第32話

 その夜、僕はノスタルジィに浸っていた。


 ただでさえ五年ぶりの我が家であり、幼少期の頃以来はいったいなかった部屋なのだ。当たり前である。


 母上のことは忘れたのかって?いや、そんなことはない。ただ言うべきことが何もなかったというだけだ。


 しかしながら何も言わないのはどうかと思うので、一部始終を語るとしよう。




 部屋に入ると、確かに母上はそこにいた。しかし、僕を見るや否や縋り付き泣き出した。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 と、どこぞの風土病にでもかかったのかというほどに涙を流し、ただただ謝っていた。


 優しい母上のことだ、恐らく僕のことを大層気に病んでいたのだろう。


 が、それも虫が良すぎる話だ。それならばあの時父上を制止するべきだっただろう。母としての役目を放棄したその瞬間に僕の腹は決まったようなものだ。


 といっても引き止められたとしても、あのままこの箱庭で永遠に日の目を見ることなく死んでいくだけだったろうから、今では感謝している。


 ここで許さないのも道理だが、今の僕はそんなことはどうでも良かった。とりあえずは反省しているようだし僕は許すことにした。


 実に上から目線だが、仕方がない。もはやこの二人には親という感情は持てないのだから。


 ただ僕がこの先生きていくための人柱になってもらうだけだ。父上には先程の勝利で満足していたし、母上に至っては御覧のありさまだ。少なくともぼくには恨みの感情を抱くことはできなかった。


 そんなこんなで、心のこもらない言葉で何とか母上をなだめ、僕はこの部屋に戻ってきたのだ。


 部屋に戻ってからは、幼少期と同様に本に埋もれながら、懐古していたのだった。


「ほうほう。これは中々のコレクションだね。歴史の古い書物がたくさんだろう」


 そうだろうそうだろう。特にこの棚は中でも僕の好きな本を集めているのだ。


「なるほどね。君のあの叡智はここで育まれたのか。いやはや中々なものだ」


 そうだろうそうだろう。自慢じゃないけれど、僕は友達が少なかったのだ。おかげで毎日のように本に触れ、大人顔負けの知識をゲットできたのだ。


「おや?このボタンは何かな?僕の推測が正しければ君のエッチの根源があるはずだけど……」


 ご明察。ここには僕の秘蔵のコレクションがたんまりと貯蔵されている。


「ふむふむ。やはり君は胸フェチだったのか。フェチというにはあまりにメジャーすぎる気もするけど、まあ胸フェチであっているだろう」


 当たり前だ。胸にはすべてが詰まっている。男のロマンがすべて詰まっているのだ。母性の集合体であるそれに憧れを抱かないものなど男ではない。断言して良い。


「無色なんて気取ってからに、普通に好色じゃないか。まあ気づいていたからいいけど、いささか興醒めだね。男の性には逆らえないと言ったところかな」


 ……?


 ここであることに気づく。いやもうとっくに気づいてはいたけれど僕は気づかないふりをしていた。


「あれ?君とはとっくに別れたつもりだったけど」


「乙女の体をまさぐっておいてなんという言い草だ、全く。まぁ確かに別れはしたけれど、別れたのはあいつ一人だけだからね。責任を取ってもらうのもまぁあるけれど、好奇心には逆らえない。言ったよね?僕たちは欲望の下僕だって。そういうわけで君についてきたわけだ。よろしくね~」


『よろしくね~』なんて言われても。え?本当についてきたのか?かなりのスピードで飛んだ気がするのだが……


「それは君のポケットに忍び込んで事なきを得たよ。僕は伸縮自在だからね。もっともあのスピードぐらいじゃ僕を離すことはできないけどね~」


 何だ、その後付けの設定は。いささか適当すぎるんじゃないか?あと『~』なんて気の抜ける語尾をつけるのはやめてもらいたい。そんな感じで喋ってなかったではないか。


「いささかシリアス調だったからね、空気を和ませることも必要だ。言わばまぁツッコミ役かな?君のメタ発言にツッコミを入れれる存在が必要だからね。あのケイトとかいうメイドもその資格はあるようだけれど、君に心酔しているようだからね。そういう理由もあるよ?」


 あれ?ツッコミは僕の役割ではなかったか?そんなにキレが悪かっただろうか?


「まあ僕のツッコミにも期待しすぎないほうがいいよ?いくら僕のセンスが良くてもそれを受け取る君のセンス以上のものはできないからね。まぁ精進してよ」


 そんなに言うなら仕方がないか。話し相手も欲しかったところだし、何よりツッコミがいなければ話がグダってしまうからな。願ったり叶ったりだろう。


「そうそう。そんなメタ発言に茶々を入れる存在が必要なんだよ」


「そういうものですか」


「そういうものです」

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