第8話
鼻をつくような強烈な獣の匂いと、「ズシン、ズシン」と響く音で僕は目を覚ました。
仰向けに寝ていたようで、目の前には木々の葉と、その絶え間から覗く青い空が広がっていた。
仮に普通のベットで寝ていたならば、嫌悪感と無縁な目覚めであったならば、何と幸せなことだったろうか。
しかし、僕にはそんな普通の目覚めは許されなかった。
状況は依然として変わらず、いや、むしろ悪化しているともいえる。あの様子だと彼らが僕を殺すとは考えづらかったし、ウサギの出現によって悪化したのは間違いない。主に僕の心の状況が。
僕を喰らうなんて物騒なことを言っていた気もするが、多分聞き間違いだろう。僕を食べて彼らに何のメリットがあるのだろうか。
「メリットはあるぞ、人間」
「そうそう、人間の魂を喰らうんだよ」
「魂はエネルギーの塊だからね」
「僕たちにしてはごちそうなんだよ」
「だけど君の魂の色は特別だから」
「特別に生かしておくんだよ」
「あの人に届けるんだよ」
「わざわざ長い距離を行ってね」
「美味しい飯には代えられない」
「神に感謝しろよ、人間」
何ということだ、聞き間違えじゃなかった。しかも僕の心を読んでいるようだ。
そうなると状況は好転したのかもしれない。生命の危機を脱することができたのだから。
「ラッキーなんて思ってると痛い目を見るぞ、人間」
「そうそう、今ここで喰らってもいいんだからね」
「調子に乗ってると痛い目をみるよ?」
「あくまで特別だということを忘れないでほしいね」
「あの人が君を気に入らなければ喰らうんだからね」
「そもそも、あの人が気に入ったところで死は決まっているようなものだけどね」
「あの人はすごーい残酷なんだ」
「君みたいな特別は即解体だろうよ」
「だからね人間、楽観的に考えないほうがいいよ」
「どのみち絶望が待っているんだから」
なるほど、これまで多くの人間を、魔獣を、絶望の淵へ叩き落してきた彼らの言葉は存外に重く僕にのしかかった。まさか彼らに諭されるとは思ってもみなかったけれど。
僕は蔦でぐるぐる巻きにされ、ウサギに担がれながらというあまりに滑稽な姿だったけれど、彼らの言葉は骨身にしみた。骨身を揺さぶられながら。
しかし、これ以上の妄想は彼らを苛立たせるだけで何も生み出さない。心を落ち着かせるために、冷静でいるために妄想してきたけれど、逆に心がざわついてしまう。そんな凄みを彼らは持っていた。時折人間よりも高次の存在として評されるのも思わずうなずいてしまうほどに。
僕は、妄想をやめてひたすらに心を空っぽにする。何も考えなければ彼らの気分を害することもないはずだ。
「そうそう、それでいい、人間」
「人間の脳内なんて耳障りでしかないからね」
「まぁ、脳内の声が聞こえるわけじゃないけれど」
「耳で聞いてるわけじゃないけれど」
「言うなればテレパシーだ」
「僕たちは疲れているからね」
「かれこれ一日は歩いているんだもの」
「歩いているのはウサギ君だけどね」
「僕たちは飛んでいるだけだけどね」
「ワープ装置までもう少しなんだから我慢してね」
なんだか彼らの口調が僕に似てきた気がする。しかもワープ装置なんて聞いたこともない言葉まで出てきた。僕の国ではワープこそあれ、ワープ装置なんてものは存在しない。そもそもワープ自体かなりに技術を必要とする魔法だ。
まぁ、僕が一日寝ていたのは気になるけれど、それに言及するのは妄想の範囲内だ。
妄想をやめるといったけれど、これはただのツッコミだ。問題はない。
それを示すように、ほら、彼らが気分を害する様子は見受けられない。
「もちろん僕らが作ったわけじゃない」
「僕たちにそんな知識はないからね」
「飛べばすぐだし」
「何より興味がない」
「ワープなんて何の楽しみもないからね」
「飛ぶことが楽しいんだ」
「移動のために飛んでいるわけじゃないからね」
「飛ぶために移動するんだ」
「だけど今回は特別」
「移動するために飛んでいるんだから」
どうやら彼らが作ったわけではないらしい。それならば一体だれがそんな装置を作ったのだろうか?
僕の限りある知識ではそんなことができるのはただ一人しか知らない。
そう……
「ご名答、伝説の魔女ブルーハ様だ」
「もっともあの人は人ではないけれどね」
「だけど姿は人の形だから」
「形式上はそう呼んでいるんだ」
「あと僕たちの話し方が君に似ていると言ったけれど」
「それは当たり前だよ」
「僕たちは実際に君に話しかけてるわけじゃないからね」
「君が自分で、勝手に解釈しているだけだ」
「僕たちが君に飛ばしている概念をね」
「もっともそれは僕たちも同じことだけれど」
やけに察しのいい妖精達だ。つくづく彼らの要領の良さを実感する。
しかし、そんなことはどうでもいい。僕が切り離した可能性は正しかったのだから。ひっくり返しすぎて手首がねじ切れそうだが、やはり状況は好転していた。もっとも彼らが言うように伝説の魔女ブルーハとの出会いが吉と出るか凶と出るか分からないけれど、それでもこの逃避行の目的が達成されるのはラッキーと言えよう。
「ほら見えてきたぞ、人間」
「そうそう、あれがワープ装置への入り口だよ」
「妖精の僕たちにしか開けられない入り口だ」
「人間である君は本来通ることはできないけれど」
「君は特別だからね」
「何度も言うように」
「そろそろ降りたらどうだい?」
「体も休まったでしょう?」
「あの人に捧げるんだ、状態は良くしておかないとだからね」
「束の間の休息だよ」
そういって僕はウサギに降ろされる。ご丁寧に蔦まで外してくれた。
一日中同じ体制で凝り固まった体をほぐしながら、僕は眼前の入り口を見やる。
その入り口、いや、門は見たことのない文字と、見たことのない模様で描かれた魔法陣が施されていた。ここまで複雑な魔法陣は伯爵家だった僕でも見たことがない。さすがの伝説の魔女が施した門である。
「さぁこっちに来なよ、人間」
「僕たちと一緒じゃないと通れないからね」
「早くしないと置いてくよ?」
「ウサギ君のエサにしちゃうよ?」
「門に見とれるのもいいけれど」
「ほどほどにしないとね」
「あの人は僕たちがここまで来ているのに気づいてる」
「あの人を待たせては恐ろしい」
「さすがの僕たちでもそれは勘弁だ」
「さぁ、おいで」
僕は彼らに手を引かれ門をくぐる。妖精が通るにしてはやけに大きなその門を。なぜか僕にぴったりの大きさだったその門を。
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