第16話

 いや、まぁ、確かに、いかにもな終わり方をしたけれど、結論から言って僕は死んではいない。正確には生き返ったのだけれど。


「あの、僕は死んだはずでは?」


「そんなこと、生き返らせたからに決まっているでしょう?三秒ルールをご存じないのですか?」


 知ってはいるけれど、およそ僕の知っている三秒ルールとは異なるようだ。そもそも三秒ルールというのは食べ物にみに適用されるルールではなかっただろうか?


 何はともあれ生き返らせてもらえたのだから文句は言うまい。ひどい自作自演を見た気がするけれど。


 話を戻そう。


 僕の石碑が建ったのは何も先程死んだからではない。僕の戸籍を抹消するというのは父上の権力をしても難しかったようで、事故死という扱いにしたようだ。


 そう師匠から聞かされた僕は赤く染まった。血で。流血はしていないけれど。


 先程大見得を切って『アーノルドという名は捨てました』、『トリマーナと呼んでください』なんていってしまった僕は、赤面せざるを得なかった。


 先程の腕を引きちぎられ、殺された怒りを忘れるくらいに赤面していた。


「ふふふふふふ。いやぁ、たまりませんね」


 師匠はまた僕を笑っていた。


「死ぬ間際の『おっぱいを揉みたかったなぁ』発言も大概に面白かったですが、今のあなたも最高ですね。ふふふふふふ」


 顔は冷静そのものだったけれど、笑っていた。冷静のまま笑いの感情をだすなんて器用なことをするもんだと僕は思わず感心してしまった。


「あなたを生き返らせてあげた見返りは今の笑いで十分ですよ。ふふふふふふ」


 自分で勝手に殺しておいて何という言い草だ。


「これも以前のあなたがしたことなのですよ?実際に、私にしたんですよ?」


 なれば僕が言うことは何もない。以前の僕がしたからというのはやや理不尽という気もするが、諦めよう。


「それでどうしますか?アーノルドという名前は結局のところ消えてはいないんです。死体も見つかってないことにしたようですし、アーノルドとして生きていくことは可能ですよ?それこそ舞い戻って脅かしてやればいいじゃないですか」


「いや、もう決めたことなのでトリマーナのままでいいです。仮にあの国に戻ったとしてもそれはアーノルドとしてではなく新しく生まれかわったトリマーナとしてです」


 しかしここである疑問が生じる。「なぜかの有名な伝説の魔女の師匠がその名を知られていないのだろうか?」と。


 少なくともぼくはその名を知らないし、トリマーナなんて名前が出てくる本すら見たことがない。


「何故お師匠様の名前が知られていないかですか。わざわざもったいぶることでもないので言いますけど、お師匠様は俗世とできるだけ関りがないようにしていたからです。もっとも弟子である私はその真逆で積極的にかかわりましたけどね。それはあなたもご存知でしょう?」


 そうだった。目の前にいる師匠は伝説の魔女その人だった。これまでなしてきた偉業の数々をまるで感じさせない言動だったから忘れていた。


 それにしても以前の僕も今の僕も似たようなものだ。今の僕もまた確かに俗世というものに興味がない。いい思い出がないから当たり前ではあるのだけれど。


 しかし、それでもあの国で名を成したいという見栄は少しばかり残っていた。そうでなければ腕を引きちぎられるなどするわけがない。


「では、続きを始めましょうか。腕を引きちぎるのはいささか痛すぎるようですので、次は指にしてあげましょうか。不本意ですが」


「いや、あの、指一本も痛すぎるのですが……」


「まったく情けないですねぇ。治癒の魔法を習得するにはこれが一番手っ取り早いんですが……」


「そこを何とか! 軽く痛めつけられるくらいは我慢しますから!」


「じゃあとりあえず一発いきましょうか。」


 そうにこやかに軽く殴られた僕は、百メートルほどぶっ飛んだ。


 警戒していなかった僕は、鳩尾にクリーンヒットを喰らい、体をくの字に折り曲げながら吹っ飛んだ。


「あらあら、ほんの一パーセントの力も出していないのによく飛びますねぇ。魔法も何も使ってないんですが」


「……」


 僕は何も返せない。距離が離れているのもあるけれど、僕の体にぽっかりと穴が開いていたからだ。


「これでも死ぬんですか……貧弱さ極まれりと言ったところですね。はい、ヒール」


 そう呟いた瞬間僕は光に包まれ、腹部が修復されていく。


 瞬きした次の瞬間には僕の体は完全に元通りになっていた。


「今のが治癒の魔法です。これがなければ百キロランニングは完走できませんからね。いま感じた通りに魔法を使ってみてください。少しだけ傷を残しておきましたから」


 完全修復ではなかったようだ。


「余計な御託はいいですから、はやくしてください。その傷が元通りになる姿をイメージするのです」


 そう言われて僕は集中する。きれいに修復されたその姿を。


 すると微弱ながらも傷口周りが緑の光で覆われていく。


「いい感じです。そのまま念じてください。集中を切らさずに」


 僕は必死に集中する。ここで失敗してはまた風穴があけられる、また殺されると必死の思いで集中する。


 すると、僕の必死の思いが届いたのか数秒後には完全に傷は治っていた。


「さすが私ですね。やはり教育はスパルタに限ります。では治癒の魔法も使えるようになったところで百キロランニングの続きいきましょうか。今度は外傷ではないので少し難しいとは思いますが、まぁ気力でどうにかしてください。くれぐれも私の教育を無駄にしないように。はいスタート!」


 休む間もなく訓練の続きのスタートだ。『教育』なんてワードが出てきたけれどまぁ言葉の綾だろう。


 師匠は親切心で僕を殺し、生き返らせ、再び風穴を開け、殺しかけ、また生き返らせたくれたのだ。


「……」


 なるほど、教育で間違いないようだ。


「また殺されたいのですか?変なこと考えてるとまたお見舞いしますよ?次はデコピンにしましょうかね」


「いえ、師匠の優しさはこれ以上なく伝わっております!なのでこれ以上の優しさは不要であります!では走ってきます!」


 僕はビビりちらし、思わず敬礼した。その場から一刻も早く離れなければ。そういう思いで僕は走り出す。




 僕は一週間で百キロランニングを達成した。


 喜び勇んで師匠の下へ駆け寄った僕にかけられたのはお褒めの言葉ではなかった。


 一部の好事家にはご褒美なのかもしれないけれど、僕には苦行以外の何物でもなかった。


「では次は千キロですね?」


 僕が次の段階へ進んだのは訓練開始から半年後だった。

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