第4話

 起きてすぐ僕がとった行動は、焦るだった。


 何を馬鹿なことをと思うだろうけれど、本当に焦ったのだ。


 ほんの数時間ばかり寝るつもりが、こんなに遅くまで寝過ごしてしまった。


 普段僕はこんなことは決してしないのだが、極度の緊張と疲れもあって寝過ごしてしまったのだろう。生死に関わる緊急事態だ。


 いくら城壁に近くここで生息する魔獣が弱いからといって、僕がその魔獣に何かできるわけではない。まあ何かはできるかもしれないけれど、それは食べられることぐらいだ。しかも弱い魔獣というのは成人してかつ魔法が使えるという人から見た場合である。もとより僕は成人などしていないし、頼みの綱の魔法すら操れない。


 そうなるとあら不思議、強い魔獣に早変わり!


 ……なんてふざけている場合ではない。おまけに魔獣のほとんどが夜行性だ。


「全く、最高のコンディションだ」とやや諦めの言葉を誰にかけるでもなく呟いてしまうぐらいには焦っていた。悲観していた。一体ここからどうすればよいというのだろうか?


 しかし、ここで焦ってむやみに動いては魔獣に美味しく頂かれるのが関の山だ。ここは息を潜めてじっと日が昇るのを待つしかない。


 寝る前に起こしたはずの火が今にも消えかかっていた。焚火なしに夜を越すのは危険極まりない。


 そばにある木から何本か枝を拝借して、火にくべる。乾いた木がよかったのだが、すでに使い果たしていた。生木で我慢するしかない。また薪が必要になることを考えて、さらに数本焚火で乾燥させる。


 夜明けまで見たところあと二時間といったところだろうか。長い夜になりそうだ。


 一通り作業を終わらせて一息つく。しかし、常時警戒は怠らない。実際に魔獣に出くわしてしまえば食べられるほかはないのだが、するに越したことはない。


 ほっと一息ついたのも束の間、周囲の草むらから何やら物音が聞こえる。


 そらみたことか。魔獣のご登場だ。


 しかしながら、ここまで不運が重なるとなにか人為的なものを感じてしまう。たとえ夜の森で魔獣と遭遇する確率が高かろうと。


 僕はナイフを構えて臨戦態勢をとり、物音のする方を注視する。


 果たして、その音の正体は小さな野ウサギだった。そうなると話は変わってくる。僕は脱兎のごとく飛び出し、そのウサギを捕獲しようとする。


 しかし、あと少しでナイフが届くところで逃げられてしまった。文字通りの脱兎である。


 明るければ追いかけるのだが、何度も言うように今は夜。深追いは危険だ。


 僕は荒くなった息を落ち着かせ冷静になる。散乱してしまった荷物を片付けていると、今度は先程のより大きな物音が聞こえてきた。しかもその音はだんだんと近づいてきている。


 僕は、即座に荷物をまとめ、背負い火を消す。火のついた枝を一本だけもって。


 息を押し殺し音のする方へ火を向ける。ここでやってはいけないのが焦って逃げることだ。魔獣の多くは臆病なのだからむやみに相手を驚かせないことが大事。ここで逃げて相手を興奮させてしまえば、追いかけられて見るも無残な結果になるのは目に見えている。ましてや非力なこの僕だ。いや非力という言葉すら生ぬるい。無力といっておこう。


 さて、いよいよその物音、いや足音が目の前まで迫ってきた。それではその正体の御開帳といこう。


 僕はじっとその正体を見据えた。




 ……前言撤回。脱兎のごとくその場から緊急離脱する。




 さっき言ったのはあくまで普通の状態の魔獣に対してのみに有効な手段である。この場合では愚策としかいえない。何を隠そうその魔獣は端から興奮していたのだから。その魔獣はもっと言うと、先程逃した野ウサギの親だったのだ。興奮している理由は……わざわざ言うまでもないだろう。


 肩に例の野ウサギ、いや子ウサギが乗っていることから親であるのは明白だ。しかしながら、魔獣というのはいつだって規格外だ。あんなウサギがいるなんて聞いたことがない。普通ウサギは小さくてかわいいものだろう。それこそ生態系の最下層に位置するような。もっともこの場合では僕が一番下のようだが。


 話を戻そう。自分の子供を殺そうと、食べようとしたのだから、僕が返り討ちに会うのは当たり前だ。討たれるつもりはさらさらないけれど。


 人間だって自分の子供が殺されかけたらやり返すし、むしろやり返さないほうがおかしい。もっとも方法は違うだろうし、人間社会で人殺しなんてことはまず起きないけれど、ここは自然世界。弱肉強食の世界だ。人間のルールは適応されない。


 そんな過酷な世界で生き延びてきたであろう親ウサギが目を血走らせ、牙を剥き、鬼の形相で僕の方へ迫ってきたのだ。しかも僕の背丈の三倍はあろうかというその体躯。その場に留まっていた方が危険だし何より瞬殺だろう。文字通り。


 そんなわけで、僕は脱兎のごとく逃げだしたのだ。いや、といっても良かったかもしれない。およそ人が出せないような、この世のものではない悲鳴というおまけつきだったのだから。

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