第20話

「ほらほら、さっさと泳がないと沈んじゃうよ?」

「もう溺れるのは嫌なんじゃない?」


 そんなこと言ったって、僕は泳ぐのが苦手なのだ。どうしようもない。


 カナヅチとまではいかないけれど、少なくとも学校の授業ではいつも泳ぐのは下から数えた方が早かった。


 だからと言ってここで飽きらめては、溺れかけながら彼らの攻撃をかわし続けるよりも恐ろしい仕打ちが待っている。


 恐らく今度は腕一本だけでは済まないだろう。師匠の目はマジだった。愉快犯を思わせるような目をしていた。


「そんなことはどうでもいいから、はやく泳ぎなよ」

「そうそう、ギリギリを狙うのも意外と難しいんだからね」


 どうやら今まで僕は弾を避けていたのではなく、向こうから避けられていたようだ。


「その調子だと何日かかるかわからないよ?」

「陸まであと十キロはあるからね」

「下手したら一月以上かかるんじゃない?」


 そういってエサを放る彼ら。もちろん放られているのは僕だ。


 さながらひな鳥のごとく、手足をばたつかせながら口を開け、エサが放られるのを待っていた。


「まったく君ってやつはいつもしまらないね」

「かっこつけたと思ったらすぐ台無しにするんだから」

「まぁ、面白いからいいんだけどね」

「見てる分にはね」

「当事者となるといささかきついものがあるよ」


 しかしながら反論することは僕にはできない。反論すればエサ抜きだからだ。


「しかし、元気な今はいいけど、眠くなったらどうするんだい?」

「いくら僕たちでも君を担ぐことはできないよ?」


 そうだった。このままでは睡眠をとることはできない。このまま睡眠をとってしまえば、永眠だ。浮き輪でもあれば別かもしれないけれど。


「そんなこともあろうかと、木の板を持ってきたよ」

「合計で五枚あるからね、体に括り付ければ何とか寝られるでしょ」

「だけどひもはないよ?」


 木の板があるなら早く出してほしかった。それがあれば無駄に体力を消費せずに済んだというのに。


「そんなこと言うならあげないよ?」

「君の命は僕たちが握っていると言っても過言じゃないんだからね?大人しくありがとうと言っていればいいんだよ」


「ありがとうございます!感謝感激雨あられです!」


「はぁ、君も随分と安くなったものだね」

「以前のシリアス調は何処に行ったんだい?」

「まぁ、シリアス調がないのは僕たちも一緒だけどね」


 確かに、以前の僕のようなシリアスさはなかった。それもこれもあの師匠のせいだ。一度死んでから僕は何かが変わってしまった。もっとも出会う前から変わっていた気もするけれど。


 しかしながら紐はどうしようか。今ここにはひもの代わりになるようなものはない。


「紐ならあるじゃないか」


 何処に?僕の服にはポケットがついてるけれど、中は何も入っていない。


「だからその服だよ。割いて使えばいいじゃないか」


 なるほど。その手があったか。そうと決まればさっそく服を脱いで割くとしよう。


「あぁ、そんないきなり脱がないでくれよ。僕たちは一応は女なんだよ?」

「そうそう。まったくデリカシーの欠片もないんだから」


 何んということだ。彼らではなく、彼女らだったのか。一人称が僕だったからつい誤解していた。


「まぁ、それは君の勝手な先入観のせいなんだけどね」

「前にも言ったでしょ?僕たちのイメージを君は恣意的に言語化しているだけだって」

「まぁ、僕っ娘というのはなかなかどうして人気があるみたいだから別にいいけどね」

「もっとも君はそうではないようだけど」


 そうそう。僕にはそんな趣味はない。決してそんな「ギャップ萌え~」などする僕ではない。


「やけに『~』が気になるけれど、まぁいいよ」

「僕たちが一応は女の子だということを分かってくれれば」

「今度からは気を付けてよね」


 オーケー。合点承知の助だ。僕はすべてを理解した。そうとなればさっそく着替えなければ。


「だから、そのしょうもない返しをやめてほしいんだけど」

「当事者はキツイって言ったよね?」

「しかも露骨に脱ぎ始めるし」

「僕たちの意図ちゃんと伝わってる?」


 もちろん伝わっている。これはあれだろう。フリっていうやつだろう。いつだったかそんな場面に出くわしたことがある。確かグループ名はダチョ……


「おっとふざけるのも大概にしないか?」

「それ以上言うとどうなるか分からないよ?」

「君を生かすも殺すも僕たち次第なんだからね?」

「そこは忘れないように」


 そこまで凄まれては仕方がない。大人しく彼女らが後ろを向いたところで僕はせっせと服を割き、腕と足に板を括り付ける。強度は心配だけれど、まぁ激しい動きをしなければ大丈夫だろう。


 しかしながら、男のそれも子供の上半身を見たぐらいでやけに大袈裟な反応だ。僕より年上かもしれないと言ったけれど、その実年下なのかもしれない。


「もう一度言った方がいいか?人間」

「いい加減にしないと脳天ぶち抜くよ?」

「ちょうど五人いるから両手両足、さらに眉間で五体不満足にできるね」

「不満足どころか非存在になるんだけどね」

「でも君は治癒の魔法が使えるらしいから大丈夫だよね?」

「ねえ?」


 ついに我慢が来たのか、彼女らの口ぶりは出会った最初の頃に戻ってしまっていた。だいぶお怒りのようである。僕は大人しく彼女たちに従い、口をつぐむ。


 結局、陸地につくまで彼女たちに冗談を言うことはなかった。


 確かに、彼女たちの水鉄砲は怖かったけれど、本当の理由はそれではない。


 この調子でいけば陸地につくまでに一月はかかるだろう。それではどう頑張っても一年で修業を終えることは不可能だろう。そうなると師匠の罰ゲームが待っている。それだけは何としてでも避けたいからだ。


 しかしながら、結局のところ陸地につくまでに一月弱はかかった。いくら真面目に泳いだところで所詮はただもがいているようなもの。一月かからなかっただけで儲けものだろう。


 そうこうしてやっとこさ陸地についた僕だったけれど、次に待っていたのは登山だった。


 陸地についた瞬間に彼女たちから一斉に「「「水魔法を使えばよかったのに」」」とアドバイスにならないアドバイスをもらい落胆したのはご愛嬌だ。


 帰りにでもぜひ実践するとしよう。


 しかしながら、次は登山だ。恐らく三千メートルは超えるであろう山を、ろくに整備されていないその山を僕は身一つで登らなければならないのだ。


 僕は先の見えないゴールに再び落胆しかけたけれど、体にムチ打って歩きだす。


 もちろんムチ打ってと言ったのは比喩でも何でもない。


 彼女たちから一斉に罵声とともにムチを実際に打たれたのは当然のことだろう。ただ打ったのが僕ではなく彼女たちだったというだけ。


 わざわざ言うべきでもない。

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