第2話

 家に帰りぼくを待っていたのは以前とは打って変わったとても冷たい対応。


 対応といったけれど、ぼくは何かされたわけではない。無視されたのだ。


 呆然としていると父上からお呼びがかかった。父上の書斎には父上でなく母上もいた。


「アーノルドよ。お前は現時点をもってこのトラス家からいないものとし、これからは次男のマインハルトを長男とすることにする。したがってこの街からも追放とする。もっともこの街で生きてなどいけないだろうがな。せめてもの親心でこれからの生活に必要なものはそろえてやる。何でも言え」


 そうだ。この国では才能がないものには、たとえそれが10歳の子供であっても残酷な対応をとるのだ。何もぼくの家が特別なわけではない。ほかの貴族の家でも、普通の市民の家でも才能のない者には冷酷な対応をとる。もっとも戸籍抹消という話は聞いたことがないが、ぼくは全く才能がないのだからそうなっても仕方がない。普通、いくら才能がなくても無色というのは有り得ないのだから。


「分かりました、父上。では食料を一週間分とナイフを一振りお願いします」


「やけに聞き分けが良いが、本当にそれだけでいいのか?お前が望めば路銭をやらんでもないのだぞ?」


「いえ、お金を持っていたら追い剝ぎにあう可能性も高まりますので。でしたら、普通の家庭の子供が着るような服を二着ほどお願いできますでしょうか?この服のままではどう頑張っても誘拐されて殺されるのが関の山でしょうから」


「子供というのは、もっと泣き喚くものだと思っていたが……そうしてくれるなら有難い。すぐに用意させよう。明日の朝食の時間にはこの街から出ていくように」


 そういって父上はぼくをこの場から退出させる。親子の最後の会話がこんなものでいいのだろうかとも思うが。ぼくにはどうしようもない。


 この街から出るには僕の足では半日はかかるが、今はまだ昼過ぎだ。ぼくを世話してくれた人たちに挨拶をするぐらいの時間は残されている。父上に頼んだ荷物を用意する時間もあることだし、少なくとも生まれてから何かと世話を焼いてくれたケイトにだけは挨拶をしておこう。


 そういって使用人の部屋を覗いてみたが、彼女の姿はない。中には使用人が数名いたが、今のぼくに反応を返してくれる人はいなかった。かといって何も言わないで部屋を出ていくわけにはいかない。この場にいる人達は少なくともぼくの世話をしてくれたのだから。ぼくは大きく「ありがとうございました!」とだけいってその部屋を後にした。


 トラス家の屋敷の広さは尋常ではない。彼女を探しているうちに時間が来てしまった。大変残念だが致し方ない。ぼくの部屋に頼んだ荷物が用意されているはずだから、それをとってここからおいとましよう。


 果たして、ぼくの部屋には荷物があった。しかも探し求めていたケイトまでいるではないか。


「あぁ、お坊ちゃま」と開口一番彼女はこう言い涙ながらにぼくに飛びついてくる。


「旦那さまは自分の子供になんてことを……除名はともかく街から出て行けなんて聞いたことありませんわ」


「しょうがないよ、悪いのは僕だ。才能がない僕が悪いんだ。だから、ケイト、君は泣く必要なんかないんだよ。」


「でもお、でもお…」


 と泣き続けるケイト。


「僕からの最後の頼みだ、ケイト。僕を笑顔で見送ってくれないか?最後に見る君の顔が、この街の最後の思い出が君の泣き顔だなんて僕には耐えられないよ」


 と僕は必死に彼女をなだめる。


 数分たって彼女はようやく落ち着いたようだった。


「分かりましたわお坊ちゃま。そういうなら笑って見送りましょう」


「ありがとう。ケイト。この十年はすごく短かったけれど、君との日々は最高だったよ。ぼくがあとどれくらい生きれるか分らないけれど、君を忘れることはないと誓うよ」


「まぁ、まぁませちゃって。そういうことは彼女でもできてからにしなさいな」


 すっかり元のケイトを取り戻したようだ。普段ぼくはこんなことを決して言わないのだが、最後なのだから許されよう。


「じゃあ、そろそろ行くよ。あの厳格な父上のことだ時間になったら街中を確認するに違いないからね。もし時間になってもぼくがこの街にいると知られては大変だ」


 とぼくは、部屋を出ようとする。


「お待ちください、お坊ちゃま。どうせ行く当てもないでしょうから助言しましょう。この街を出て西に進むと魔女の森といわれる森があります。坊ちゃんの足で一月弱といったところでしょうか。そこには伝説の魔女と呼ばれるブルーハがいるとの話がありますが、まあ眉唾でしょう。ここで重要なのはその森には危険な魔獣が一匹もいないことです。しばらくはそこで生活を過ごしてもよろしいのではないでしょうか?伝説の魔女ブルーハがお坊ちゃまを助けてくれる可能性もありますし……」


「その伝説の魔女ブルーハは人嫌いで有名だったはずだけど?」


「お坊ちゃまなら例え人嫌いでも必ず好かれますわ。現にあんなに人嫌いだった私がこんなに信頼を寄せているのですもの。仮にブルーハがその森にいるならば気にいること間違いなしですわ」


 そうだった。今でこそこんな人当たりの良いケイトだが、前は恐ろしいほど尖っていたのだ。もっともその時期のケイトをぼくは知らないのだが。


「じゃあ、君の言葉を信じて魔女の森に行ってみるよ。街を出ればぼくの話も知られていないだろうからね。その森まではなんとか小さな村で宿をとりながら行くとするよ」


 とぼくはこの10歳の体には大きすぎる荷物を背負って、部屋を出る。出ようとしたところでまた抱き着かれてしまった。決心が鈍るのでやめてほしい。


「では改めまして、アーノルド様。ラフマー様のご加護を。私はこの屋敷であなたの帰りを待ちます。いつかきっと帰ってくるでしょうから。私はあなたを信じておりますので」


 と最高の笑顔で見送ってくれた。彼女は無色との知らせを受けてもなお僕を信じてくれているのだ。この上なく嬉しい。これから先の展望など全くないが、彼女の笑顔さえあればきっと生きていけるだろう。そして再びこの家に戻ってくると誓う。ぼくを待っている人がいるのだから。


 深く一礼していよいよ屋敷から出る。ぼくの部屋はカーテンで閉め切っていたはずだが、わずかばかり開いていた。


 彼女の笑顔を心に焼き付けて、僕は新しい一歩を踏み出した。先の見えない不安を抱きつつも、しかし確かな希望を胸に抱いて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る