第9話

 門の先は怪しげな空気で包まれていた。


 先程の門に施されていた魔法陣のようなものがところ狭しと描かれている。よく見るとすべての魔法陣は異なっていた。ゆうに五十を超えるであろう魔法陣を書くのに費やした時間は計り知れない。伝説の魔女は暇人なのだろうか。


「おい、人間。あまり邪な考えを抱くな」

「そうそう、あの人は気分屋だからね」

「僕たちよりも気分屋だよ」


 それでは仕方がない。妄想の時間はここまでだ。


「じゃあ、早速行こうか」

「あの人を待たせてはいけないからね」

「さあ、人間。この台の上に乗るんだ」


 そういって僕が立たされたのは。数ある中でとりわけて存在感があった魔法陣。


 存在感があったというのは例えば一番大きいとか、一番複雑で美しいだとかそういうわけではない。大きさはともかく魔法陣の美しさは僕には全く分からないのだから当たり前だろう。


 その魔法陣は、ただ光っていたのだ。それだけ。ほかの魔法陣が光ってなかっただけのことだ。


「じゃあ、目をつぶってね」

「開けたままだと目がつぶれちゃうからね」

「あと酔わないようにね」

「ワープ中はかなり揺れるから」


 どうやら僕がイメージするワープとは全く違うらしい。僕の国で使われていたワープの魔法は、転移の魔法と呼ぶのが一般的だけれど、まさしく転移するのだった。


 一瞬で行きたいとこに飛び、目が潰れることもなく、揺れることもない。そんな魔法だ。


 確かにそれではワープといった方がいいだろう。恐らく魔法の根底にある概念が違うのだろう。表面上は同じでも中身は全く異なる魔法も多いのだ。


 なんて専門家らしく語ってみたけれど、所詮は聞きかじっただけの知識だ。読みかじったといってもいい。本を齧ったわけじゃないけれど。


「それじゃ、1,2の3……


 僕は目を閉じて体をこわばらせる。


 ……で行くからね」




「……」




「クスクス」

「本気にしちゃってから」

「これはお決まりの挨拶みたいなものだよ」

「人間にも同じようなフリがあると聞いたけど違うのかな」

「でも君がそう聞こえたならあるんだろうね」

「全く緊張しちゃってから」

「可愛い、可愛い」


 最後まで僕をおちょくるのをやめない妖精達だ。僕の覚悟を返してほしい。


「覚悟なんて大袈裟な」

「大して覚悟なんて決めてないくせに」

「変にかっこつけちゃって」




「・・・・・・」




 もう怒った。ここまで馬鹿にされては僕の名が廃るというものだ。


 僕はうろ覚えながら以前聞いた転移の呪文を勝手に唱える。


「この世を支配する精霊たちよ、今こそ我が力となれ!我が願いし力は転移、さぁ我のもとに集い、その力を顕現させよ!」




「……」




「マジで?」

「いや聞き間違いでしょ」

「今時あんな呪文なんてありえないもんね」

「そもそも僕たちにしかできないって言ったんだから」

「そうそう、ありえないよ」


 やってしまった。ついやってしまった。あまりのストレスについやってしまった。あまりの怒りに我を忘れてやってしまった。


 死にたい。居なくなってしまいたい。もういっそ殺してくれ。僕の人生はたった今終わりを告げたのだから。


「まぁ、そう落ち込むな人間」

「そうそう、ここには君と僕たちしかいないんだから」

「だけど、ぷぷっ、最高だった、よ?ぷぷっ」

「久々にここまで笑わせてもらったよ」


 やめてくれ。今の僕に慰めの言葉はいらない。恥ずかしさがぶり返すだけだ。何ならいっそ貶してほしい。今の僕には貶す以上の言葉は必要ない。後の二匹のように笑われた方が、笑ってもらった方がまだましだ。


「分かったよ、人間」

「そうそう、慰めの言葉はかけないよ」

「貶しもしないけれどね」

「ただ笑わせてもらうだけだよ」


 慰めでなければ大歓迎だ。さぁ、好きなだけ笑うがいい。惨めなこの僕を。滑稽なこの僕を。さぁ、笑え。存分に。もう二度と笑わなくていいほどに。


「むぅ。そこまで開き直られると笑えないな」

「そうそう、恥ずかしがる様子が」

「悔しがる様子がおかしいんだから」

「かといって慰めの言葉をかけるのもつまらない」

「君のせいで興がそがれたからね」

「まぁ、面白いものを見せてもらったし良しとしよう」

「いまだに人間は古臭い呪文を使うことが分かったからね」

「でも、前遊んだ人間はそんな呪文使ってなかったよ?」

「貴族というやつの見栄じゃない?」

「貴族は見栄が大事らしいからね」


 僕のせいで貴族の評価が下がってしまったようだ。。もともと人間たちを下に見ている彼らのことだ、これで貴族たちの評価はマイナスに振り切ったころだろう。


 本来ならスカッとする場面なのだろうが、僕はそうは思えない。思えなかった。まるで心にぽっかりと穴が開いたように、その感情だけが存在しないように。


「君も落ち着いたところでいよいよ行こうか」

「そうそう、ワープは落ち着いてしないとね」

「心が揺れてると、酔いやすいからね」

「体の中身すべて吐き出すくらいに酔ってしまうからね」

「まだまだ君をからかっていたいけれど」

「さすがにこれ以上はあの人が怒ってしまうからね」

「あの人が怒ると怖いんだ」

「存在が消えてしまうほどにね」

「それじゃ行こうか」

「そこの足元にあるボタンを押せ、人間」


 ボタン?これのことだろうか?門然り、壁然り、床然り、天井然り、すべてが石づくりの中で、一つだけ明らかに素材が違うボタンがそこにはあった。


「そうそれだ、早く押せ人間」


 僕はボタンを押す。


「ポチッ」


 この場の雰囲気に全くそぐわない、やけに軽い音が部屋に響く。何とこのワープ装置はボタン式だったのだ。僕は再び恥ずかしさを感じかけたが、それを待たずにワープは始まった。


 僕は白い光に包まれる。目を潰されてはかなわない。すぐさま目を閉じる。


 目を閉じた瞬間、僕は浮遊感に襲われる。なるほどこれでは酔ってしまうのも仕方がない。


 が、僕は今までさんざん酷い目にあってきたのだ。浮遊感で言えば崖から落ちさえした。そんな僕は酔うわけがない。


 酔うわけがなかった。浮遊感だけだったなら。


 これは大丈夫だと油断した瞬間、右に左に、上に下に僕は揺さぶられる。初めは何とか耐えていた僕だったが、いよいよ我慢ならず、僕はお腹の中をぶちまけながらワープする。


 妖精の言葉は何の誇張もしてなかったのだ。僕はゲロにまみれながらも、四方八方に揺さぶられながらも、ようやく到達した。この場合は連行と言った方が正しいかもしれないけれど。ともかくたどり着いたのだ。


 妖精達が『あの人』と呼称する伝説の魔女ブルーハのもとに。

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