の手のひらから力が抜けて行くのを、レオニーは感じた。


「すべては繋がっておる……。そのこと……を、忘れるでない……ぞ」


「……待って、……賢者様! 行かないでっ……賢者……様ぁ……」


 千の年を有に超え、悠久の時を生きた森の賢者の身体からすべての力が抜け、レオニーの腕の中に倒れていた。

 赤ん坊の頃、森に捨てられたレオニーを保護し、大地の如き慈愛を持って育ててくれた親であり、魔法の当代一の使い手として、優しく、時に厳しく導いてくれた師匠でもある森の賢者が、その生命を終えたのだ。

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